音大の近くにあるBOOK OFFにはいいレコードが集まってる説
ブックオフの棚はその地域の文化水準を反映する。店に通って面白そうな本を探したり目当ての本を求めて何店舗か渡り歩いたりした経験のある人なら誰もがなんとなくそう思っていることだろう。棚に古い文学全集が並んでいたら、文学部生が引っ越したかどこかの家の遺品整理で家族が売りに来たのかな……などと想像しているうちに、周りに住んでいる人の顔が見えてくるような気がする。
じゃあ逆に文化水準が高そうな地域のブックオフに行けばいいものがあるのでは?
最近のブックオフはレコードの取り扱いを増やしていて、住宅街の店舗でも普通に売り場を見かけるようになった。本当に買う人いるんだろうかというところにまで。
こういう店のレコード売り場は2、3回針を落としただけでそのままタンスの肥やしになっていたものが売られてくるので状態がいいことが多い。しかも専門店ではないから市場価値だけで値段をつけていて、結構有名な盤ですらラベルに商品名も書かず550円で投げ売りしている。
ならば、音楽に詳しい人が多い地域に行けばいいレコードが安く売られているのではないだろうか。そこで目をつけたのが音大だ。
音大は基本的にクラシックの作曲や演奏を学ぶところだが、最近はジャズやポップス、電子音楽まで幅広い音楽を扱うようになっている。今時「クラシックだけが音楽。他は全部雑音」なんて思ってる人はいないだろうから専攻がクラシックでも普通にポップスのレコードを持っていてもおかしくない。そういう人が引っ越しの荷物整理などでうっかり売り払ってしまった盤を回収しようという算段だ。ではGoogle Mapで音大とブックオフを検索してみよう。
……ない。音大の近くにブックオフが。
東京近辺には国立音楽大学や桐朋学園、洗足学園など様々な音大があるが、肝心のブックオフが近くにない(余談だが、国立音楽大学は「こくりつ」ではなく「くにたち」である。もちろん私立だ)。音楽学部がある唯一の国立大にして最高学府・東京藝術大学のあたりにはブックオフ千駄木店があったが、残念ながらレコードは取り扱っていなかった。だいたい上野に住んでたら御茶ノ水のディスクユニオンに売りに行くだろう。
せっかくの企画を没にするかどうか悩んでいたら、一箇所だけこの仮説を確かめるのに適した店舗を見つけてしまった。BOOK OFF江古田店である。
江古田駅の近くには2つも音大がある。武蔵野音楽大学と日本大学芸術学部(以下「日芸」)だ。武蔵野音楽大学は伝統的なクラシックを学ぶ音大だと思われるが、日芸はポップスを扱うだけでなくデザインや映画など幅広い学科があり、VaundyやYOASOBIの幾田りらといった今をときめく若手アーティストを輩出している。これは期待できそうだ。
というわけで早速やってきた。見た目のわりに奥行きがあって思ったより大きい店舗だ。
レコード売り場は思ったより小さく、本棚でいえば2棚くらいしかない。上の方にQueenのジャケが表向きに置いてあったが、どう考えても背が高くないと視界に入らない位置だ。中段はレコード屋によくある箱に入っているが、全部手前に倒れている。音大の近くだから店員もレコードの扱いに慣れているというわけではなさそうだ。
1つずつ確認してみると、品揃えは他とかなり違う。まず明らかに違うのは、7インチシングルの取り扱いがあることだ。中身はだいたい古い邦楽である。他にもジャケがない盤が多く、見本盤と書かれているものもある。ブックオフのレコード棚といえばだいたいサイモン&ガーファンクルやビリー・ジョエル、松山千春あたりが大量にあるものだが、ここはニッチなものが多くて特定のアーティストへの偏りが少ない。強いて言うなら西城秀樹がやや多い。
棚を一通り見たうえで3枚を選び取り購入した。それがこちら。
どれもコーヒー1杯分くらいの値段で、合わせて1430円。音質にこだわっていいオーディオ機器に手を出さなければ結構安上がりな趣味といっていいだろう。果たしていい音楽はあったのか、値段は安く買えたのか。早速聴いていこう。
1枚目はこちら。見た目から中身を知る手がかりはなさそうに見えるが、実は一番音楽性がわかりやすい。ジャケがないのはだいたいテクノだからだ。普通に考えてバンドやシンガーのビジュアルや綺麗なイラストでジャケを作ったほうが売れるのに、あえてそうしないのはよほど予算がないかそれがかっこいいと思っているかのどちらかである。自主制作盤が多いアンダーグラウンドな音楽なので、デトロイトテクノのようにジャケがあるほうが珍しいサブジャンルもある。
プレイヤーにかけてみる。うーん……テクノっぽいけどテクノじゃないかも?ほとんどビートだけでメロディーもコード感もなく、実験音楽といったほうがよさそう。予想通りとはいえ、いきなり難解過ぎる音楽が来てしまった。
しかしこのレコード、溝の切り方が特殊すぎる。レコードは円盤に溝を刻み込むが、針がそれをなぞって音を出す性質上、溝はできるだけ直線に近い状態にしたほうが綺麗な音になる。だから、曲数が少ない場合は外側にできるだけ詰めた状態で溝を切って内側は何も収録されていない状態にしておくのだが、これは片面に1曲しか入っていないにも関わらず全体を使って溝を入れているので間隔が異様に広い。大量のレコードを持っているわけではないが、初めて見るタイプだ。
一通り聴き終えてしまった。感想は良くも悪くもないというところ。だけど何か見落としているような……。あれ、これ45回転のレコードでは?
