見出し画像

昭和の記者のしごと⑥日商岩井事件

第1部第5章 日商岩井不正事件―“顔色を読んで取材”はおそろしい


駆け出し記者の質問で、顔色を変えた警察署長


 新潟で警察回りの2年目、新潟地震の復旧工事にからむ汚職事件が摘発され、土木、建設事業関係の課長、係長が複数逮捕されました。その課長逮捕の日の夕方、警察署裏の官舎に帰る署長を送りながら、「××はどうするんです?」と、その日朝から取調べを受けている市の課長の名前をぶつけました。すると、並んで歩いていた警察署長が「な、なんだ」と言いながら、飛び上がるようにして私のほうに向きを変え、顔色を変えました。私は、署長の予想外の反応にびっくりするとともに、課長逮捕を確信しました。署長としてはまだ駆け出しの若手記者がそこまで取材しているとは考えておらず、どこから漏れたか、とショックが大きかったようです。結局その夜、官舎で粘る私に日付が変わってから事件の概要を話してくれ、地元紙とともに特ダネとすることが出来ました。
 こう書くと、いかにも顔色を読む取材が日常的にありそうですが、そうではなく、この署長との一件を40年たったいまでも鮮やかに覚えているのは、その後そういうことがさっぱりなかった証拠です。新潟のあと東京の社会部に転勤し、検察庁を取材する司法記者クラブを5年間担当しました。東京の検事には顔色を読むどころか、こちらの顔色が読まれてしまいます。ある事件を立件するのかどうか、東京高検の幹部を夜回りしたときのことです。いろいろ質問するのに対し答えてはくれるものの、言葉の断片からも、もちろん顔色からもさっぱり勘が取れず、なるほど「勘を取る」などというのは僭越で、「検察側が勘を取らせる気になった時に、勘を取らせてもらっているに過ぎないのだな」と思いました。

日商岩井不正事件での取材経験


 さて、ここで私がただ一度、顔色を読もうと必死になった取材を思い出してみましょう。日商岩井不正事件はロッキード事件の発覚の時から3年後の1979年(昭和54年)1月、東京地検が捜査開始を宣言して摘発に乗り出した事件です。アメリカの証券取引委員会の報告書で、マクダネル・ダグラス社の日本関係の不正支出が明るみに出たのを受けたもので、アメリカ発の航空機疑惑という点ではロッキード事件にそっくり。しかし捜査結果は、くらべようもない地味なもので、起訴された政治家もいませんでした。
 そうなった理由はなんと言っても事件が古すぎ、時効の壁に阻まれたことです。中心疑惑のマクダネル・ダグラス社のF4Eファントム戦闘機の売り込みというのは佐藤栄作内閣時代の話で、防衛庁がファントム戦闘機の採用を決定したのは1968年(昭和43年)、この捜査開始の実に11年前です。そんな、事件になりそうもない事件の捜査で、検察も取材する我々報道陣も気勢が上がらず、夜回りしてもたいした問答になりません。1月の地検幹部の夜回りで、
―捜査はいつまでかかる?
「さあ、わかりませんが、『青葉城恋唄』でしょうか。“また夏が来て、あの日と同じ・・”ですよ」
ロッキード事件の捜査は真冬から真夏でした。また、長くなるのか、とうんざりしました。こんなやり取りしか覚えていません。
 それでも検察はこつこつ捜査を進め、日商岩井の海部八郎副社長らを外国為替管理法違反や偽証罪で起訴。ダグラス社から受け取った巨額な資金などの扱いをめぐる不正や偽証が問われました。こうなってくると巨額な資金を受け取った政治家は誰か、ということが改めて問題になってきます。そういう政治家がいなければ巨額な資金を不正に動かす必要がないからです。それと、4月初めの海部逮捕のあと、法務省の伊藤栄樹刑事局長(のち検事総長)が衆院予算委で今後の捜査の見通しについて、「小さな悪だけで巨悪を取り逃がしてはいけない。もし上部のほうで犯罪に触れる人があれば、逃さず剔抉(てっけつ)しなければならない」とぶち上げたせいもあります。

巨悪を逃さず、一転、高官不逮捕


 しかし、伊藤局長の名文句にもかかわらず、検察の捜査は巨悪の剔抉―高官逮捕へ向かっているようには思えません。捜査も最終盤、4月下旬の検察首脳とのやり取り。
―金を受け取っているが、仮に起訴できない灰色高官がいたら、どうする?
「灰色は出したい。でも出せない。しかし、出さねば我々検察の努力も表にでない・・・」
別の検察首脳。
「来週後半からは仁義なき戦い・・」
来週後半というと、5月3日(木)4日(金)5日(土)・・。このあたりで、政府高官の事情聴取ということでしょうか。5月2日、未練だがもう1度検察首脳に聞きました。
―本当のところ、高官逮捕はないのか?
「時効の問題があるし、職務権限の問題もあって、むずかしいのでしょう」
政治家の逮捕・起訴はないようです。しかし、このままでは済みません。どういう形で決着するのでしょうか。報道陣が異様な緊張に包まれていたところへ、5月の連休に続く6日の日曜日、読売新聞が「5億円流れた疑い、松野氏(頼三、衆議院議員、元防衛庁長官)事情聴取」と書きました。この事件の報道で、唯一つの特ダネです。抜かれて悔しいが、検察の取材は抜かれたあとがまた大変。抜かれた記事を追っかけて書くことを「あと追い」と言いますが、「あの記事のとおりでいいんですか」と言っても、確認してくれず、簡単にあと追いをさせてくれないのです。と言って、闇雲に追いかけて記事にして、それが間違っていたら眼も当てられません。

