実らぬ恋をしてたね
恋をしてたね Girl
笑っておくれよ Girl
どんな瞳で Girl
今は誰を見つめているの
引用したのは、福山雅治「Girl」(4thアルバム「BOOTS」収録、1992年)の歌い出しである。軽やかで透き通った彼の歌声は、今も昔も変わらない。なんと、もう50代だというから驚きである。我が故郷、長崎県が誇る芸能人の一人である。
「恋をしてたね」から始まる歌詞を口ずさみながら、ふと過去の恋に思いを馳せてみたが、とてもきれいごととして書けるようなことはないと気づいた。ここで書くのをやめておく選択肢もあったが、せっかくなので駄弁を弄しておこう。それにしても、小学生時代から大学時代まで、実らぬ恋ばかりしてきた。異性を含め、他人に自分をアピールすることが苦手であったことが一つの敗因である。そうはいっても、小学生の頃は足が速かったので、多少モテてもよかったのでは…? いいえ、失礼。
特に、笑止千万であるのは、異性とのコミュニケーションをどのようにして取ろうかということについて、あれこれ(実現しない)(空虚な)思索を繰り広げていたことである。人間同士のやりとりにおいて、現実には教科書通りにいかないことなど山ほどある。しかし、未熟な私は、そのことに全く気が回っていなかった。建前通りにものごとが進んでいくことを望んでいた。人間関係においても同様に。もちろん、大人になれば、そんなことはまったくもって幻想であり、異性関係にかぎらず、仕事においても、実際のやりとりの中で身についていくばかりである。イレギュラーなことも多い。様々なシチュエーションをこなしていくうちに、それぞれの相手に見合ったコミュニケーションの形が見つかっていくというのが実際のところだろう。
そんなことはいざ知らず、インターネット検索を活用し、誰が書いたのかわからないブログやらまとめサイトやらに一喜一憂した。おわかりのように「活用」というほどかっこのよいものではない。「LINE 脈あり」「女子 脈あり」「脈あり 話し方」「好意 見分け方」「A型 相性」などと検索すると、良くも悪くも、自分が求めていた答えを見つけられることがある。でも、そこで自分にとって都合のよい答えが見つかったとしても、それは机上の空論である可能性もなきにしもあらずである。本当のことは、実際に目で見て、肌で感じて確かめてみなければわからない。そんなことは全く気にしていなかった。ああ、恥ずかしい。そりゃあ実らないわけだ。
最近、私は、結婚に対する憧れを抱いている。その分、興奮や熱狂をともなう恋に冷めた目を向けている気がする。以前のように、インターネット検索で「脈あり」だのなんだのと検索してみると、やはり同じような記事は今でもあるのだが、それを見て「現実は教科書通りにいかないんだぞ」と、したり顔で画面を閉じたところからして、少しは成長しているのだと思う。そうはいっても「今は誰を見つめているの」と問われてハッキリと答えられるようになりたい気がしないでもない今日この頃である。
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