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髪色が、 私にひとかけらの自信をくれた


 校則で髪の毛を染められなかったとき、私がずっと思っていたこと。

" 髪色を変えれば、もっと大人に、もっと垢抜けて見えるのに。
 ……もっと違う自分にもなれるのに "


 変身願望:今と全く異なるものに変わりたい、自分とは別の身分や外見になりたい、という欲求。 変身への願望。

weblio辞書「返信願望」から引用



幼く見える私 、 大人っぽいあの子

 高校生のとき、校則で禁止されていた髪染め。

夏休みなどの長期の休みに突入すると、すぐさまSNSには髪色を変えた友人の姿があった。黒髪から茶髪へ、黒髪から金髪へ。

いつもと髪色が少し違うだけで、どこか大人びて見える友人の姿。

そんな友人たちはどこか大人っぽい子が多くて、いまから振り返ると、私はそういった子たちへの憧れがあったのかも知れない。



「私も髪の毛を染めたら、大人っぽく見えるだろうなぁ」

そんなことを考えながら、流行りはじめていた加工アプリで自分の髪色を赤色にしてみたり、金色にしたり茶髪にしたりしていた。画面越しに見る自分の姿は新鮮で、もし髪色を変えたら私は違う自分になれるのではないか、そんなふうに焦がれる部分が大いにあったのだと思う。


当時のプリクラを見返しても、私だけ髪色を変える加工をしていたりするため、そこからも伺えるその憧れはよっぽどだった。


髪色を変えた友人たちの姿をスマホで見ながら、私も本気で髪の毛を染めようと何度か決心した。ただ、長期休みでも毎日のように予備校の授業はあるし、さらには部活で登校しなければならない日も多くあったため、髪の毛を染めることは結局できなかった。


どうにかして染めずに髪色を変えることは出来ないかと、リサーチ。すると、リンゴ酢で脱色するとバレない程度の茶髪になるらしい! との情報を聞きつけて、10代ならではの綺麗な髪の毛をわざわざ痛め、リンゴ酢を購入して脱色をした。


他人から見たら全く分からない程度の、微妙に明るくなった髪の毛を何度も鏡で見る。それだけでどこか大人びて見えるような感覚。今から考えるとまるで子どもの発想だけれど、当時の私は真剣にそう思っていた。


髪色を変えたら、違う自分に出会えるんじゃないかと真剣に信じていたから。


 接客のバイト

 高校生のときにしていた接客のバイトでは、幼く見られることがとても多かった。幼く見えるとなにが嫌か、一言で表現すると、大抵のお客さんに下に見られて、舐められた態度を取られることが多いことだった。

人は外見ではなく、中身が大事。私自身も純粋にそう信じたいし、今でもそう思う。ただ、中身を知ってもらう段階まで行かず、それより前に外見だけで瞬時に判断されてしまう接客業では、外見が左右する部分が現実問題として多少はあった。


どうして私は、いつもお客さんに舐められた態度を取られてしまうのか。そのことに対して、私はずっと「髪色が黒くて、地味で幼く見えるからだ」なんて悩んでいた。そんな経験は私の自信を少しずつ薄めていった。

クラスメイトのような同年代を相手にした場合であっても、対等な関係ではなく、下に見られてしまうのではないかと、そんなふうに対人関係への自信が薄くなってしまったのだ。



手っ取り早い方法が、 私にとっては髪色を変えることだった

 知らず知らずのうちに薄まってしまった私の自信。お客さんから横暴な態度を取られるたびに、自分が密かに感じていたことが経験として積み重なって確固たるものになっていってしまうこと。


バイトでは、レジなど決まり切った業務を行うだけだったので、私が下に見られがちな原因はおそらく外見だろうと判断した。だから私は、大学デビューのために外見を変えようと思った。その手っ取り早い方法として思いついたのが、髪色を変えることだったのだ。


大学では、もっと色んな人と交流して、ちゃんと対等に人と付き合いたい。ずっと下に見られるのは嫌だ。薄まってしまった自信を取り戻すために、高校の卒業式の翌日、私はついに髪の毛を自分で染めた。



生まれて初めて髪の毛を染めた日

 ついにやってきた高校の卒業式の翌日。どんな色にしようか想像を巡らせながら、ずっと前からドラッグストアで購入していたカラー剤。それで私は髪の毛を自分で染めました。

生まれて初めての毛染めは、自分の手で行いたいというナゾの確固たる願望があったため、自分で染めることを選んだのです。


肩からバスタオルをかけて、ブカブカの透明の手袋を着け、ぎこちなく1剤と2剤を容器に入れ、少しだけ水を垂らしたらボトルをシェイクして混ぜ合わせる。染まりにくい後ろの髪の毛から、根本の部分から、どんどんと髪の毛全体に薬剤をつけていって、最終的には手で揉み込んでサランラップを巻いて、待つ。

