女の子だから野球を続けられなかった、ソフトボールじゃなくて、わたしは野球がしたかった
中学校に入学したばかり、部活動についての面談のとき。
私
「野球部に入りたいです。少年野球ではピッチャーやってました」
野球部の顧問の先生
『あぁ〜、女子は入部できないね。ソフトボール部に入ったら良いんじゃない?』
男子は野球、女子ならソフトボールという謎の固定概念
両者ともに全く違うスポーツなのに。
どうして違うスポーツを勧めてくるんだろう。私は 野球がしたい と言っているのに。
他のスポーツだったら どうだろう
たとえば、小さいときからずっと卓球をやってきて「卓球が好きだから中学校でも卓球を続けたい」と言っている子に向かって「卓球は辞めて、テニスに変えたら?」なんて言葉を簡単にかけられるだろうか。
同じようにラケットとボールを使う競技だから???
テニススクールに通っていて「テニスが好き! もっと上手くなりたい!」と言っている子に、バトミントンにしたら? なんて言葉をかけるのだろうか。
「小学校ではバレーボール部のエースでした、将来の夢はバレーボール選手です。中学でもバレーを続けたいです」という子に、バレー部には入れないからバスケ部にしたら? なんて気軽に勧めるのだろうか。
野球とソフトボールは全く異なるスポーツ
野球とソフトボールでは、ボールの大きさもフィールドも、投げ方も打ち方も、グローブもバットもユニフォームまでも全てが異なる、全く別のスポーツ。
写真1:ソフトボールのピッチャー
写真2:野球のピッチャー
ピッチャーの投げ方などを見てもらったら、あまり詳しくない人でもその違いは一目瞭然だと思う。
ハタから見たら同じのようにに見えるのだろうか、それとも女の子は野球じゃなくてやはりソフトボールをすべきなのだろうか。
今回、アイキャッチ画像に使用させてもらったイラストを見ても分かる。下投げだからソフトボール? なんて思う人もいるかもしれないけれど、これは野球のアンダースローという投げ方で、ソフトボールの投げ方ではない。
どちらが良くて楽しいなんて話では決してなく、全く別のスポーツだということを当時の私は分かってほしかった。
野球がしたいと言っているのに、なぜ違うスポーツの道へと逸れなければならないのだろう。逸らされるようなことを言われてしまったのだろう。
結局、野球部に入ることのできなかった私はずっと野球に憧れを抱いたまま、半(なか)ば諦めるように中学校生活を終えました。
小学校では少年野球部に入っていた
小学校では少年野球部に入っていて、部員のなかで女の子は私一人きりだったけれどとっても楽しかった。
練習を頑張って、公式戦では先発ピッチャーを務めるようになって、どんどんと野球の楽しさに惹かれていった私は、中学校でも野球を続けたかった。
いたってシンプルな動機だったと思います。
けれど、中学校に上がったら突如として私の野球への道は閉ざされてしまった。
どうして女の子は、男の子のように普通に野球を続けることができないんだろう。
そんな単純なことへの答えはなんだか複雑そうで、私はいつまでも理解ができなかった。
野球との出会い
昔から外遊びが好きだった私は、よく公園で何かしら体を動かして遊んでいました。周りの女の子たちは、リカちゃん人形など家のなかでの遊びを好む一方で、私は家の外で鬼ごっこをしたり鉄棒などでの遊びが好きだったのです。
ずっと外で走り回っていたいタイプで、兄がサッカー部に入っていたのも関係してよく一緒にサッカーをしていました。
小学校に上がる前から、兄と一緒にKAMO(サッカー用品ショップ)に行ったり
家では※ウィニングイレブンで遊んだりして、まずはサッカーを通してスポーツの楽しさを知りました。 ※サッカーの有名なテレビゲーム
そんなスポーツの楽しさを知っていくうちに、私は野球に惹かれるようになって。
お兄ちゃんはサッカー、私は野球。
野球に惹かれるようになったキッカケは、兄がサッカーの練習中に腰を怪我してしまい、サッカーを続けることができなくなったことからでした。
怪我のためサッカー部を退部した兄は、最初の頃はよく元チームメイトのサッカーの試合へ応援に駆けつけていた……けど、次第にサッカーの応援ではなくプロ野球の観戦に行くように。
(当時は幼すぎて何も深く考えていなかったけど、自分が辞めたサッカーを見るのがしんどくて野球観戦に移ったのかも知れません)
