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ローリング・サラリーマン詩篇    chapter 14: JAZZ CLUB

趣味のよい一流のサラリーマンともなると、たまにジャズ・クラブに出かけたりするのである。はい失礼、嘘です、見栄を張りました。初めての経験で、知人に誘われて、しかもチケットの金額を聞いた後ちょいと迷ってです。さすが都会ですなあ。こんなお店があるんですね。生まれて初めて来たので、眼につくものすべて珍しく、どうしてもキョロキョロしてしまいます。

コホン。さて、なるほどジャズ・クラブともなると、なかなか粋な方々が多いようにお見受けするのである。

案内された席の左隣のテーブルには、禿げた髪をオールバックにまとめ、日焼けした顔に白いフレームの眼鏡、ストライプのジャケットの老紳士である。見るからにタダ者ではない。しかも若い女性同伴である。女は肉付きのよい体を黒のジャケットとグレーのタイトスカートに包み、自信たっぷりの真っ赤な口紅が似合っている。もし世の中に「月刊社長秘書」という雑誌があれば表紙になりそうなエロさである。ああ羨ましい。

右隣のテーブルには、女性同士のカップルである。片方はフェミニンな雰囲気で、ここは建物の中で陽に当たるはずもないのにつば広ハットを被っているお洒落さんである。片方は、切れ長の眼がシャープなショートカットである。手を握って、赤ワインを注ぎっこしながら飲んでいる。恋人同士というのは素敵なものである。

そうこうしていると、少し遅れて僕の連れがやって来た。今夜ここに誘ってくれたのは彼女である。大学時代の同級生で、ここだけの話ちょいと憧れてた知性派美人なのである。日本人なのにオードリー・ヘップバーンにちょこっと似ている人気者だったのだが、すごいのは十五年の歳月を経てその魅力が和風に洗練されているところである。目敏い白メガネが早速左テーブルからチラチラと彼女に視線を送っているのが分かる。どうだ、女性は若くてムチムチなのだけが能ではないのだよ。ジジイ、参ったか。

さて、どうやらジャズ・クラブというところには、音楽と非日常とロマンチックが充満しているのである。いやはや、地方の山里から上京して約20年、こんなところに出入りする様になったかと思うと感慨深いものがある。思えば最初にジャズに触れたのはいつのことだったのだろうか。あ、触れたこともないや。

などと余計なことを考えているうちにどうも周りが賑やかだと思ったら、既にライヴが始まっていた。不覚。

今宵は、男性トランペッターと女性ピアニストの共演である。ピアニストは曲によって水面の揺らめきのような声でボーカルもとっている。先述の通りジャズに明るくないので、さっぱり知らない曲ばかりなのだが、アルバムもリリースしている有名なミュージシャンらしい。なるほど生演奏が素晴らしいのである。通り過ぎる音にしっかり表情があるのが分かる。綿布、サテン、絨毯、いろんな生地のように、音に肌触りがある。

そしてジャズには何とも言えないグルーヴがあると知った。聴衆は身体を揺らしている。老紳士などは老人にもかかわらず頭を縦に揺らしてノッている。秘書はセクシーに体を揺らしながらトランペッターに見入っている。ショートカットはニコンの一眼を取り出して、シャッターを切っては液晶モニタを見てベルシャポーと互いに微笑み合っている。

カオスな状況に満足しながらステージに集中すると、ライヴは佳境に入って来た。体全身で音楽のうねりを作り出しているピアニストはまるで踊っているよう。あれ。その動きでワンピースの肩紐が片方落ちかけている。老紳士同伴秘書の湿り気のあるエロスとはまた種類の違う、ジャンルー・シーフの写真のような、スタイリッシュさを纏ったエロスが現れる。生演奏、万歳!

