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昭和の記者のしごと④ニセ電話事件(1)」

第1部第3章 判事補のニセ電話事件(1)―「リーク」「オフレコ」の実際


      

軽犯罪法違反だが、政治的謀略を感じさせる事件


1976年(昭和51年)に発覚し、田中角栄前総理大臣(当時)の逮捕に至ったロッキード事件。その副産物ともいえる不思議な事件に鬼頭史郎判事補(当時、京都地裁)のニセ電話事件があります。当時の布施健検事総長の名を騙って三木武夫総理大臣に電話をかけ、中曽根康弘自民党幹事長の逮捕が迫っているとウソを言い、その逮捕を阻止する指揮権発動の言質を取ろうとした事件です。
指揮権発動は検察当局が造船疑獄摘発の際、佐藤栄作自民党幹事長を逮捕しようとしたところ、犬養健法務大臣が検事総長に指揮権を発動して逮捕を阻止し、検察権への政治介入の方法として広く知られることになりました。結局、犬養法務大臣は責任を取って辞任し、指揮権発動は政治的に非常に悪いこと、やってはならないこと、という評価が定着していました。
ニセ電話がかけられたのは田中前総理逮捕の1週間後の76年8月4日の夜で、ロッキード事件の解明を積極的に進め、田中前総理の逮捕を許容した三木総理への自民党内での反発が強まり、いわゆる第2次三木おろしの炎が上がり始めた時期でした。刑事事件としては単なる軽犯罪法違反(官名詐称)ですが、指揮権発動の言質をとることで三木総理を政治的な窮地に追い込もうという、三木おろしの側に立つ、政治的謀略を強く感じさせる事件です。
事件はロッキード事件捜査の終局段階の76年10月22日、読売新聞の報道で表に出ました。まさに完璧な特ダネで、ニセ電話をかけたのは鬼頭判事補、つまり現職裁判官による三木総理に対する謀略事件だと喝破し、詳細なニセ電話のやり取りが載せてあります。
 
“中曽根逮捕問題で、裁断を仰ぎたい”
「―私、布施(検事総長)でございます。実は直接法務大臣よりも、総理自体のご裁断をあおぎたい問題が生じましたので・・・。実は、丸紅、全日空の収賄で、中曽根幹事長の逮捕の問題が生じてまいりました。捜査の常道で行きますと、田中以上に逮捕の問題が当然起こるわけでございます。そこで、閣下直接のご裁断をあおいで・・・。
首相 それは、すぐに来ますか。
―手続き的には明朝ということも考えられます。ただ、総理自身が、内閣の存続に関するので、あえて、それを放置してほしいということであれば、部内の会議で、明日私の一存で何とか取りまとめるようにしたいと思っております。表向きは、いわゆる指揮権発動等の問題が起きますので、ですから総理の意向いかんで、逮捕というのは差し控えてほしいという内意があれば、そのように取り計らい致します。いかがでございましょうか。
 首相 それは・・・あんまり急ですからねえ。どういう事件ですか。それは」
 

「中曽根不逮捕、田中起訴の線で決着」でよろしいか?


ニセ電話の冒頭から三木首相に指揮権発動の指示を過激に迫る内容となっています。さらに、外国為替管理法(外為法)違反容疑で逮捕・勾留中で、外為法違反と収賄の罪で起訴されると見られていた田中前総理について、外為法違反は適用の余地がなく、収賄も職務権限がダメ、とウソの説明をしたあげくー、
 
「―政権の維持を考慮して三木内閣における混乱を回避する意味で中曽根不逮捕、田中起訴の線で決着するーそれでよろしゅうございますか。
首相 まあ君は・・・。この問題には、政治的に介入したくないから・・・。
―表向きはそうでしょう。ただ、(混乱が)政治的に及ぶということで、ご裁断をちょうだいしたいと存じます。
首相 指揮権(発動)みたいなことはしたくないからねえ」
(「 」内のニセ電話のやり取りは1976年10月22日読売新聞朝刊から抜粋)
 
 指揮権発動問題で、三木首相 土俵際でこらえる
ニセ電話のやり取りは、三木総理が指揮権発動の意思があるかどうか問い詰めていく、というより指揮権発動の言質をとるため、繰り返し誘いをかけて三木首相を追い回している内容で、下手なドラマよりドラマチック。新聞で読む限りでは、三木総理は危うく指揮権発動の言質を取られずに、土俵際でこらえています。
放送局の司法担当記者をしていた私にとっては完敗、としか言いようがない記事で、あとは裁判官罷免のニュースなどを粛々とフォローしていく仕事しか残っていないと思いました。ところが、鬼頭判事補は思った以上にしぶとく、賢く、まずニセ電話をかけたのは自分ではない、とした上で、国会の証人喚問ではいきなり、証人としての宣誓を拒否するという予想外の挙に出て国会を大混乱に陥れました。現場で取材していた私はテレビの中継に引っ張り出され、「宣誓拒否自体は違法ではない。ただこれで鬼頭判事補がニセ電話の主である疑惑はかえって深まった・・・」と解説するのが精一杯。
取材は事件の背景の追及よりも、ニセ電話の主が鬼頭判事補であることを確かめるところへ逆戻りしましたが、それを裏付けるものは、本人に否定されてしまうと、無いのです。また最高裁判事による裁判官会議も鬼頭判事補罷免の訴追請求方針を決めたものの、訴追請求の理由は「ニセ電話の録音を読売新聞の記者に聞かせた」とし、鬼頭判事補がニセ電話の主かどうか断定していません。
不祥事を起こした裁判官の罷免(クビにする)には、国会に設けられる裁判官訴追委員会で罷免の訴追をし、これを受けた国会の裁判官弾劾裁判所で罷免の判決を下さなければなりません。こうした動きを促す罷免の訴追請求に当たって、最高裁事務総局は何度も行った事情聴取でも鬼頭判事補にほんろうされ、事実を詰めきれませんでした。鬼頭判事補がニセ電話の主であることの決め手になる証拠がほしい、という点では我々と一緒だったわけです。
 

ライスカレーを一緒に食べながらの取材―メモは取れない?


