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「noteOP」夜話


2019年10月8日、神戸市にあるコミュニティ型ワーキングスペース「 #ONPAPER 」でおこなわれた「 #noteのはじめかた 」というイベントに参加した。そのことは、すでに記事にしているので、noteを使う上で役立つ情報は上の記事を参照してほしい。

モデレーターを務めたのは、元大手広告代理店勤務で、現在は福岡在住の池松潤氏。自他共に認めるnoteのファンである。このことも、上の記事ですでに述べている。これに補足をすれば、noteを愛するあまり、公式・非公式を問わず、イベントに参加し、時に開催もしている。これに関連して、noteについて多くの発信を行っている。以下はそのごく一部である。

イベントから、飲み会へ

今回のイベント終了後には、池松氏やトークセッションに登壇した赤松翔氏を囲み、飲み会へ行った。

もちろん、イベント中も熱意を感じたが、そのあとの方がむしろハートを動かされたように思う。noteがどういうものであるか、という話も尽きなかったが、その端々で両氏から出てきたことばに注目しないわけにはいかなかった。両氏いずれの発言であったかは正確に記憶していないので(酒に酔っていたために)、とりあえずツイートしておいたものを共有したい。

noteから、人生そのものへ

これは、noteにかぎらず、SNSやブログ等で何かを発信したり、イベントを開催したり、何かをやろうとするときには、つねづね自分に問いかけたいことばである。会社の採用試験を受けると、「志望理由は何ですか?」という問いに答える必要があるけれど、別に、誰に問われなくても、そこは自分自身の頭の中では少なくともハッキリさせておきたい。

とりあえず行動するということは、勇気がいる。誰にでもできるわけではない。その上で、何がゴールなのかがハッキリすれば、なおよい。おのずと見えてくるものがある。たとえば、どう行動するのか、というところから始まり、ゴールまでの中間地点はどこにあるか、というところまで。

これについては、前の記事で少し触れた。一神教的な価値観のもとに、特定の「教祖」に熱狂するということの危うさを突いたことばである。「教祖」と「信者」という構図は、部外者が見るとかなりうさんくさく思える。でも、それはそういうものだから、仕方ない部分もあると思われる。

そうはいっても、やはり「信じたいもの」をひたすらに信じていればよいと思い込んでしまっては、本当に大切なものが何かを見失うことにつながりかねない。もし、あなたが「教祖」の言うことを信じたとして、そこに「救い」はあるのだろうか?

年を取ると、趣味や嗜好が固定化され、新しいものに挑戦しなくなるというのはよく知られた話ではないか。それが、ここにいう「ジジイ」である。ここでは「青臭くあれ」ということが教訓となる。「若々しくあれ」というとハードルが高いのではないだろうか。でも「青臭くあれ」となると、ハードルが低くなる感じがする。

元大リーガーのイチローは、打率約3割であるということは知られている。野球でなくとも、彼の行動量を見習って、とにかくバットをスウィングすることで、たまにはヒットもするだろう。ある日突然打率が上がることもあるかもしれないが、それがいつなのかは誰にもわからない。神のみぞ知る?

ヒントを手にしたそのあとに

こういうときにありがちなのは、「ありがたいお話を聞いた」ことに満足してしまうことである。ところが、それだけ終わってしまうと、そのうち忘れてしまう。せっかく道しるべがあっても、それは役立ててこそ意味を持つ。共感するところが一つでもあれば、その一つを頭の中に刻んで、誰かのために役立ててみてはどうだろう。



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