そんなふうにプロ野球観戦が趣味になった兄は、キャッチボールをするように。なぜならサッカーほど走ったりせず、体に負担なく出来るから。
そして、そのキャッチボールの相手はいつも私でした。
投げる、ボールを捕る、その繰り返しなのに、それが楽しくてたまらなくて。
こんな感じで私はどんどんと野球の楽しさと魅力に惹かれていって、それはとても自然なことで。
野球を好きになるのに、性別は関係なかった。
野球大好き少女の誕生
そんなふうにどんどんと野球に惹かれていった私。
お兄ちゃんは遠くまで投げることができるのに、私は遠くまでボールを投げることができない。
お兄ちゃんは変則的に跳ねるボールを上手にキャッチできるのに、私はできない。そんなことが気になって、野球をもっと上手くなりたいと思うようになった。
そして元少年野球部出身の父に野球を教えてもらうようになった。
投げるときはヒジを固定するんじゃなくて、ムチのようなようなイメージで。
ボールは必ず体の正面で捕るように。遠くに投げたいときは全身を使って……etc
こんなふうに野球を教えてもらい初めると、投げれる距離もどんどん伸びていって、不規則にバウンドする球もちゃんと捕れるようになった。
もっと野球がしたい、もっと野球が上手になりたい、ピッチングもバッティングも、守備のノック練習も受けてみたい、試合にも出てみたい。
そんなふうにドンドンと野球に惹かれていった。
そして「野球部に入ろう」と、通っていた小学校の少年野球部に入部しました。
誕生日プレゼントはキャッチャーマスク
野球部に入部するとなると、道具もちゃんと揃えないといけない。でも一気に全て(バット、グローブ、ユニフォーム、練習着、スパイクなど)を揃えるとなると
結構な額になるため、小学生の私のお小遣いでは到底無理でした。
だから最初の必要最低限の道具は両親に買い揃えてもらい(ほぼ全てセール品)、そこからは自分のお小遣いが貯まるごとに、バッティンググローブ(片手用)やグリース(グローブの皮を柔らかくする薬剤)を買ったり、お年玉ではキャッチャーミットを購入しました。
ちょうどそのときミズノのロゴが新しくなるというタイミングだったので、旧式のロゴが縫い付けられたグローブはセールになっていたのです。ラッキー♪ と思いながらロゴマークが古いという理由で半額になったキャッチャーミットを手に入れました。
新品のグローブは硬くて小学生の握力ではびくともしない。そんな新品のグローブを何度も揉み込んでは、ボールを握らせた状態で縛ってコタツのなかに入れて柔らかくする、そしてひたすら実際に使う。野球経験者ならこの工程が分かると思うけれど、こんなふうに本当にどこにでもいる野球大好きっ子でした。
誕生日が近づいてきたときのこと、
母『誕生日プレゼント、なにがいい?』
私「軟式野球用のキャッチャーマスク!」
母『……』
野球部での私の背番号は11番。いちおうピッチャーだったのにも関わらず、野球の全てが好きすぎて誕生日にキャッチャーマスクをお願いするほどに。
自分もピッチャーなのに、練習では背番号1番エースの投球練習キャッチャーを自ら志願して勤める。
どうやったら捕るとき(キャッチング)にパシン!ズドン! と良い音が鳴るか、ピッチャーが投げやすい捕球とはどんなものか、どうやったらボールをストライクゾーンに入れて捕れるか。こんなことをずっと考えて(もちろんピッチャーの投球に関しても)、野球の本やビデオを熱心に見て研究していました。
当時 好きだったゲームとマンガは見事に野球三昧。
『パワプロ君』『ダイヤのA』『おおきく振りかぶって』『ドカベン』『ドラベース』『MAJOR』(当時は朝にアニメも放映されていた)『バッテリー』『弟キャッチャー俺ピッチャーで!』『ミラクルボール』などなど
部活の練習では、周りに負けないようにスクワットもダッシュも、ほかの子たちよりも大声を出してノックの練習を受けて、夜にはガレージのなかで素振り。投げすぎてヒジが痛い日や、寒すぎてボールが投げにくい日は、代わりに走り込みで体力づくりなんてこともしていました。
野球帽のしたのほっぺたには日焼けでそばかすが現れて、手のひらにはいつもマメがあってツメにもヒビが。お風呂に入るときに全身を見ると、体のあちこちにボール形クッキリに紫のアザがたくさんできていたけれど、そのどれもが野球を頑張った証拠だからとても愛おしかった。
