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”自分軸”で生きるということ

先日、私が約1年前から所属している、NPO法人きっかけ食堂の合宿に参加したときのことである。「目標シート」というものを記入し、皆で発表しあうというワークに取り組んだ。

一緒に参加していた仲間は、自分のやりたいことがある程度明確で、それを成し遂げたら活動に区切りをつけるということを考えているらしかった。だが、我に返って考えてみると、自分には、そこまで明確な「やりたいこと」が無かった。

しいていえば、組織の発展・存続ということには関心がある。だから、後輩たちが自立した団体運営をすることができるようになっていけば、それが一つの活動の区切りになるだろう、ということはぼんやり考えていた。そういうわけで、そんなことを発表したわけだが、先輩からあるコメントをもらった。それが非常に印象に残っているし、目から鱗が落ちる思いがした。

「”自分軸“でやりたいことが見つかると良いよね」

自分に何が足りていないか、という問いに対する一つの答えのようなものを見つけるきっかけになった気がする。前に述べたような、組織の発展・存続というのは、いうなれば組織の論理であって、自分がどうしたいかを言っているようで言っていない。つまり、自分が何をしたいのか、ということを、明確に描けていないのである。

今まで生きてきた中で、ずっと”自分軸”という視点が無かったな、と改めて感じる。学校でも職場でも、自分が脇役であるという感覚がどこかにあった(主役は別に存在している)。だから、自分が何をしたいかではなく、組織全体として何を目指すべきなのか、何をなすべきなのか、そういうことを考えざるを得なかった。あるいは、周りの声に流されて、さも自分でよく考えて選択したかのように錯覚した。

”自分軸”でもって、ものを考えることができれば、そういう自分を変えることができるかもしれないと思った。今までは、それは自分勝手に生きるということと混同していたが、当然ながらそうではない。

いくつになっても、夢や目標を持ち続けることは許されるのである。それ以上でもそれ以下でもない。人生は長いようで短いから、一日でも早く、自分にとっての「やりたいこと」を見つけたい。

※次回、12/2(土)に、滋賀県長浜市でイベントを開催します!


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