最高裁は正式の訴追請求に踏み切る前日、鬼頭判事補に最後の弁明の機会を与えるとして、6度目の事情聴取をおこないました。その翌々日、最高裁の事情聴取の中身を知りうる立場にある有力情報筋から、私に「相談したいことがある」と電話がかかってきました。何事か、と駆けつけると、P新聞の記者も呼び出されて来ていました。
話は6度目の事情聴取の中身そのもので、最高裁側が「ニセ電話の録音を読売新聞の記者に聞かせ、その内容の詳細なメモを取らせた・・・争うか」と聞いたのに対し、鬼頭判事補は「争う(否認)」と答えた、といいます。事情聴取する方もされる方も裁判官なので、事情聴取の中で、「争う」などという専門用語が飛び交うのがなんとも可笑しいのですが、重要なのはその後の鬼頭判事補の供述です。
「なぜなら、読売新聞の記者にはホテルの1室で一緒にライスカレーを食べながら録音を聞かせたのだから」。
つまりメモを取る手はふさがっていた、というわけです。
「しかし読売新聞にはニセ電話のやり取りが詳細に載っている。メモを取っていないとすると、これは何を意味するのか・・意見を聞きたい」
これが私とP新聞の記者への相談内容というわけです。
「話は簡単でしょう。読売新聞は何らかの方法でニセ電話の録音(再録音か?)を持っている、ということでしょう」
「やっぱりそうか、うーむ」
うーむ、じゃないよ、こういう供述があればそんな推理は簡単で、私たちの意見を聞くまでもないはずです。要は、放送局と新聞社にこの情報をリークしたいわけでしょう。リークとは、秘密の情報を取材される側がすすんで明かすことを言う。秘密を明かす以上、情報操作の意図があるわけです。
 

リークとオフレコ


帰り道、P新聞の記者と最高裁付近の居酒屋に入って、この情報の扱いで話し合い。P新聞記者曰く、
「これはオフレコですよね。こんな重要な情報がオフレコでないはずがない」
オフレコとは取材する側が、直接原稿にしないという条件で、お願いして情報を得ることです。
「オフレコじゃない。そんな約束はしていない。お願いしてもらった情報ではないし」
「いや、オフレコでないはずがない」
問題はそんなところにはないのに・・・話し合いは決裂しました。
放送局に戻って、司法記者クラブキャップ、司法担当デスクを交え、この情報の扱いを協議。司法担当の1年先輩の記者は正論をはいて、断固没(情報を原稿にしない)にすべきだ、と主張しました。
「見え見えの先方のリーク戦術に乗るべきではない。録音テープを最高裁か検察庁に提供すべきだ、という捜査協力キャンペーンになってしまう」
しかしその場の多数意見は、原稿にすべきだ、というものでした。
「これほど国民の疑惑が集まっている事件を解明する有力な手がかりとなる証拠が読売新聞に存在することを知りながら国民に知らせないのは、おかしな話ではないか」
結局、常識的な多数意見が勝って、テープを出すべし、というニュアンスは絶対に避けつつ、読売新聞にテープがあるということをクールに伝えるニュースとすることになりました。
ようやく原稿を書き上げたところへ、先ほど別れたP新聞の記者から電話がありました。
「今日の話はオフレコだよね」
まだこんなことを言っているのには驚きました。
「オフレコじゃないよ。もう原稿を書いたよ」
読売新聞のコメントは「テープがあるかどうかは言えない。なぜなら、取材過程について外部に明らかにする義務はない」というもの。これはこれでひとつの見識です。
翌朝この結果的な特ダネ(リークなので“勝利感”はありませんが)を放送すると、有力情報筋から電話がかかってきました。
「分っていますね」
―分っています。ニュースソースの秘匿でしょ。
「そうです」
もちろん有力情報筋は、オフレコなのに書いてけしからん、などとは言いません。
 

リークされたら、どうする・・・一般原則はあるか


その後のニセ電話の録音テープの運命をたどりますと、12月に入って読売新聞は鬼頭判事補から取材したニセ電話の録音を再録音した取材テープがあると自ら報道。その後、東京地検が読売新聞からテープを押収。
読売新聞のコメントは・・・。
「取材テープを報道目的以外に使用すべきでないので、任意提出の要求は断ってきたが、法的手続きを踏んだ差し押さえ令状を示されたため応じた」。
鬼頭判事補は軽犯罪法違反(官名詐称)の罪で1977年3月、渋谷簡裁に起訴され、その法廷で我々取材陣もテープを聞くことになりました。ニセ電話の主の声はー鬼頭判事補の声そのものでした!
 
リークされたら、どうすべきなのでしょうか。一般原則はない、と言っていいと思います。報道する価値(内容)、どのような位置付けで報道するかなどを慎重に検討し、個別のケースで判断するしかなさそうです。

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