練習が無い日には、近くの広場で野球部の友だちとキャッチボールをしたり投球練習をしたり、雨の日はバッティングセンターに通うなど本当に野球のすべてが好きだったのです。
でもいつも「女なのに、なんで野球してんの?」とからかわれた
こんなふうに普通に野球が好きだっただけなのに、女子だからという理由だけでからかわれることが、とても多かった。
野球部に入ったときも「野球部って本当は女は入っちゃいけないのに」「女が野球するなんて変だ」「お前、実は男なんじゃないの?」なんて、
女なのに、女なのに、女なのに
ずーっと言われ続けていた。
逆に聞きたかった、なぜ女の子だったら野球をしたらダメなの? と。
……いま書きながら思い出したけれど、「お前ぜったい男だろ、実は女じゃないんじゃないの?」と茶化されながら冗談で体を触られたこともあった。
向こうは冗談だったのかもしれないけれど、私にとっては決して冗談ではなかった。
この記事を書く今のいままで忘れていた。けれどいま思い出してしまった。
もしかしたら、当時の私は記憶から強制的に消去してしまうぐらい、ひどく傷ついていたのかもしれない。
将来の夢はパティシエ (プロ野球選手)
小学校の卒業式は、自分の名前が呼ばれるときに一緒に「好きなこと」と「将来の夢」も合わせて発表されるという謎の形式だった。
卒業式の予行で
好きなこと:野球をすること
将来の夢:プロ野球選手
と書いていたら、予行が終わってから友だちにとても茶化された。
「女がプロ野球選手なんて、なれるわけないじゃん」
「女なのに野球が好きって、おかしい」
「お前、やっぱ男だろ? この男女(おとこおんな)!」...etc
いま思い返すと結構、残酷なことばかり言われていた。
だから卒業式本番では、
好きなこと:野球をすること
将来の夢:パティシエ
に変更した。
パティシエになりたいと思ったことなんてなかった。もっと言うと、お菓子作りはあまり好きじゃなかった。
女の子は、将来の夢に「プロ野球選手」なんて言ってしまうと、とってもとってもおかしいようだったから「女の子っぽい」職業を適当に書いた。
(Yahoo!キッズで「女子 将来の夢」と検索して、上位のお花屋さんかどちらにするか悩んでパティシエにしたのまでハッキリ覚えている)
小学校の卒業式なんかで自分の信念を主張したところで、みんなの理解が追いついてこない。
だからみんなが理解しやすいように「とっても分かりやすい」女の子の将来の夢に変えた。
卒業式で自分の名前とともに読み上げられた「6年1組、卒業生○○ ○。好きなこと、野球をすること。将来の夢は、パティシエ」という声を耳にして、自分で「なんだそれ(笑)」と笑っていた。もはや笑うしかなかった。
心のなかは、泣いていた。
そんな感じで中学生になった私
中学生になると、もう野球部には入れませんでした。「試合に出るのは無理でも、練習にだけでも参加させてほしい」と顧問の先生に相談したけれど、やっぱり断られてしまった。
でも正直、もう中学生になった私は、頭ではちゃんと理解していたのです。
身体的な能力にもこれからもっともっと差が出て練習にもついていけなくなることや、男子のなかに女子が一人でも混ざると着替えなどが困ること(顧問の先生の目がないときも多くあるため、いろんな問題が起こってしまうのを回避するため)などを。
小学校のときの合宿練習も私だけ宿泊はできず、これはもちろんで、お風呂や着替え、宿泊を含むものに女子が参加できるわけがなかったから。
試合で行った球場の選手用トイレには女子トイレがありませんでした。
だから人がいないときを見計らって、部活のお手伝いをしてくれている他のお母さんに見張りを頼まないといけなくて。
これも分かっている、全ては私が女の子であるというのが原因で、男の子のものである野球をしようとしたからだったのです。
ここで捉え間違いしないでほしいのが、男子のなかで野球をしたかったのではないことで、男女の化学的な身体能力に違いがあるのは当然だから。
でも、だからこそずっとずっと不思議に思っていた。今でも純粋に思います。
これがバスケットボールだったら?
女子バスケも男子バスケもあるのに。
これが卓球だったら?
女子卓球も男子卓球もある。
これがテニスだったら?
