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ラブレターを送りたい 長田弘さんへ

敬愛する作家が二人いる。

一人は既に語り散らかしている江國香織さん。

もう一人は、長田弘さんだ。

2015年5月3日に惜しくも去られてしまった。75歳という年齢は、今時早すぎる死であるといえるだろう。

お亡くなりになる直前にみすず書房から全詩集が出ていて、「ああ、欲しいな、欲しいな」と思っているうちの、突然の訃報だった。訃報を聞いて「どういう意味なのか直ぐにわからなかった」ということが本当にあるとは思わなかった。癌を患っておられたそうなのだが、「死去前日まで仕事を続けていた」とWikipediaにもあるのだから、きっと、本当に、突然であったのだろうと、思っている。

そういうことで、購入した全詩集は第2刷だった。その著者略歴の末に書かれた「2015年5月没」の一文に、購入当時涙が出たのを覚えている。第1刷だったら、書かれていなかったのだろうか。書かれていなかったのだろうな。(このときの、第1刷を、販売直後の購入をためらった自分が呪わしくて、以後前情報で欲しいと思った本はどれだけ金欠でも購入することにしている。)

今更言ってもどうにもならないのだけれど、長田弘さんは一度で良いから会ってみたい、あわよくばお話してみたい人だった。

あまり芸能に関心のない子供だったので、「誰々に会いたい!」という夢が無く、会ったところでどうするのだろうと思っていた。握手して、サイン貰って? そんで? という可愛くない子供だったのだ。

そんな私が長田弘さんの詩に出会ったのは大学を出たころで、ちょうど朝日文庫から『記憶のつくり方』が発売された時だった。

(この文庫の発売が2012年なのだから、私のファン歴は自分で思っているよりみじかいなと今、自覚した。話がそれたついでに言うと、私が購入した文庫には、上記リンク先の書影にある帯が巻かれていなかったとおもうのだ。そんな帯があったのか、とそれも今発見した。その帯、欲しいなー)

本はずっと好きだけど、偏愛がたたってちっとも作家を知らない人間だったので、手に取った時は長田さんのお名前も実は知らなかった。ただ、表紙のイラストが、地元の公園に昔々あったジャングルジムにそっくりで、懐かしくて手に取ったのだ。ちなみに、このカバー装画は福田利之さんで、装幀は名久井直子さんという、泣く子も黙る組み合わせである。

書影の画像では帯で隠れているが、ジャングルジムの下には逆さまになってジャングルジムにつながる一輪の花が描かれている。遊具という懐かしさに、絡まり合う記憶を思わせる植物の根の拡がりと若干の不安を感じる。『記憶のつくり方』というタイトルも、無意識に残るものだと思っていた記憶を、恣意的に作るという不一致さを思う。

あまりに愛する詩集を語る言葉を、私は持ち合わせていないので、『記憶のつくり方』についての書評を書くことはできない。
しかし、この一冊が、というよりも、この詩集の巻頭詩が、私の心をつかみ、包み込み、疲れ果てた時に変える場所のようにすべてを託すことが出来る一編となったことは疑う余地が無い。

巻頭詩は『むかし、遠いところに』と名付けられている。
引用はしない。文庫に3ページの、短い詩。

当時、書店で巻頭詩を読んだ時に、私の探していたものだ、と思った。
買って帰って、再度巻頭詩を読んだ時に、長田さんに会いたいと思った。
一冊読み終わって、心穏やかにはいられなかった。なぜ、私は、今までこの詩を、この詩集を知らなかったのだろうと。

長田さんに会いたい。大した話なんかできない。
私から長田さんにお話しできることなんか、何も無い。
それでも、この一冊が、あまりに美しく、私の人生に、一滴の喜びを落としてくれたことを伝えたい。


朝日新聞さん、どうぞこちらの再販を!再販を!!


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