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#135【雑感】つーけまつーけまつけまつげ〜

今日もお読みくださってありがとうございます!
今日はつけまつげをきっかけに思い出したことや考えたことの話です。


年寄り嫌うな行く道だ

「子ども嫌うな来た道だ、年寄り嫌うな行く道だ」とはよくできた言葉ですね。
一次情報あたってませんがネット情報によると正しくは、

子供叱るな来た道だもの
年寄り笑うな行く道だもの
来た道 行く道 二人旅
これから通る今日の道
通り直しのできぬ道

だそうです。
永六輔さんの『無名人 名語録』(1987年)に、浄土真宗の熱心な信者さんの言葉として載せられているとのこと。

なんじゃー!
「通り直しのできぬ道」にずっしりとした重みのある、めちゃくちゃ含蓄に富んだ言葉!
そうよね、やり直しは効いても、それはもう別の道。道の通り直しではない。時間は取り戻せない。
「嫌い」などという要素は全くないのですねー。おのれの次元の低い勘違いに恥入るばかりなり。

自分に呪いをかけないで。

大ヒットしたTBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』終盤で、石田ゆり子さん演じるユリちゃんの名言も、通底するものがあります。
「アンチエイジングにお金を出しても、老いを買う人なんていません」という若い巻き髪女子に向かってユリちゃんが言う名言がこちら。

今あなたが価値がないと切り捨てたもの(老い)は、この先あなたが向かって行く未来でもあるのよ。
自分がバカにしていたものに自分がなる。それって辛いんじゃないかな?

私たちのまわりにはね、たくさんの呪いがあるの。あなたが感じているのもそのひとつ。
自分に呪いをかけないで。
そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい。

逃げ恥ほんといいよねー。

くらたも若い人にここまで語れる域に行けるかしら。
成熟には経験が、経験には時間が必要です。また、年齢が上がって役割に着いてこそ得られる経験や成熟もあります。
その意味で多くの場合、成熟と老いはトレードオフです。

ただ、日本社会では成熟することにあまり価値が置かれていないので、成熟しないまま老いるだけ老いて、老害って言われても詮無い人もいるのが実際のところです。

くらたはまだまだ未熟ですが、若い頃よりは成熟した部分もあり、なんとなく感じることがあります。
それは、成熟は事後的に実感するものであり(「成熟は事後的に実感」とは内田樹さんの言だったかも。さも自分の言葉みたいに言ってしまった。)、成熟の良さは成熟してみないとわからないということ。
成熟していない人に成熟の良さを伝えるのは難しい。厄介です。

そうなれば、特に若い世代にとっては、「40歳くらいで死にたいなぁ」なんて、ただひたすら老いが恐ろしいものに思えるのも無理もないと思います。

でーもさー、人間無事に40年生きていたなら、ディズニーランド40周年のように踊れ歌えで祝ったっていいはずだ。
アメリカに住む知人によれば、アメリカでは「40歳からはまた別のステージが始まる」と考えられているから、その新ステージでは一番の若手になるらしいですよ。

話がずれますが、石田ゆり子さんは若い女子とバトルする役にキャスティングされがち。そのたびに見事に成熟した女性を演じてみせてくださるのでほんとにすごいなと思います。
映画『マチネの終わりに』で、石田ゆり子さん演じる洋子が、桜井ユキさん演じる三谷と対話するシーンでは、真相を知って戸惑い怒り様々な感情が湧き上がりながらも抑えようとする表情の変化が秀逸でした。

遠い過去から返ってきたブーメラン

さて。
5〜6年前、仕事でご一緒したとある市井の50代の女性が、お化粧の濃い方でした。
漆黒のアイラインを引いていらしたのですが、目のキワから2〜3ミリ上にずれていて、太くてヨロヨロした線で、目を閉じても開けても、変な位置に変な線が引いてあるように見えました。
そのとき30代前半でまだまだ未熟だったくらたは、それならアイラインひかなきゃいいのでは、と心の中でこっそり思ったのでした。
ほんとに未熟って怖い。

さて、ここ最近の話です。
アラフォーとなったくらたは、フラの発表会のために、つけまつげの練習をしなければならなくなりました。
(やっとつけまつげの話にたどり着きました!)

つけまつげなんてフラの発表会でしかしないし、コロナ禍で何年も発表会がなかったので、くらたのつけまつげスキルはほぼ0です。
本番当日にワタワタするのは嫌なので、しばらく毎日つけまつげ練習をすることにしました。
タイトル画像はつけまつげをつける練習用にくらたが使っているつけまつげ(D-UP02)です。舞台用はもっとビッシビシのバッサバサですが、さすがにそれでは公道を歩けないので。

いやーしかし手先が不器用なせいかなかなか上手くなりません。
スライサーで手を切ってるくらいだしね。まだこのときの怪我のために親指にバンソーコ貼ってるせいもあるかもしれません。

バチっと目のキワにキメられないのです。
なかなか目の曲線に沿ってくれないのですよね。
先日、フラのレッスンにもつけまつげをして行きましたが、レッスン場に着いたときには目頭は目のキワからずれてるし目尻は取れかけているありさまでした。

つけまつげの直線たろうとする志や、よし。

くらたのつけまつげを見たお教室仲間さんは、
「私も今朝つけたのに、大学生の娘に『ママ、目のキワから離れすぎ!恥ずかしいからそのまま出かけないで!』って言われて外してきた……」
とおっしゃっていました。

ナヌ。
既視感。
なんか何年か前にわたし似たようなことを他人に対して思ったことあるぞ。
わかる。わかるけど痛い。
遠い過去から飛んできたブーメランがぐっさり刺さっている。

また話がずれますが、ほんとに若い人ってつけま上手ですよねー。くらたのいとこの娘も大学生で上手なんです。
昨年、近しい親族、それもジジババしか来ないような法事にもつけてきてくれて、キュンでした。盛装は場を敬意あるものにすることをエンパワメントしてくれます。

閑話休題。
そのレッスンの日のくらたのつけまつげは、目のキワから離れているところもあるし、ヨレヨレしている部分もある。
ありし日の50代女性のアイラインと何も変わるところがありませんでした。
今日のところはこれでいいかー、と思ってしまった。

ああ、こういう日もあるよね、あの方もこのような心持ちだったのか、と5〜6年越しに理解することができました。

子ども叱るな来た道だもの。
年寄り笑うな行く道だもの。

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