ジャズって思ったより激しいのね。曲はどんどんグルーヴを増してくる。老紳士が頭を揺らしている。秘書は肩を左右に揺らしている。隣で憧れが頬杖をついて顔を振りながらリズムをとっている。ショートカットがベルシャポーにワインを注ぐ。ピアニストの肩紐はいよいよ落ちようとしている。老紳士が揺れている。秘書がネイルの爪先でテーブルをコツコツ叩く。憧れと目が合う。微笑み。シャッターを切る。肩紐。

セッションである。

この上なくご機嫌なグルーヴを感じていると、いきなり、ドタン! 老紳士が椅子から崩れ落ちたのである。

「ああ、こりゃ失礼。」寝ぼけ面の割に堂々と椅子に座り直している。頭を振っていたのはノっていたのではなく、なんとウトウトしていたのだ。これだからジャズを解せぬ奴はいかんのである。かっこつけずにレストランでデートしとけと言いたくなる。

思わぬ幕切れでグルーヴが途切れてしまい、苦虫をつぶしていると、トランペッターのMCが始まった。

「いつもはこんなこと言わないんですけど、今日はお客さんにリクエストを聞いてみようと思います。」

さすがはジャズ・ミュージシャンである。パッと言われた曲でも演れるのであろうか。

いいねえという表情を浮かべながらステージを見ていると、トランペッターと目が合った。軽く会釈してこちらを見ている。

ちょっと待って、いやいやその人選はマズいですよ。ジャズには明るくないんですって。

「はい、そちらのワイシャツの男性の方、いかがですか。」

こんなところでは普通のサラリーマンの格好の方が目立つのかもしれない。白メガネも秘書もレズビアンも憧れもこっちを見ている。100%僕のことですね。

彼らのオリジナル曲は知らない。だって貴方達のこと今夜初めて知ったのです。こんな場合ジャズのスタンダードとかでもいいんですか? というか、だからジャズのスタンダードを知らないんです。いや、とにかく何でも早く答えなきゃ。あの美しい女性の歌声にピッタリの曲はないか? 頭の中をいろんな情報が駆け巡った。ドタバタしながら。

そして僕の口をついて出た答えは想像以上に最悪だった。強いて言い訳するなら、ピアニストの歌声が余りにも澄んで伸びやかだったのが悪く影響したのだろう。

「タイタニック…」

一瞬みんな驚いていたが、すぐに苦笑している客もいた。

「タイタニックはレパートリーにないので、どうしようかな…」

即興でも無理ですね。最悪である。憧れが、困った顔をしている。夢であってほしい、今宵のこと全部。

「タイタニック…、船か…。」

さすがのジャズ・マンも困っている。穴があったら入りたい。というかテーブルの下に隠れよう。

すると、ピアニストがある旋律を奏で始めた。それを聴いてトランぺッターも頷いて緩やかに演奏に加わった。

♪Moon River, wider than a mile〜

ジャズ・クラブ全体が一艘の舟になって、宇宙をゆったりと進んで行く。

大したもので、白メガネも秘書もレズビアンも、何もなかったかのようにうっとりと聴いている。ヘップバーンも笑顔を取り戻したようだ。

その時僕は、勿論ひとりで水底にいた。






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この詩篇はフィクションです。
実在の人物・会社とは 一切関係がありません。

ローリング・サラリーマン詩篇 prologue
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 1: CONVENIENCE STORE
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 2: E-MAIL
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 3: 7:00AM
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 4: TRAIN
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 5: GODZILLA
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 6: BIKINI MODELS
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 7: PRESENTATION
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 8: MASSAGE
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 9:  STAFF
ローリング・サラリーマン詩篇 poem:   なりたいもの
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 10: TAXI DRIVER
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 11:  NIGHT LIFE
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 12: GHOSTS
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 13: NICKNAME
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 14: JAZZ CLUB
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 15: NURSE
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 16: LUNCH
ローリング・サラリーマン詩篇 chapter 17: FAREWELL PARTY
ローリング・サラリーマン詩篇 the last chapter: パリで一番素敵な場所は



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