僕は僕が、困るけど、嫌いじゃない。
好きだった漫画の最終巻を読んで、余韻に浸ってはや五日。
〈昨日もそういうこと言ってなかった?〉
言った。
今回の余韻は特に長い。
本当に好きな作品だったからだろうね。
そういえば。
以前、こんなコメントをいただいたことがある。
「私は余韻に浸れません」って。
あれは衝撃的だったなぁ…。
感性も考え方も人それぞれ。
頭ではわかってるつもりだったのに。
言われて初めて気づく、多様性。
僕の当たり前が、みんなの当たり前とは限らない。
だからこそ書き続ける意味があるんだ!ってずっと前に偉そうなことを言った覚えもあるのに。
やっぱりわかっていなかった。
それにしても、「余韻に浸れない」ってどんな感じなんだろうね。
〈そもそもシャルの余韻ってどんなの?〉
余韻……そうだね。
ずっとそのことを考えてる、って意識はないの。実は。
そりゃあ、既刊を読み返したり思い返したり、続きを想像したりってのはあるけど、あまり頭では余韻を感じてない。
ただ、心が、その世界をたゆたっている。
ずーーーーーっと。
それ自体はとっても心地いいの。
ただ、ひとつ。
頭が他のことを考えようとしても、心がそれを認めない。
邪魔をするな、みたいな感情になりがち。
これがねー、けっこう強力で。
だから、他のことを考えられなくなる。
余韻が続く原理。
だけど、そもそも、「余韻」なんて綺麗な言葉を使っているけど……いくらでも裏を返せるんだよね。
〈どういうこと?〉
つまり、僕は、「切り替え」というのが大の大の大の大の大の大の苦手だということ。
だから、弊害もあるよ。
友達と映画を見に行って、そのあとのカフェで友達と口をきけなかったこともある。
〈余韻で?〉
余韻で。話なんてできる状態じゃなかった。
そもそも今日だって、もともと別のテキストを書こうと考えていたけど、どうにも筆を執る気になれなくて、真っ白なところからつらつらと書くしかできなくなってる。
〈余韻で?〉
余韻で。他のことに頭を使いたくなかった。
そして、切り替えが苦手なのは別に物語の余韻に限った話じゃない。
たとえば、「よっしゃ切り替えていこ!」みたいノリが、どうしてもできない。
落ち込む時は落ち込み続けるし、元気な時は落ち着けない。
そんな心の回路で生きてきたからさ、実は、切り替え上手な人を見ると、すごいなぁと思う前に、どういう心の動きをしているのかわからなくて、ちょっと不安になったりもする。
〈……あれ?「余韻に浸れない」ってコメントしてくれた方にも?〉
逆だよ。
〈逆?〉
あの暖かいコメントがあったからこそ、この不安はだいぶ和らいだんだ。
だけど他にも、僕には困った癖がある。
僕は、僕のペースが乱されるのならすべてぶっ壊したほうがましだという危険思想がちょくちょく表に出てきてしまう。
極端なほどに邪魔されたくない。
ひとつでも叶わないなら全ていらない。
そんな状態の僕が引き起こした、ほんともう呆れるほどの失敗談が山ほどある。
話して楽しいものじゃないから割愛するけども。
まあ、そんな感じで、うんざりすることは多々あるよねー。
〈……じゃあ、今の自分、嫌い?〉
んー…………それもちょっと違うかも。
自分のこういう感性、嫌いじゃない。
困ることは多々あるけれど。
それは僕自身そのものにも言えることで。
いまはひとつ、自分に許せないことがあるのだけど、それは別のお話で。
それ以外だと、僕は僕自身について、「困るけど、嫌いじゃない」と思ってる。
だから僕は、今日も堂々と余韻に浸っているんだ。
そんな自分が、嫌いじゃないから。
まあ、今回のテキストがこんな感じになっちゃって困ってるけどね!
不安だらけ、心配だらけ。
主題もオチも何もねぇ!って。
それでも、まあこんな日もあるよね!って、考えてる。
このまま発信しようとしてる。
……最近気づいたのだけど。
最近ちょっと僕のnoteは我儘だ。
でもこれは、そんな僕を見守ってくれる、読者さんの優しさを信じている証拠でもある。
それって、とっても綺麗な話だなって。
冒頭で話題にした漫画のテーマが「信頼」だったから、いますごく、この事実に感動してる。
余韻中は感情も豊かになりがち。
……うん。ちょっと唐突だけど。
いつもの僕の書き方のルールなら、読者さん向けの言葉は敬語一択なのだけど、あえて。
いつもありがとう。
……なんか涙が出てきそうだ。
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