レコードは回転スピードによって再生速度が変わる。よほど古いものを除けば一分間に33(と1/3)回転のものと45回転の2種類がある。大抵は長く収録できる33回転だが、45回転のほうが時間あたりに通過する溝の距離が長い分情報量が増え音がよくなるため、曲数が少なかったり音にこだわりがある場合はこちらを選ぶこともある。
ジャケもなく、ラベルにも書いていないから何も考えずにそのままかけてしまったが、一応プレイヤーを45回転に設定してかけ直してみる。正解だ。さっきまで実験音楽がなんだとか言っていたが、普通にフロア湧かせるタイプの音楽だった。
調べてみると、Theo Parrishの「Falling Up」という曲をDJユニットTechnasiaがリミックスしたもののようだ。原曲はデトロイトテクノというジャンルにあたるのだが、このデトロイトテクノは上モノが少なくほとんどがシンセのドラムサウンドで構成されていて、言ってしまえば地味で単調な曲が多い。それゆえにこのリミックスも無骨さというかシリアスさを残しているのだが、テンポは速く随分軽快になっている。Tecnasiaというユニットのメンバーは香港出身のAmil Khanとパリ在住のDJ Charles Sieglingらしい。盤に書いてある「third | ear」というのはイギリスの「third ear recordings」というレーベルの名前のようである。
最後にDiscogsで値段を確認しておこう。最高額は2,239円で最低額は300円。中央値は877円だ。550円で買っており、盤質はそこまで良くなかったので妥当かやや割安くらいといっていい。ちなみにDiscogsの最低額は結構安く出るが、実店舗で買ったらもう少し高いし海外から取り寄せたら送料がかかるので実際にその値段で入手できることは基本的にない。
2枚目はこちら。ジャケが気に入ったので買ってしまった。シンプルな幾何学模様だが手書き感を残しているあたり、先程のようなミニマルで地味な音楽ではなく、もう少し優しい音をしていそうな雰囲気がある。ジャンルはエレクトロニカっぽい。
裏面を見ると、曲の情報などが書いてあり、3曲入りのコンピだということはわかる。右端に「JAZZANOVA」とあるが、レーベルか何かの名前だろうか。これだけ見るとジャズかボサノヴァなのかもしれない。
早速流してみる。間違えてB面からかけてしまったが気にしない。お、ボーカルが入っているぞ……うねるベースラインとお洒落なコード感、ゆったりとしたグルーヴに乗ったボーカルが心地いい。普通に良いR&Bだ。めちゃくちゃ好みの音楽が来た。
B面2曲目はラテンパーカッションのインストだ。こんなにギロが主役の音楽は初めて聴いたかもしれない。録音もミックスも良く、楽器の鳴りがよく伝わってくる程よいリバーブ感になっている。
裏返してA面に行くと、今度はディスコをモダンにリミックスしたような曲だった。機械的な4つ打ちではなく複雑で有機的なリズムが鳴っていて、上に乗ってくるボーカルやベースが楽しい。シンセの音作りは2000年代のエレクトロニカやR&Bでも聴くような、最新ではないがレトロでもない、ノスタルジーを抜きに良さが伝わるいい音をしている。
調べてみると、Sonar Kollektivというレーベルのコンピだそうだ。Jazzanovaというのは、ベルリンを拠点に活動するプロデューサーやDJら6人によるユニットのことで、このレーベルを立ち上げたのも彼らということらしい。このレコード自体はSonar Kollektivが出しているコンピのアルバムサンプラー、つまり無料か格安でリリースしたお試し盤ということだ。フルバージョンもDiscogsで発見した。
https://www.discogs.com/ja/master/82786-Various-Sonar-Kollektiv
Jazzanovaはメンバーが多いこともあり、ハウスやテクノ、ヒップホップもできるが、キーになるのはジャズらしい。クラブジャズ、ニュージャズ、フューチャージャズと呼ばれたようなジャンルの代表的アーティストのようである。3曲聴いただけでもジャンルレスな幅広い音楽性をうまくまとめ上げたという印象だった。この盤に収録されている中ではB面2曲目のラテンパーカッションの曲がメンバーの作品らしい。
検索のためにジャケを見ていたら、なぜかこれだけ値札がジャケに直接貼られていることに気づいた。盤が透けている様子から分かる通り、柔らかい紙なので破れてしまいそうだ。
慎重に値札を剥がしていると他のレコード屋がつけたらしき値札の跡も発見した。少なくとも私はサードオーナー以降ということらしい。やはりこの手のレコードは色々な人の手を渡っていくようだ。
これも最後にDiscogsで値段をチェックしておこう。最高額は1,053円で最低額は176円、中央値は383円。盤質は普通、330円で買ったのでこれも妥当かやや割安くらい。個人的にはいい音楽を見つけられたのでとても満足だ。
https://www.discogs.com/ja/release/8238-Various-Sonar-Kollektiv-Album-Sampler
