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アートを追いかけて、知らない横浜と出会う。「美術館の外で」横浜トリエンナーレを楽しむ方法

横浜のみなとみらい地区周辺で3年に1度行われる芸術祭「横浜トリエンナーレ」が現在開催されている。現代アートをたくさんと思った時、大規模な芸術祭は地方で行われることが多く車がないとまわることが難しい。そんな中、東京から電車で行くことができ、徒歩圏内に展示が収まっているので、気が向いた時にふらりと訪れることができる初心者にも行きやすいイベントだ。

今年は、駅や街中のスペースを用いて美術館以外の場所にも多くの展示を展開している。歩きながら道端のアート作品を探すのは、美術館では味わえない芸術祭らしい鑑賞体験だ。作品を通して新しい発想に触れる驚きがあると同時に、作品を見るために街を歩くことでこれまで知らなかった横浜の姿に出会うことができる。

この記事では、私が実際に横浜を歩いた記録から、その魅力を語っていく。もし横浜トリエンナーレに行くことを具体的に検討していて、ネタバレなしに驚きを感じたいという方は一旦ここで閉じて、観に行ったあとにでも読んでもらえたら嬉しい。また、作品の写真はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの許諾のもと個人利用可能なので載せることもできるのだが、鑑賞体験はその場に行ってこそのものなので、個々の展示の紹介はあまりしない。

「UrbanNesting:再び都市に棲む」と次々に変化する街並み

横浜についてまず向かったのは新高島駅にある「UrbanNesting:再び都市に棲む」の展示拠点、BankART Stationだ。

「UrbanNesting:再び都市に棲む」自体は主に横浜駅の北西側を中心に展開する展示だが、このBankART Stationにも多くの作品がある。入場券を購入すると、作品リストや地図をもらうことができる。標識やガードレールを落書きごと立体化した彫刻や、路上のタイルをテクスチャのように利用したデザインの服、塗装部分だけ切り出したビルの壁など興味深い作品が多いのでここだけでも長い時間楽しめる。

駅の上を通っている大通りを歩いて端を渡ると、横浜ベイクォーターがある。ここの展示は飲食店内にあるようだったので一旦飛ばし、右手へ進む。観光地としての横浜みなとみらい地区からは離れているが、タワーマンションが並ぶ閑静な居住エリアだ。

さらに進むとタワマンはなくなり、川に線路がかかっている。道には住民らしき人も歩いておらず、先は鉄道施設の倉庫のような建物しか見えない。

突如現れた鉄道、このあたりに駅はなかったはず

しかし、地図は作品があるというので指し示す場所まで行ってみる。

あった

確かにあった。フェンスでできたスナックが。

隣のツギハギな小屋、空き地を囲む本物のフェンスと並んでいると、完全に背景に同化している。

この作品は、津山勇、あんのようすけ、北風総貴の3人で構成されるデザインユニット「ヤング荘」の「スナックフェンス」という作品だ。

工事現場で使われる道具でバーカウンターが作られている。中に入ることもできるのだが、いざ目の前にすると本当に入って良いのか不安になってくる見た目だ。普段これらがある部分には立ち入らないのが当たり前なので、その認識が染み付いているのだろう。「居場所」の象徴としてのスナックとは対照的な空間だ。

この先にも作品があることや、海側の道を歩けば横浜美術館方面へもどれることを考えて、もう少し先へ進んでみることにした。突き当りのT字路につくと、踏切が現れる。

電気機関車が通っていった

この通りに出ると、街の雰囲気は一気に変わり、道沿いには古い商店が並んでいる。奥に小高いスペースがあって、会計のとき以外は店主のおばあちゃんがゆっくり休んでいるような個人商店だ。他にも倉庫から段ボール単位で食品を直売りする問屋や食堂、たばこ屋などが見える。

ここは中央市場通りといい、海側に進むと水産市場と青果市場がある。巨大な冷凍庫が並ぶ港湾部も、市場に出てきたものを地元の店や家に卸す商店が並ぶ昔ながらの街並みも、数百メートル手前までタワマンの足下を歩いていたときには思いもよらなかった景色だ。そして、市場の間の道を通ってみなとみらいへ戻ろうとすると。