「あと追い」取材の難しさ


 放送局に司法クラブ担当の日田邦穂キャップとサブキャップの私、それに検察に強い宮崎則行記者と岡本伸行記者が集まり鳩首協議。検察は相当口が堅いだろうから、昼のニュースにこだわらず、夜の7時のニュースに確実に出稿する事を目指すことにしました。キャップは放送局内に居て、司令塔の役割と予定原稿作り。3人はそれぞれ別の取材先へ飛ぶことになりました。
 私は検察首脳の一人を取材することにしました。調べると、房総方面の別荘に行っているとのことです。国鉄のローカル線とタクシーを乗り継いで、谷間にある別荘にたどり着きました。どこかにドライブに行っているらしく、誰も居ません。用意の雑誌を読みながら、待つこと6時間、午後6時半過ぎ、検察首脳が夫人の運転するマイカーで帰ってきました。
 「こんなところまで何しに来たの?まあ、入りなさい」
 夜7時のニュースの放送時刻が迫っています。手短に読売新聞の記事を説明、確認を求めました。もちろん、確認はしてくれません。知らない、と言ったのか、言えない、と言ったのか、定かではありませんが、確認してくれなかったのは間違いありません。7時まであと10分!こうなれば最後の手段です。検察首脳の目の前で、放送局で待つ日田司法キャップに電話をかけました。
中尾「検察首脳に会えました。予定稿どおり放送してください」
予定稿では松野氏取り調べ、5億円が松野氏へ、となっています。
日田キャップ「おお、会えたか。では行くぞ!」
会ってどんな話をした、確認は取れたか、とか七面倒くさい問答はありません。この日田キャップはもともと滅法思い切りがよく、記者が特ダネらしきものを取ってくれば、うるさいことを言わず、千尋の谷があっても記者と一緒に飛びこしてくれるタイプです。責任あるキャップとなると、こういう人ばかりではありません。石橋を叩いても渡らないタイプの人も居て、何度も裏を取って来い、と言っているうちにタイミングをはずし、抜かれてほぞをかむ、ということもあります。慎重なのがいけない、というのではないのですが。

勝負に出て、今こそ顔色を読む


中尾「さあさあ間違ったニュースを出して、私は首です。私の最後のニュースを見て下さい」
検察首脳「中尾記者の最後のニュースですか、拝見しましょう」
7時から始まったニュース。もちろん、松野氏へ5億円、がトップニュースです。検察首脳はじっとテレビを見る、私はテレビなんかそっちのけ、テレビを見る検察首脳の顔をじっと見る。今こそ顔色を読まなければならない・・・検察首脳の顔色は何の変化もありません。しめた、これでいいんだな!
しかし、この時、検察首脳がぼそり、と言った一言に、私は背筋が寒くなりました。
「しかし、中尾さん、私は本当に、松野氏を取り調べたかどうか知らないんですよ」
うあー、間違えたか。しかし私は奇跡的に(?)態勢を立て直しました。
―検察首脳が捜査現場に松野氏取調べの許可をした。しかし連休中なので、取り調べた、という報告は連休明けでいい、ということにした、ということはありえませんか。
「それは、ありえますね」
ふーつ、脅かさないでくださいよ。

事件取材に王道なし


このあと上機嫌の検察首脳から、手作りのジャムをお土産にもらって帰途に着き、国鉄の駅まで来ましたが、思い返してみますと、検察首脳は見事なほど、取り調べた、とも、5億円、とも言っていないのです。公衆電話ボックスから別荘に電話しました。私のほうも質問を検事風に。
―私は、無理なニュースで会社を危機に陥れる記者か、それとも会社に貢献する記者か?
「あっはっは、今日は、勝った勝った、で帰りなさい」
そもそも読売新聞に大負けして始まった取材なんですから、勝った、はありませんが、検察首脳流の確認をくれたのでしょう。
やっと取り調べを認めてくれた、とキヤップにこの電話のニュアンスを伝えようとすると、キャップ曰く、「岡本君も君の後、検察幹部が取り調べを認めたと言ってきた。細かい話はもういいよ」。この人は、ドライだ!
宮崎記者の方は、某検察首脳宅で10数人の他社の記者と共にテレビでNHKニュースを見ていた。
「松野、取り調べ、5億円、松野へ」と出ると、検察首脳「こんなところなんでしょう」。各社、一斉に連絡に走る、という展開。
三人とも、役割は果たしたわけです。
以上、必死に顔色を読んだ経験ですが、今考えても顔色を読むのを取材の手段として頼りにするのは恐ろしくて、お勧めできません。また、間違っていたらとめてくれるのを当てにして放送するというのも、人情家の取材先ばかりではありませんから、これも危険な取材方法で、やらないほうが無難です。
 顔色を読んで取材、などという魔術的な方法はありません。取材は、事件取材であっても、普段から取材先との人間関係をこつこつと積み上げていくこと、そしてよく
勉強して全体状況をつかんでおくことが肝要です。事件取材に王道なし、ですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?