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編集後記「バッターボックスに立ち続けて」

※この記事は雑誌「1番近いイタリア2021秋号」の編集後記からの抜粋です


編集後記「バッターボックスに立ち続けて」

シートベルト着用サインが点灯し、まもなく着陸態勢に入るとアナウンスが流れた。近づいてくる成田の夜景を見ながら、着陸の瞬間が好きだと思った。旅の終わりを予告され残念な気持ちがおこるともに、何とも言い難い安堵感に包まれる。シートに頭を付けて目を閉じると、イタリアでの日々がありありと浮かぶ。1ヶ月も過ぎたことが信じられなかったが、頭の中で到着した日から「○日、〇〇をした」と思い出していくと、全ての日付が埋まり、確かに時が過ぎたことを悟った。

イタリアは人間が作る社会であった。乗るはずのバスが来なくて、駅員に聞くと「運転手が運転したくなかったのでは」と返事が来た。そうか、奥さんが風邪でも引いてしまったのだろうかと話す。客にとっては、次のバスは4時間後なのである。それよりも人が気持ちよく働き、良く生きることが重要なのだった。

帰国前もPCR検査機関を探すのに苦労した。色んな人が自分ごとのように必死になって、心当たりのある場所の住所や電話番号を教えてくれた。しかし、バットを振り回してもボール球や変化球には当たらず、もはやこれまでと思ったが、最後に特大ホームラン。空振りから学んだことはあったのだ。数日前、朝カプチーノを飲んだバールで会った人が、行きつけの薬局付属の研究所で検査の予約をねじ込んでくれた。
ところが、入手したばかりの陰性証明書を空港で開くと、パスポート番号が書かれていなかった。普通なら、ホームベース踏み忘れで得点できず、というところだが、入管に問い合わせ、審判は特殊判定で得点としてくれた。

なぜこうなのか。もっと上手くやれる方法はないのだろうか。ところが、振り返っても良い方法が思い当たらないのだ。ルールと常識のもとで計算をして生きるには、不合理、不便、不確実に溢れすぎているからだ。それならば、バッティングのシュミレーションを沢山するよりも、バッターボックスに立ち続けるのが勝ち筋だ。アウトの残り数が減るのではなく、ファールの数だけ得点に近づくゲームだからだ。ここではボウル球を振っても怒られない。無論、バットは振らねば当たらないのだから。だから、空振りを大いに嘆きつつ、ベンチがそれを笑いに変えながら、自由なバッティングフォームを育む。

そんなメチャクチャなゲームに1つだけ鍵があるとすれば、それは、この社会の根底にある「人を信じる心」だと思う。人を助け、頼り、暑苦しいほどの人と人との繋がりで生きていく。優しいランナーコーチがいて、何層もバックネットがあるから、何度もバッターボックスに立つことが出来るのだ。そして、どうしようもないピンチに陥った時、人の力が奇跡を起こす。そんな奇跡が起こるから、私はこの国に魅せられ続けているのかもしれない。

さて、今号で「一番近いイタリア」もちょうど2周年。皆様の温かい声援に支えられて、ようやく8回空振り出来た。無論、しぶとく来年もバッターボックスに立ち続ける。いよいよ来年は、イタリアからのお届けだ。お楽しみに!

※この記事は「1番近いイタリア2021秋号」からの抜粋です。

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「1番近いイタリア」とは

「日本の食材で楽しむイタリア家庭料理」をコンセプトとする雑誌です。

イタリア家庭料理研究家の中小路葵によって年に4回発行される季刊誌です。

コンテンツには、エッセイ、テーマの州の紹介、日本の生産者のインタビュー取材、イタリア本の書評、イタリア紀行などが入り、イタリアの食を切り口に「豊かな食」を綴ります。


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