女子テニスも男子テニスもある。
どうして野球は、そうじゃないんだろう。
高校野球では女性は高野連主催の大会には出られません。
甲子園球場なんて最近やっと女性監督がグランド内でノックしたりすることが許されるようになったくらいです。 練習をいつも手伝っているマネージャーでさえ甲子園練習のグランド内に入るなといわれていました。
引用元:Yahoo! Japan知恵袋『オリンピックで男子ソフトボールと女子野球はなかったと思うのですけれど…(後略)』より一部引用
じゃあ、女子野球部を探して入ればよかったのでは
女子でも野球ができる環境を探せばよかったじゃないか、と言われてしまうかもしれませんが、実際にこれも探しました。
でも当時は女子野球部なんてごく少数で、私が通える範囲にはなかった。
本気で野球をしたかったのなら引越して……みたいに言ってくる人がいるけれど、そうじゃなくて。言いたいのはそうじゃなくて。
ある日、中学校の先生から「じゃあ、そんなに野球が好きならば野球部のマネージャーになったらどうだ?」という提案があったのですが、私は野球をするのが好きなので、と断りました。
男子だけが楽しそうに一生懸命 野球をプレーしている姿を目の前にして、自分は傍らで羨ましい気持ちを抱えながら応援してサポートするなんて、とてもじゃないけれどする気持ちにはなれませんでした。
元少年野球部OGとして練習のお手伝い
野球をプレーする道はほかにあるだろうかと考えた結果、小学校で入っていた野球部にOGとして練習の手伝いに通うように。
これならボールを投げられるし、捕れるし、バッティングもできる。
片手でバットを持ってノックを打つ、選手からの返球をひたすら捕る、バッティング練習用のピッチャーとして打たれるようの棒球を投げる、ひたすらに玉拾いをする、自分ではないスパイクで荒れた運動場をトンボがけする。
でもやっぱり、13歳の私は、そんな野球がしたいのではなかった。
小学校で一緒に投げていた友だち(男の子)は中学校の野球部でエースになっていて、中学3年生のときには野球部のキャプテンになっていた。
小学校のとき、球速は同じだったのに。
男女の身体的な違いがあったとしても、もし私も練習を重ねることができていたら、そのまま野球を続けることができていたら、私ももっと早い球を投げることができたのでしょうか。
球速は小学校の、12歳で止まったまま。
私も普通に野球がしたかった。
女だから、女だから、女だから
そんなちっぽけな理由で、好きなスポーツも自由にできなかった。
いまはYouTubeやSNSなどで「女子で球速○○/km」などをよく見かけるようになりました。
もしあと10年、私が生まれてくるのが遅かったら、時代が少し進化した今ならば、私も野球を普通に続けられただろうか、そんなことを25歳になったいまでも考えることがあります。
純粋に野球が好きでプレーしたかった少女は、平日は一人壁に向かって投げて、休日はたまにバッティングセンターに行って、ときどき友だちとキャッチボールをして、週末の朝にメジャーリーグをケーブルテレビで観る程度の子に。
将来の夢は「プロ野球選手」なんて言っても、ひどい言葉をかけられることもなく中高まで好きな野球を普通に続けられる友だちが羨ましかった。
それは今でも変わりません。
映画 『リトル・ダンサー』 を見たことありますか?
映画『ビリー・エリオット』は、イギリスの炭鉱町の男の子がクラシック・バレエに夢中になり、名門ロイヤル・バレエ学校に入学してバレエ会のトップを目指す話です。
イギリスの炭鉱町で暮らす11歳のビリーは、ふとしたきっかけからクラシックバレエに夢中になる。男がバレエなんてみっともない、と炭鉱ストで失業中のパパは猛反対。だが、バレエの教室の先生だけは、ビリーのダンサーとしての素質を見抜き、応援する。やがてビリーの才能に気づいたパパは、名門ロイヤル・バレエ学校に入りたいという息子の願いを叶えるため、ある決意をする。
引用元:『リトル・ダンサー』Amazon Prime Video 作品紹介文から
スポーツにまとわりつく性別の概念を問いかける映画
この作品を語りだすと止まらなくなってしまうのですが、ビリーが冒頭で着ているタンクトップは黄色。青でも赤でもなく比較的、性別と結びつけられていない色が使われています。また、BGMには当時の性別の概念を取っ払う※グラムロックが使用されていたりと、この作品に込められたメッセージはとても深いものがあります。
※グラムロックでは男性メンバーが長髪、スカート、化粧をするなど当時としては衝撃的なものだった
「バレエをやりたい」というビリーに対してお父さんは「バレエなんて女がやるものだ。男らしくボクシングをしろ」なんて言葉をかけます。
それでも女の子のなかで男の子一人きりで、バレエを練習していくビリー。
鳥のように自由に、空を飛びたい。そんな純粋な想いでバレエを踊りつづけるビリー。
性別に関する抑圧や固定概念を押しのけて、自分を信じてバレエを踊り続けたビリーが掴んだ未来は一体どんなものだったのでしょうか。
興味を持たれた方はぜひ見てみてください、素敵な作品でとてもオススメです。
バレエ = 女性のもの
ボクシング = 男性のもの
こんなしょうもない考え、いったいどこからやってきたんだろう。
そんなしょうもない考えによって、いままでどれだけ才能ある子が開花せずに一生を終えたのだろう。
ピンク = 女の子
ブルー = 男の子
っていったい誰が決めちゃったんだろう。
女の子でブルーが好きな子もいるし、男の子でピンクが好きな子もいる。
そんな単純なことが、なんでいつまでも分かってもらえないんだろう。
誰が分からないんだろう。
誰が分かろうともしないのだろう。
どうして、女の子で野球が好きというだけで、私はあんなにひどい言葉をたくさん受けなければならなかったのだろう。
フリー画像でも、女の子が野球をしている写真をなかなか見つけられなかった。
当時の自分を解放させてあげたくてここまで書き殴ってしまいました。
私が生きている間に、もう少し時代は進化するのかな、したらいいな。
今でも私は、野球をすることが大好きです。
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