「生と死」と「死と生」の非対称性

通過電車に飛び込む女性の動画を、昨日見た。

彼女の自殺を称賛するつもりも、だしにするつもりも、ましてや真っ赤な他人の分際で偉そうに冥福を祈る気もない。

ただ一つ、僕の脳裏をよぎった問がある。
世界が暗転するその刹那に、彼女は何を思ったのだろう。

これで全てが終わると、安堵のようなものを感じたのか。それとももっと生きたかったと思ったのだろうか。答えは誰にもわからない。

けれどある意味では、死は救済だと僕は思う。問題は、その先に救いがあるのかということだけれど。

こう言うと僕が自殺を賛美してると受け取る人がいそうだが、そうではない。なぜなら、人間が「死」の観念を得た時から、生と死とは本質的に差がなくなってしまうと僕は考えているから。生きることで緩やかな自殺をしているのだ。

生と死は等しくあるもので、僕はどちらをも讃えない。しかしここで一つ問題が生じてしまう。生と死は等しいけれど、死と生はイコールで結ばれない。これについてはどのように向き合えば良いのだろうか。世の中にはわからないことが多い。

生きる人々に揉まれながら

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