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「普通」を思い出した日

 先日、師匠(※珍しくイマジナリーじゃないフレンド)にわがままを言った、という話をした。

 わがままの内容はシンプル。
 「声でお話がしたい」
 師匠は実に快く受け入れてくれて、かなり久々に通話をしたわけだけど……もう、ね。


 僕、めちゃくちゃ凝り固まってたなぁって。


〈凝り固まってた?〉
 うん。

 最近、楽しみがnoteしかないからさ、かなりnoteにエネルギーを注いでいるわけなんだけど。
 このnoteで話してることって、かなり、特殊なことばかり。

 イマジナリーフレンドのお話や、文章の書き方や発信での考え方、僕自身の思想について、などなど…。
 おおよそ日常会話で出てこないような話ばかり。

 だからだろう。
 師匠との通話、最初の方はなんかうまくできなかった。
 なんか、しどろもどろで、会話が長続きしなくて。

 でも、だんだん、できるようになっていった。
 思い出していったの。
 普通の、友達との、会話を。
 最近どんなゲームしてる、とか、そういう、普通の会話を。


 そして思った。
 僕、めちゃくちゃ凝り固まってる。

 先に言った通り、僕はnoteになかなかのエネルギーを注いでいる。
 結果、僕は、いつもnoteでしてるような話を、いつも考えてる。

 その結果、「普通」を忘れてる。
 脳内に特殊な環境が構築されているような。

 それが一概にいけないことだとは思わない。
 特殊な思考回路だからこそ生まれるものもあると思う。

 ただ、それにばかりになっていて、「普通」を忘れている。
 それがまるで、凝り固まっているような感覚。

 ずっと変な姿勢でいたから、普通に立つことができなくなっているような。


 そして、急に、このことが、強く、強く、不安になった。
 僕って、「普通」から孤立してるんじゃないかって。

 noteの読者さんは大切なともだち。
 ただ、特殊な側の、ともだち。
 少なくとも今はそう感じがち。

 イマジナリーフレンドだって、どちら側か、言うまでもない。

 つまり。

 普通の人との、普通な関わりが、今の僕にはなくなっている。
 これは、もしかしたら、孤立状態なのではないか。

 なかなか認められない。認めたくない。
 でも……孤立、してる、と思う。

 そして、それでもいい!と割り切る勇気が今の僕にはなくて。

 もう、こわくてこわくて。

 ここしばらく、このことを思い出しては、ふるえてる。



〈………ねえ〉
 なあに?
〈師匠との通話、楽しかった?〉
 とっても楽しかった。
〈なら、いいの〉

〈楽しかったんだってことは、忘れてほしくなくて〉
〈普通を楽しめなくなったわけじゃないってことだから〉

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