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自分と深く繋がり生きる

自分の外側ばかりに意識をむけていると、
そこへ向かって行動するために、頭も身体もフル回転で動き続けることになるために、疲れやすくもなり、心や身体が疲弊することに繋がる。

出来事や周りの人に振り回されたり、
それでモヤモヤしたり、イライラしたり、
どちらかというと
外側の出来事が自分の気持ちや行動を先導しているようなかんじでいつもそこへ思考が引っ張られることにより、責任や義務感、せねば、しなきゃ、思考優位になるかんじ。

瞑想やヨガもいいのだろうけど、
私はしないのだが、、

なぜなら
ヒーリングやマッサージもそうだが、
その時は落ち着いたら、
その時は癒されたり、、

でも 日常で起こる出来事に振り回されることがなくなるわけではないから。

振り回されることを、振り回されていると認識していなくても、身体や心の疲れ、疲弊を感じるなら、そういうことである。

身体はいつも正直に教えてくれる。

それを真っ直ぐに受け取り、
自分の今に生かすことを重ねていれば、

何をしていても
何をしていなくても

そういうことに関係なく

引っ張られることが減る。

そして、完全に無くなる。


なんという平和、なんという集中、没頭!

なんという明快!明晰!気持ちよさ!


それこそが、
生命エネルギーが巡り、
曲がった思考を展開することなく、
スムーズにシンプルに
今ここの自分に全集中して生きている状態。

この状態こそ、健やかさ。


人の中に男性性と女性性がある。

これを自身で育み続ける必要がある。

それが、
人間性の向上であり、
人間の完成へ向かうことだと考える。

幼い女性性だと男性性も幼い。
幼い人間性である。
だから 幼いパートナーシップとなる。

成熟した女性だと男性性も成熟している。
成熟した人間性である。
だから 成熟したパートナーシップとなる。

この自分の中の人間性を育む指針として、
パートナーシップを代表とするすべての人間関係や状況変化を使っていく。

こちら側が使うのだ。

現実に使われるから疲れる。

主軸であるのは、いつも自分。
先導するのも、いつも自分。

力を外へ与えてはいけない。

だから自分がちっぽけに感じる。

力は自分が持っておく。
自分が自分へ与え続けるのだ。

どんな時も、、

それが成熟した男性性の力。

中心にいつも自分を置くということ。
生きている自覚と責任を持って存在している、ということ。

しっかりと立ちあがっている、ということ。
だから 凸なのだ。


では 凹はどうだろうか。


女性性は穴であるから、
自分のなかにぽっかりと空いた空虚感のこと。

いつもいつも思考も行動もフル回転で、
べきねばでいきていると、

その深い女性性の空虚感は邪魔になる。

フル回転の思考や行動は、
空虚感の払拭行動であるために、
その穴の存在を認識することはない。

穴を埋めようと必死だから。

あってはいけないもの、としているから。

穴、空虚感の本質とはなんなのか?

自分を深く深く感じることにより、
自身の弱点や弱み、苦手、怖さ、不足感、心配、寂しさ、として 奥の奥にあることに気づく。

それは、払拭行動を重ねるほど、
うまくいかない現実を創造するために、
疲弊や疲れやすさ、生きにくさを強く感じることとなる。

払拭行動だと分からせるために、
現実が動くから。

払拭行動と、気づき、
自身の空虚感を自覚することが先。

そして、
その上で、その空虚感に呑まれることなく、
払拭行動へ展開することなく、

ただその穴を空けておくこと。


穴埋めして、誤魔化さないこと。


それが、
真の女性性の素直さ、純粋さ、であり、
真っ直ぐに恵みを享受していいという自身への赦しでもある。

それは、自分の男性性を生かすこと。


だからこそ
本当に欲しいものが容易に創造される。


そういう仕組み。


その女性性の穴埋めされてない穴を通して、

真の男性性が立ち上がる。


真っ直ぐに、創造される。

外側へ引っ張られず、
正解を選びにいかず、

自分が正解にすればいい、という生き方
自分主導の生き方が、

とことんその穴をとおして、

見事に キラキラと創造されていくのだ。


人というとは
本当に磨けば磨くほどに、素晴らしい現実を創造できる。

無限の可能性を秘めている。


たくさんの若者が体現しはじめている。


すごいなー、見事だなー。

全てに感謝をして
大好きを真っ直ぐに大好きでいて、
目の前のことに集中して、
自分を信じていると、

きっと自然に想像されるから、
そういう方々に巡り合い、
ご縁を繋いで、創造されていくんだな。

教えてくれている。

だから今日も
淡々と自分のことをしよう。


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