3枚目はこちら。ジャケがゴシック建築の大聖堂ということは、おそらく教会音楽、それもフランスのルネサンス期かバロック期の音楽を演奏したものではないだろうか。なんならパイプオルガンなことまで想像がつく。店頭では普通にROCK & POPSの棚に入っていたがどう見ても違う。
裏返すと小さな文字でびっしりと解説がある。
少し読んでみると、なんだか既にあまり面白そうな音楽ではない。というか解説にそう書いてある。「If the form is less familier than the polyphoneic voacal mass, this is becase it depended 中略 on an alternation between vocies and organ(この形式が合唱のミサよりも親しみにくいのなら、それは合唱とオルガンが入れ替わっているからだ)」という記述から、本来聖歌隊が歌っている部分を全部オルガンでやった音楽だと推測できる。こんなことを書いてしまうあたり、キリスト教圏でも現代では人気ないのかもしれない。
買う前からあんまり興味がなさそうだとわかっているのに買ってしまった理由はジャケではなくこちらにある。
前に扱ったレコード屋の値札がついている。しかも2600円。あまりの価格差ゆえに中身が気になってしまった。ブックオフの基準では低いが、芸術的には価値が高いということもあるかもしれない。他にも大学で受けた文学部の講義で普通にギヨーム・ド・マショー(「ノートルダムのミサ」を作曲した人)とかを聴いていたので、もしかすると知っているかもしれないと思っていたところがある。知ってたらかっこいいかなって。
そろそろ中身を聴いていこう。うん、ちゃんとわからない。オルガン曲がずっと入っているのだが、この形式の音楽に慣れているので全く次が予想できず、むやみやたらに弾いているようにすら聴こえる。あとレコードで聴くのが正解なのかもわからない。ゴシック様式の教会建築は石造りで、それまでの建物より屋根が非常に高いのが特徴である。そのような建築様式が音響にもたらす影響は大きいだろうから、家のスピーカーで聴いて音楽の意図が伝わっているかも疑問である。これは完全に自分の音楽的経験のなさによる敗北だ。
仕方ないので作曲者で調べていると、日本語のWikipediaがでてきた。「20世紀前半んから後半にかけて現代音楽界を牽引した作曲家のひとりであり(後略)」と書いてある。もしかして超有名な人……?
Wikipediaが充実しているので色々読んでみると、鳥の歌を収集して音楽に取り入れたり、日本やアメリカといった外国の自然や文化への印象をもとにした曲を作ったりと現代音楽の作曲家として名高い人らしい。ただ、パリ国立高等音楽院を出て若くして教会のオルガニストに就任したという出自から、宗教音楽の作曲も得意としているようだ。このレコードの音源を実際に演奏したジェニファー・ベイトはオリヴィエ・メシアンと親交が深く直々の指導の元でメシアンの作品全集を録音したとのことで、手元にあるのはその全集の第4巻だろう。(知識がなさすぎるのでこの認識であっているかは保証しません!)
最後にDiscogsで値段を確認しておこう。最高額は1,614円で最低額は362円、中央値は888円。盤質もジャケも状態は良かったので550円はそこそこ割安といっていいだろう。問題は音楽史の研究をしているわけではないので結局あまり価値がわからないということだ。しばらくは持っているつもりだが、教会音楽に興味が出なかったら研究者や美大・音大生が買いそうなレコード店に売って持つべき人に回すのがいいかもしれない。
ちなみについていた値札の2600円は新品価格らしい。値段の下に書いてある「ART VIVANT」というのは、池袋の西武百貨店に入っていたセゾン美術館併設の美術書専門店だということがわかった。現代音楽のレコードも取り扱っていたそうだ。
レコード趣味は金がかかると思われがちだが、それは機材にこだわったり希少な盤を収集したりする場合の話である。今回私が買った中で一番良かったと思うのはSonar Kollektivのコンピだが、こちらはお値段なんと税込み330円。ドトールのカフェラテSサイズより安い。実店舗でフィジカルを買うからこそ得られる偶然性や買ってきてから調べることで広がる自分の見識、中古市場でいかに気に入るものを見極めるかという目利きの楽しみは他の趣味と比べてもかなりリーズナブルといえる。レコードはブックオフにあるし、1,2万もあればスピーカーと一体型のプレイヤーが買える。興味があるなら、気負わず軽い気持ちで手を出してみてほしい。
それでは最後に「音大の近くにあるBOOK OFFにはいいレコードが集まってる説」の検証結果を示して終わろう。
結論:音大の近くのブックオフにはニッチなレコードがたくさんあるが、そもそも音大の近くにブックオフはあまりない。
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