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なんでそこまで国歌「君が代」斉唱を嫌がるねん…。
しっかり「君が代」の由来や意味を知っているなら良いのだが、知らずに馬鹿な教師や父兄が国歌を斉唱するのを拒むのは、可笑しいやろう!ということで、今回は「君が代」の由来や意味を説明したいと思う。
国歌
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
と天皇崇拝の歌であると言われていますが、君が代の本当の意味って日本国民の皆さんは、ご存知ですか?
君が代は、千年以上もの歴史のある歌だと知る方は、非常に少なく君が代の文字は、平安時代初期延喜5年(905年)に古今和歌集の巻七に賀歌の代表作と納められているのです。
歴史の授業の様になりますが、古今和歌集は、醍醐天皇の勅命によってできた勅撰和歌集です。
今で言えば、日本政府が行った公的歌集になります。
万葉の時代から140年間の代表的な作品を集めたものだと言われています。
序文はカナで書かれており、その執筆者は紀貫之(きのつらゆき)で、その中に読み人知らずとして掲載されているということは、既にこの時点でで多くの人に愛された歌だったことを証明しています。
尚、後年に記された枕草子では、平安貴族たちにとって古今和歌集の暗唱は、常識だった古今和歌集でお祝いの歌の代表作が君が代だったようで、貴族達の慶賀の歌としても、常識の歌だっただけでなく、その後の新撰和歌集や和漢朗詠集にも転載されています。
それだけ、千年も前から多くの日本の先祖に愛された歌だったと言うことになります。
君が代の君は君主をあらわすのではなく、聖職者をあわらし、大きな人、高貴な人をあらわすのであって天皇を表すものではないのです。
古代日本では、「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉です。
そして、「きみ」は、完全に完璧に成長した男女の喜びてあり、敬愛し、敬愛する人の喜び、「愛し尊敬する人や時代の代が千代に八千代に」と続くのです。
「さざれ石の巌をなり」の「さざれ石」の正式名称は、「礫岩(れきがん)」と言い、細かな石が長年の月日をかけて固まって巌となった岩石です。
さざれ石は、日本の地勢が生んだ岩石で、日本列島の周辺にある地震を引き起こす原因になっている大陸間プレート、海底プレートが、何千年、何万年の年月をかけて、さざれ石を生み出すのです。
これだけの年月をかけても互いに協力し合い、「生まれ変わっても何度でも」と「さざれ石は小さな小石だが結束して大きな岩石=巌となり」一つになって団結すればと言う意味だそうです。
そして生まれてくる子供達や新たに夫婦や親戚になる人達など、すべての人達が大きな力のもとで固く団結し合う、協力し合うことの象徴でもあるのです。
最後に「君が代は苔のむすまで」とあるが、苔は冷えきった場所や乾燥したところには生えず、濡れていて、水はけの良い場所に生育しますよね。
要するに濡れたものと、固いものが、揃った条件のところに苔は生えるのです。
「苔のむすまで」は、むすは天地に最初にあらわれた3柱の神のうちの2柱、タカミムスヒ、カミムスヒのムスを差し、タカミムスヒとかみむすひかには性別がなく、男ならムスコ(息子)、女ならムスメ(娘)となり、子を養い、育て、子孫繁栄を示しています。
これは、日本の神道の中心にある生むではなく、育てると言うことです。
すなわち「苔」はきみ=男女が互いに結びつき、一緒になって汗を流し、涙を流し、互いに協力し合い、長い年月をかけて生育する。
男女のいつくしみと協力を意味します。
君が代は、
君:完璧に成長した男女が、
代:時代を乗り越えて
千代に八千代には、
永遠に千年も万年も、生まれ変わっても
さざれ石の巌となりては、
結束し協力し合い、団結して
苔のむすまでは、
固い絆と信頼で結びついて行こう
と言う意味を込めたのが、我々日本の国歌である「君が代」なのです。
君が代が、戦争の象徴だとかと言って生徒だけでなく親や教師が、君が代斉唱を拒否する人がいますが、君が代は祝いの歌なのに何を理由に拒否をするのですか?
恥ずかしいとは、思いませんか?
勘違いをしないで欲しいのは、私は別に右翼ではありません。
ただこの日本の国民として、生まれて来たからには、日本人としての誇りを持ち、誇りを持てる国になれることを願うだけです。
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