壁に巨大な落書きがある。これは光岡幸一の「あっちかも」という作品だ。テープを使って風景に文字を描くシリーズを展開しているそうだ。文字が描かれている建物は、業務用野菜の配達を行っている会社である。なにがあっちなのかはわからない。

実際に見ているときはその大きさに意識が行く。グラフィティアートのような壁にスプレーで書くような落書きは、人が腕を動かして描くので普通は人間くらいのサイズにしかならない。だから、これほどの大きさの文字を見ること自体が少ないのだ。

そして、家に帰って写真を見返してみると、見た時の印象よりも合成写真のように見える。テープによる直線的な歪さも、マウスで上から書いたようだ。これまでの周囲の景色の劇的な変化も相まって、本当に実在したのか疑わしい気分になることができる。

「黄金町バザール」と街づくりをめぐる複雑な経緯

港湾部を伝って街の中心部に戻り、横浜美術館とBankART KAIKO、旧第一銀行横浜支店の会場を観覧し、もう一つの展示エリアへ向かう。京急線の黄金町駅と日ノ出町駅の付近で行われている「黄金町バザール」だ。

旧第一銀行横浜支店の近くを流れる大岡川から徒歩15分ほどでつくのだが、京浜東北線の下をくぐると街の景色が大きく変わる。そこは福富町といって、風俗店やラブホテルとアジア系移民による店が乱立する地域だ。メインストリートには韓国料理屋が並んでいるが、近くの中華街とは違い綺麗に観光地化されているわけではない。

本当にこの先でアートイベントが行われているのか疑いたくなってくるが、川を渡って日ノ出町駅の下を過ぎるとビルの壁にポスターを見つけた。

地図を見ながら川沿いへ戻り、まずは黄金町アートブックバザールへ向かう。ここでは普段からアート関連の本や作品が展示販売されているようだ。カウンターでチケットを見せると、パスポートとパンフレットを受け取ることができる。

パンフレットの地図をみると、作品のほとんどは高架のすぐ両側に並んでいるようだ。線路沿いに歩いていくと、細い敷地に建物がひしめき合うように建てられている。

そして、これらの建物の一部は丸ごと作品として利用されている。街全体がインスタレーション作品群になっているのだ。会場以外の建物も、その多くがアトリエとして使用されていて、ポスターが貼ってある奥には資材が積まれていることが多い。

初めて入った建物は、西松秀祐による展示だった。ここで、公式サイトに書いてあった黄金町のまちづくりの歴史についての中身を詳細に知ることになる。

西松氏の作品は、映像や写真とスピーカーから流れるナレーションを中心に展開される。ナレーションでは、この街の歴史性と作品制作のために暗室で銀塩写真の現像を習得した時の話について語っていた。

この黄金町エリアは、かつて「ちょんの間」と呼ばれる違法風俗店が集中していた地域である。福富町を含め周辺地域は、場所により戦後しばらくして売春防止法が制定・施行されるまでの間売春が黙認されていた赤線、あるいは取り締まられていた青線といった区分けが暗に存在した。こうした店は特殊飲食店として営業していたため、作品に利用されている建物もよく見るとその痕跡が残っていたりする。

2000年代に入り、地元の組織や警察がこれらを摘発して一掃すると、黄金町はゴーストタウン化する。そこで人を呼び込むために、アーティストを呼び込み作品制作や展示の場にして芸術の街として売り出したというわけだ。これが、現在の街の姿の成立の簡単な経緯である。

だが、これは果たして良いことばかりだったのだろうか。摘発された店で働いていたのは移民が多く、低所得で、身寄りがなかったり別の職に就くのが簡単ではない人も少なくない。街の「浄化」の過程で多くの人間が露頭に迷うか、別の地で似たような仕事で生計を立てることになったことは想像に難くない。地元住民は直接的な利害関係にあるアクターであるから、こうした人々との間に軋轢があるのは当然のことではあるが、社会全体で見れば課題が残る状況で、アートサイドはある意味で排除に利用されるともいえる。しばしば規範や道徳を相対化して社会の問題を告発してきた現代アートは、これを無批判に受け入れてもいいものか慎重に考える必要があるだろう。

