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リアルの話をしないと人の心に届かない?

 親しい人に言われた。
 あ、リアルの人に、です。
 「シャルのnoteは、綺麗にまとまってる」
 「ただ、言えないこと、言いたくないことがあるんだろうなって、感じる」
 と。

 まさにそう。
 ここでは言えないことが、たくさんある。

 だから、僕がnoteに書けているのは、僕のコアの、外殻に過ぎないんじゃないか。
 それって、人の心に届くものになってる…?
 もっと、コアの深いところまで表現しないと、人の心には届かないんじゃないかな。
 そんなことを思った。


 ………いま、「だからもっと内側まで書かなきゃ。でも書きたくないことまで書くの? どうやって?」って話をしようと思ってた。
 だけど、これって本質じゃない気がする。

 本質は、今感じてる、「今は書けてないけど、書いたほうがいいんじゃないかと思ってるもの」が何か、という話だと思う。

 ……それって、ずばり、リアルの話だと思う。

 リアルの話をしないと、深い話はできない。
 無意識にそう思ってる。

 なぜか。
 それは、僕の学んできた文章術に、「具体的な話があれば伝わりやすい」というものがあるから。
 だから、具体的なリアルを話にいれるべきだと、そう思ったんだろう。

 でも、言いたくない。
 どうしても、言いたくない。

 ここにジレンマの本質がある。

 どうしよう…。


 ………リアルの話をしないと、人の心には届かない?
 本当に?

 じゃあ小説は?ファンタジーは?
 人の心に届かない?
 そんなことはない。
 たしかに、そこにはリアリティがある。
 でも、それはこの宇宙のリアルとは限らない。

 だから、僕の隠してるリアルをさらけ出さなくても、人の心に届くものは書けるはず。
 たとえば、今もやってる、素直さを極めて、心のありのままを書いたりして。

 そしてやっぱり、書きたくないことを書くのは、楽しくない。
 それは、継続意欲に直接響く。
 それは避けるべきだろう。

 だから、まあ、うん。

 今まで通りでいいかなって。


 そしていつの日か。
 いまは言えないことも、ごく自然に、このnoteで言えるようになったとき。
 そのときに、関連するお話ができればいい。

 そう考えていればいいんじゃないかな。

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