見出し画像

結末なんてない『大豆田とわ子と三人の元夫』(最終回視聴後)

もう特に言うことなんてない。そういう気にさせる最終回でした。

最終回で、どうしてもとわ子に必要だったのが、母の過去についてのシーンでした。

母親が昔書いて出さなかったラブレター(全てを捨てても一緒になりたかった、という内容でした)を発見し、動揺したとわ子でしたが、唄の提案によって、それが宛てられた真(マー)という人物に会いに行きます。尋ねた先にいたマー(風吹ジュン)は女性でした。

あなた、不安だったんだよね。大丈夫だよ、つき子はあなたのことを愛してた。
・・・
あなたのお母さんはちゃんと娘を、家族を愛してる人だった。

じゃあ、どうして、、、

どうして、だよね。家族を愛していたのも事実、自由になれたらと思っていたのも事実。矛盾してる。でも誰だって心に穴を持って生まれてきてさ、それ埋めるためにジタバタして生きてんだもん。愛を守りたい、恋に溺れたい、一人の中にいくつもあって、どれも嘘じゃない。どれも、つき子。結果はさ、家族を選んだってだけだし。選んだ方で正解だったんだよ。

正解だったのかな。

正解だよ。
そっちを選んだから、こんな素敵な娘が生まれて、孫も生まれて、夫に愛されて、生涯幸せな家族に恵まれたわけでしょう。よかったんだよ、私を選ばなくて。

母は幸せだったんですね。

(長い引用ですみません)

母は自分のために不幸な生活を我慢していた、ととわ子は思っていて(夫と娘の世話をするだけの人生なんて、と手紙にありました)、それが心に重くのしかかっていました。聞いてみたくても母はもういない。
しかしマーが代わりに答えてくれたのです。あなたは愛されていたのだと。

親(やそれに代わる養育者)から愛されていたということは、人間の基盤を作る要素であって、極めて重要です。意識するしないに関わらず、その事実は生きる勇気を培うのです。

自分は母から愛されていたし、母は幸せだった。

このことが胸に刻まれたとわ子は、昨日までより少し強くなって、明日からまた生きていけるでしょう。


第7話で小鳥遊(オダギリジョー)がとわ子にこう言っています。

人生って小説や映画じゃないもん。幸せな結末も、悲しい結末も、やり残したこともない。あるのは、その人がどういう人だったかということだけです。

本作は、まさにこれをドラマという形で表現した作品でした。

家族のような親友の死は大きな事件だったけれど、あとは細々とした出来事で、会社が乗っ取られそうになったり、娘と別居になったり、恋人ができそうでできなかったり、なんやかやありつつの日常を泣いたり笑ったり怒ったりしながら生きているとわ子とその仲間たち(?)。これからもそうして生きて行くでしょう。

この話にはなんの結末もないけれど、彼らがそれぞれどういう人だったか、いまの私たちは少し知っています。

この記事が参加している募集

#テレビドラマ感想文

21,638件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?