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ゴッホについて、Twitterであるアカウントが流れてきたことに関する考察

この記事は、2022年7月28日0:37にTumblrに投稿した記事を転記したものです。

優れた芸術の条件として「明快であること」「誠実であること」「新鮮であること」がある。(トルストイの言葉を借りる)

上記3条件が揃ってかつ、人間性も含めた点で、俺は小さい頃から今のいままでゴッホに惹かれている。

幼少期に絵画の好きな祖母から、岸田劉生やゴッホの画集を見せられ、絵画から汲み取る言葉では言い表せない、画風の威圧感の中のユーモラスな魅力を感じていた。その頃に向日葵の落札のニュースもあって、額の大きさ含めてゴッホは偉大だという観念があった。

それから高校の芸術の授業で、ゴッホの生き方や苦悩や作風の変化とか人生の変革を知って、今までゴッホ大好き人間である。

先日「なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか。」というタイトルの本を発刊した人のTwitterが流れてきた。

このタイトルを目にしたとき、率直な意見として芸術を金と結びつけた価値観は凄く浅はかだと思った。


このタイトルの文脈は、「金」に焦点を当てている。

そしてこの本のタイトルを見るだけでも伝えたいことは「発信力の問題」であることがわかる。

芸術はあくまで主観的なものが一番上にきて、客観性は二の次である。芸術に発信力と金を結びつけた時点で、芸術の指向性が終了する。

ゴッホの生き方を知ってる人ならわかると思うけど、ゴッホは芸術に対する思想と顕示欲が深すぎる。自分の中の世界に閉じこもり過ぎたので、弟への手紙や周りの人の証言から得る情報しか残ってないけどそれはそれはマリアナ海溝くらい深い。


同志の画家ゴーギャンへの友情が束縛に発展したことからもわかると思う。(知らない人は映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」で簡潔かつ詳細に描かれているから是非見てほしい この映画はゴッホの人間性の他にも風景作品としても非常に優れている)

主観的な思想だけならまだしも、ゴッホは、「なぜ自分は評価されないのだろう」という客観性を軸とした欲望もあった。

その欲望の源泉は芸術の分野で「売れたい、成功を収めたい」という制作者本能(ソースティン・ウェブレンの造語)が源泉であると思う。

この本のタイトルだけ切り取っても、ゴッホの性格は「貧乏」という言葉に制限できない。このタイトルは結果を振り返った際のあくまでも客観的な評価だし、ゴッホが指向していた「芸術」に焦点を当てたものではなく「経済力」や「発信力」に焦点を当てたものである。

上記つらつら陰湿な考察を綴ったが、何が言いたいのかというと、ゴッホの芸術性は素晴らしいのにこんなタイトルで、死後100年経って「貧乏」という一括りで印税の要素にされるゴッホまじで偲びねぇなと思った。

芸術家は主観的な芸術性に重きを置いている。その芸術性を安直に「金」に結びつけない方がいい。


あとは、これは個人の考え方だけど、さも、金持ちが優で、貧乏が劣としているこの文脈で、ゴッホを劣として捉えられるような書き振りも良くないと思う。もし、貧乏を劣として捉えない内容だったらすみません。ただ、このタイトルを魅力に感じてこの本を手に取る人は、「芸術」ではなく「金」に囚われている人だろう。

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