やはりアーティスト達はそのことと真剣に向き合っていて、いくつかの作品では直接的に街の歴史に触れている。中には、地元住民が他の家に投函したと思われる活動の中で性産業の人と関わりを持ったアーティストを排除しようという内容の紙の写真も使われていた。

黄金町バザールは、アートとコミュニティの関係をテーマに掲げていて、紹介した作品の他にもアジア圏のアーティストが多く参加していたり、地域防犯拠点が会場の一部になっていたり、黄金町アーティストマネジメントセンター設立以前から地域活性化に取り組んでいた横浜市立大学の研究室の学生よる取り組みが展示してあったりする。イベント全体を通して、アートの街黄金町を形づくる段階で様々な立場の人々の思惑が入り乱れていた痕跡を読み取ることができる。それは決して単に排除を巡るアーティストと地域の二項対立というわけではなく、アートが市民を「啓蒙」するという関係でもない。タイトルにある「世界のすべてがアートでできているわけではない」という言葉の通り、アートも一つの立場であって自分たちの信じるものを大切にし努力するが、街の姿を形づくるのは関わるすべての人々のコミュニケーションの結果であるということを、歴史をもって体現している。

このメッセージは、横浜美術館の展示に対するアンチテーゼとしての側面を持っているように思う。メインの展示である「野草:いま、ここで生きてる」は戦争や気候変動といったテーマを扱ったものが大半で、それは当然大事なことなのだが、ポリティカル・コレクトネスに束縛されているという印象を受けるのも確かだ。美術館という権威的な空間で、誰もが認める(認めなければならないという外圧のある)題材を扱うのは、開催者としてふさわしい態度ではあるものの鑑賞者にとっては自らの立場の正しさを確認して安心する作業になってしまいがちである。現代アートの魅力であり役割でもある、わたしたちが持っている認識の枠組みを相対化し新たな見方を提示するという力は、むしろ美術館の外でこそ発揮される。もしも黄金町エリアを再開発して大きな商業施設を建てていたら、きっとこの歴史は塗り潰されなかったことになっていただろう。建物や街の成立を考え続ける人が残り、生々しく複雑な負の歴史の継承に成功した黄金町だからこそ示すことができる地に足のついた議論があるはずだ。

横浜の街に展開される「UrbanNesting:再び都市に棲む」「黄金町バザール2024 ”世界のすべてがアートでできているわけではない”」は、前衛的な表現や善悪の規範を相対化し新たな視点を提示するという意味で、美術館を中心とする「野草:いま、ここで生きてる」の展示とは異なる力を持っている。これは美術館の展示が悪いというわけではなく、横浜トリエンナーレの顔であり多くのスポンサーがついたメイン展示では果たし切れない役割を担っているということだ。美術館と街中の展示は相補的な関係にあり、両方観てこそ横浜トリエンナーレが見せたかったものが見えてくる。だからこそ、美術館の展示を観に行くなら、ぜひセット券を購入して残り2つの展示群もまわってほしい。一日でまわるには相当距離があるので、何日かに分けるのがおすすめだ。街中の2つのチケットは会期中何度でも入れるパスポートになっている。

最後に、ここまで黄金町バザールについてだいぶ社会派な話をしてしまったが、面白いものを観たいという動機だけで行って十分に楽しめる展示だ。特にインスタレーション好きにとって、街中の建物がひとつひとつ作品になっているのはこれ以上なく楽しい空間である。現地を歩くと目を引くものも多い。嘘みたいなペットショップとか。

外装は会期中何度も変わるそうなので、今行ったら違う店かもしれない。中には何人かのアーティストの作品が展示されていて、外の見た目とは驚くほど関係のない空間になっている。

横浜トリエンナーレ公式サイト

「Urban Nesting:再び都市に棲む」公式サイト

「黄金町バザール2024 ”世界のすべてがアートでできているわけではない”」公式サイト


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