目の前には頭にサランラップを巻いて、不安と期待が折り混じる不恰好な自分の姿。

いよいよタイマーが鳴って薬剤を洗い流し、タオルドライ。染料でタオルがうっすらと色づきながら、パッと顔を上げるとそこには、たしかに髪色が明るくなった自分がいました。

でもそれ以上に、髪色が明るくなったのと同時に、私は自分の顔色も明るくなったことに気がつきました。


「自信なんて、そんな簡単につくものじゃない」
「自信っていうものは、もっと内面から磨き上げるもの」
「自信が、外見を変えてつくなんて、薄っぺらいものだ」


そんなふうに思われてしまうかも知れません。

でも当時の私は、ほんのちょっとでもいいから、ひとかけらの自信がほしかったのです。

それは本当に、ちょっとしたことを助けてくれるようなもので良いから。


大学の登校初日、隣に座った子に自分から声をかける勇気を、そっと後ろから押してくれるような少しの自信。

ガイダンスで分からないところを、前の席の子に聞く勇気を、後押ししてくれるひとかけらの自信。

留学生の歓迎会に一歩足を踏み入れる勇気、最後の一歩をそっと踏み出す自信。


そんなちょっとした自信が当時の私は欲しかったのです。それが私にとっては、パッと見て分かりやすい髪色を変えるという行為だっただけ。


大学に入学してから、私の髪色はどんどんと明るくなり、最終的にはハイトーンまでいき、そこからは、青系とか緑系の色にしたらどうだろう? 赤っぽいのはどうだろう? 金髪にしたら青い服が似合うかな? アッシュ系も良いなぁ、なんて純粋になってみたい髪色が増えていって、学生時代にしかこんなことできない! と思い切って一通り髪色を変えてみました。

赤っぽいの、緑っぽいの、青っぽいの、金髪、アッシュグレー。


髪色を変えたことで、新しく出会った人たちの反応などが変わったのかどうかは分かりません。その接客業のバイトも高校卒業時に辞めたので、比べようがありませんでした。もしかしたら全く変わっていなかったのかも知れません。でも、私の気持ちはたしかに変わったのです。

仮にたとえるなら、「お守り」みたいなものでしょうか。


昨日までの自分と、髪の毛を染めてからの今日の自分に、大きな区切りを一つつけて、新しい自分を生きること。

自分がなりたい自分、ありたい自分で過ごすこと。


それが私にとっては髪の毛を染めることで、他の人は気づきもしない(もしくは気にもしていない)変化かも知れないけれど、他の誰よりも私自身が一番に私の姿を見ているから。自分で目にするたびに、昨日までの自分とは違うことを意識するから。



 たったそれだけだったけれど、高校生のときに比べて、私は少しずつ自信を取り戻すことができて、いろんな人に話しかけられるようになりました。すると、そんな少しずつの自信が私の内側にも変化をもたらしたのか、いろんなことに対して行動が起こせるようになって、そうなってくると、行動や経験を通して本当に自信がついてきて。

大学では色んな人と積極的に交流するようになり、外部の勉強会にも参加したりと、どんどんとポジティブな変化が起きました。

……すると不思議なことに、まだ好きな髪色に染めていて良い在学中だったにも関わらず、私は自然と黒髪に戻していました。



おそらく、もう黒髪の自分で大丈夫だと感じられたのだと思います。



あれから数年が経ち、仕事柄どんな髪色でもいい環境のいまでも結局は地毛の黒髪のままです。髪色に限って言えば、色んな髪色にしたけれど、結局自分には生まれ持った髪色そのままの黒髪が一番似合うことに気がつきました。


アイドルとかを見て、たまには明るい色にしたいななんて一時的に思うことはあっても、基本的に髪の毛を染めたい欲はなくなりました。


それもこれも経験したから、それで満足したのかも知れません。

そんなふうに、髪を染めたり、ヘアースタイルを変えていつもと少しだけ違う自分になる。自分の好きな服を着て、堂々と歩く。勉学に励んでゆっくりと、でも着実に自分を高めていく。


人によってその方法も、かかる時間も、全てが違うけれど、私の場合は髪色を変えることで当時の私が必要としていた、ひとかけらの自信を手に入れることができたという話でした。


髪色を変えたからといって、劇的になにかが変わるわけではありません。もしかしたら、黒髪の方が良かったのに、なんて他の人に言われてしまうこともあるかも知れません。でも、やっぱり一番大切なのは、自分の気持ちが少しでも上向くことだと個人的にはこの経験を通して感じました。


外見が優れているだとかそういった話ではなく、自分の気持ち一つで、自分から見える世界が少しだけ変わったという話です。


金髪の私、ありがとう。
黒髪の私、こんにちは、またよろしくね。


#髪を染めた日

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