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雨のはなし___よしもとばななさんの『ゆめみるハワイ』を読んで__



昨晩から降り続いている雨は、まだ止まない。

昼間の灼熱の日射しに焼かれた地面やコンクリートを冷やし、うだるような暑さに幾分ひんやりした空気をもたらしたように思う。






  よしもとばななさんの、「ゆめみるハワイ」※1を読んだ。


その中の短編「あの日の傘」に、雨について描かれた一節がある。





__ヒロ※2の雨はとても優しい雨だと思う。しっとりとふりそそぎ、街をすっぽり覆う感じがする。木々が濡れて、人々も濡れて、海にも雨が降っている。立ち並ぶバニヤンツリーがどんどんつやを増していく。

(中略)


それは昭和の日本の雨に似てる。いつから日本の雨は優しくなくなったのか。__






わたしは昭和の日本は知らないから、日本の雨が変わったかどうかはよくわからないけれど、

ばななさんの言うヒロの雨の感覚は、よく想像できた。




昔のようなそうでないような、ちょうど3年前の夏。


自分もヒロを雨を体験したから__。








それは7日間ほどかけて、ゆっくりとハワイ島を周ってゆく旅だった。


カイルア・コナ、ワイメア、キラウエア、サウスポイントの各地を周遊し、最後に訪れたのがヒロだった。


ヒロの街に入ったとき、正直それまでに訪れたハワイ島のどの場所よりもパッとしないと思った。


カイルア・コナの歴史や文化の重厚感も、ワイメアの生い茂る自然も、マウナケアの宇宙の神秘も、キラウエアの地球の鼓動も、サウスポイントの果ての厳しさもない。




日系人によって栄えた街だが、現在日本人を多く見かけるわけでもなく、主要な観光スポットであるというリリウオカラニの日本庭園は、鮮やかなハイビスカスなどの草花の中で少し歪で馴染みきっていない感じで。ホテルのレストランで食べたスパゲティは不味くはないが何とも味気なかった。





しかし、次の日の朝、昨夕の雨があがり、ラナイから外を眺めたとき、その印象は一変した。




遮るものは何もないオーシャンフロント。


目の前の海が、山が、芝生が、木々が、全てが光輝いていた。


その美しさに思わず目を細めた。





雨上がりの後の特有の少し湿っぽい空気と朝の陽光の心地よさにのせらせるように、しばらくラナイの椅子に腰掛け、そのまま風に吹かれる。



そうして、遠くにうっすら覗く雄大なマウナケアをぼうっと眺めながら、あるいは眼下のヒロ湾の堤防に腰掛け、のんびり釣りをする地元の人の姿を眺めながら、


こんなに近くに見えるのに、ヒロの人たちはマウナケアや、そのさらに向こうのキラウエアを登ったりしないんだろうな、と思った。






火の神ペレも、ポリネシアの希望の星ホクレアも、ここの人たちには無縁のことのように思う。

神秘的なものとの関わりではなく、ごく普通の、当たり前の暮らしや生活の中に彼らの文化がある気がした。




ヒロの人たちはきっと、雨が降っても傘などささずそのまま浴びるのだろう。そして、雨があがれば釣りをするのだろう。

そうして、ヒロの街を愛し、楽しむのだろう。気ままに。




そんな飾らない自然体な、ともすれば淡々とした味気ないヒロの様子がどこか他の観光地とは全然違う雰囲気で、不思議ととても落ち着く気持ちになった。








部屋から出て、ヒロ湾の浅瀬に面するホテル前の芝生の広場に出て、悠々と辺りを闊歩するハワイガンを眺めつつ、そこかしこを散歩していると、少しの間、さあっと雨が降った。


その直後の、ぱあっと日の射した木の隙間から覗くビーチの水面が、露に濡れたばかりの葉が、驚くほどキラキラしていて。バニヤンツリーの木陰の光や空がほんとうに眩しくて。





それはハワイの独特の、虹彩の奥まで照らすような眩しい光が、雨の曇りの様子からさっと晴れたとき、その対比が本当に際立つからだろう。




旅が終わってみれば、ハワイ島の中で一番美しい印象が残るのは、ヒロのあの雨上がりの朝の光景だった。控えめだけれど、忘れられない眩しさだった。


そして、この美しさはヒロの街に雨が降るからこそ生まれるものだとしみじみ思った。








ヒロの雨は、いわゆる慈雨という感じがした。ばななさんのいうように全てをすっぽり包み込むような。仏様の手から静かに降り注ぐような__。


雨が勢いを増すに従って、目の前の風景がしっとりとしたぼやけていく様は日本の湿潤な色と似ていて、目にも心にも優しくて。


広い空と海の下で簫簫と降る霧雨は、肌が喜ぶ柔らかさで。



ヒロの雨には、打たれたいと思った。打たれるのが自然だと思った___。






そして、日本でもヒロで感じたように、雨を美しいと思える瞬間が来れば、それは、とても素敵な事だと思った。
















ところで、生まれた時期も境遇もまったく違う、訪れた時期ももちろん違うよしもとばななさんの体験したヒロは、私の体験したヒロの感覚と同じであったこと。


これは、よく考えてみると本当に不思議なことだ。



誰かの旅の記憶が、自分の旅の記憶と繋がるということ、、。





自分探しで旅をするわけではない。文化や自然に触れること__。これも最後の目的ではない。


一番は、ただ、旅の中でほんの一回、ほんのひと時、なにかがつながる実感を得たときがたまらなく嬉しいのだ。




この出逢いの喜びが、私と世界をつなぐものなのだと思うから。


遠くの世界、遠い時代、遠くの人々と一本の線でつながれる瞬間__。




私はずっと、その一瞬に憧れて、旅をしている。









今、目の前で降りしきる雨が大地と空を繋ぐように。ヒロで、雨の中にこの身が溶け込んだように。


私も自分の旅の記憶をつなぎとめ、紡いで、そしていつか誰かの記憶と出逢いますように。



そんな、雨のはなし___。








バニヤンツリーの木陰

ヒロ・ハワイアンホテル前の浅瀬










※1幻冬舎, 2015/08/05 出版

※2アメリカ合衆国ハワイ州ハワイ島の東海岸の都市         で、同島最大の町である。