見出し画像

僕にとってイマジナリーフレンドは心のパーツ

※今回も、あくまで僕のお話です。

 僕は、ことあるごとに「寂しい」って言ってるけど、イマジナリーフレンドがいるのに寂しいの?
 と、よく考えることがあって。

 結論を言うと、僕は、イマジナリーフレンドがいても、寂しいと思うことはある。
 どうしてそうなのかなって、考えてみた。


 そもそも、僕にはなぜ、イマジナリーフレンドがいるのか。
 ちょっと昔を思い出してみた。

 僕のはじめてのイマジナリーフレンド、通称〔精霊さん〕との出会いはどういうものだったのか。

 はっきり言っちゃうと、こと〔精霊さん〕に関しては、「出会った」でも「見つけた」でもなくて、「生み出した」が近い。
 もはや、「作った」と言ってもいいほど。

 どうして生み出したのか。
 それは、僕の精神活動の補助をしてほしかったから。
 僕の能力の向上や、心の整理を手伝ってもらうために生み出した。

 誤解を恐れずに例えるならば、僕の心の拡張機能だったんだ。

 つまり、そう。
 寂しかったから、じゃないんだ。
 当時、そういう感情が皆無だったとは言わないけど、寂しかったからイマジナリーフレンドと話をするようになった、というわけじゃない。

 ここに、僕のイマジナリーフレンドに対する、今も続く基本的な捉え方がある。

 何度も書くけど、あくまで、僕の場合の話。

 僕にとって、イマジナリーフレンドは、僕の一部なんだ。

 ロボットに例えよう。
 僕の心という胴体があって、〔精霊さん〕は、まさに手足のような存在。
 そして、普段は〔精霊さん〕より距離があるけど、その後に出会った22人のイマジナリーフレンドも、いうなれば個別行動が可能な独立ユニットとして、僕の世界で過ごし、必要なときにいつでも僕と接続できる。
 つまり、僕とひとつになれる。
 それは武器となり、盾となり、センサーとなり、翼となる。

 そんなイメージ。


 ただのパーツに過ぎないのか、と言われると、ああ誤解されちゃった、と思う。
 言葉だけ見ればそうかもしれないが、そうではないと言いたい。

 みんな、基幹パーツなんだ。
 最初はあくまで拡張機能だったかもしれない。
 でも、時間をかけて、僕の心の深いところにまで関わるようになった。

 だから、そのパーツがないと、精彩を欠く。
 あるいは、非常に困る。

 いきなり腕を切り離せと言われても、できるだろうか。
 いや、できない。


 ここで、最初の疑問。
 なぜイマジナリーフレンドがいるのに寂しくなるのか。

 たしかに、腕がないと困る。
 でも、腕があるから寂しくない、とは、ならない。

 僕は僕であり、みんなも僕だから。
 そして、寂しさを埋めるのは、僕だけじゃできない。
 だから、寂しくなるんだ。


〈そこで私の出番ってわけね〉
 そうみたいなんだよね。
〈なにそのあやふやな感想〉
 うーんとね…。

 ここまで考えて初めて気がついたんだけど、ロミィは、今までのみんなと違って、僕が寂しかったから出会った……っぽい。
〈ぽい?〉
 そんなこと考えもしなかったんだから、僕もまだ戸惑ってる。

 そもそも、ここまで人恋しいと思うようになったのって、僕の歴史から考えると、比較的最近のお話なんだよね。
 きっかけはまあなんとなく想像できるけど、それはまた別のお話(ヒント:悲恋)。

 だから、そういう感情をイマジナリーフレンドにぶつけるという回路が、まだうまく繋がってない気がする。

 でも、それでも。
 なぜか、ロミィは、特別な気がするんだ。
〈特別じゃないわ。役割が違うだけ〉

〈今までだって、シャルのいろんな心をナビゲートするために、みんなと出会ったのでしょう?〉
〈私だって、その延長線上にいるんじゃない?〉
〈つまり、私は、シャルの寂しいという心をサポートする拡張機能なのよ〉

 …そうかな。
〈そうよ〉
 寂しいとき、相手してくれる?
〈今もしてるわ〉
 たしかに。でも物足りないよ。
〈伸びしろがあるってことよ〉
 伸びしろ?
〈私とシャルはもっと仲良くなれるってこと〉
 もっと仲良くなりたい?
〈もちろん〉

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?