Twitterに駆ける
正月休みが過去のことのように思えるのに、生活リズムが狂っていて、難儀している。二度寝をしてしまい、起き上がると、13時を回ろうかという調子であった。やれやれ、である。
今年の1月はとても寒い。もっとも今朝は雪が積もっていたらしい。私は、昼過ぎに起きたので、そんなことは全く知らなかった。それにしても、窓を開けると、冷たい風が吹いている。
やはり今日も例外でなく寒いとわかったので、外に出るのは早々に諦めて、シリアルを食べることにした。すると、牛乳を使い果たしてしまった。そういえば、久々に牛乳を使ったので、牛乳がもうないということを忘れていた。困ったものだが、こんなに寒いのだから、外に出て買いに行くなどということは考えられない。
昼食を食べ終えた後、けっこうな時間をTwitterに使ってしまった。一度やり始めると、やめるタイミングを見失ってしまうほど没頭してしまう。そんなに面白いツイートは書けない。いつも反応は大したことがない。それでも、やめられない。
こういう生活を何年も続けてしまっている。Twitterに費やす時間をもっと有意義に使うことができれば、日常生活における充実感がどれだけ高まるだろうかと考えないこともないのだが、病的にやめられない。いちいち感情を揺さぶられすぎて、やめた方が良いのではないかと思ってはいるのだが、それでも…である。
学生時代に、もっとTwitterに費やす時間を少なくしておけば、もっと良い入試成績を出せたかもしれない。もっと良い学業の成果を収めることができたかもしれない。充実した人間関係を築くことができたかもしれない。もっと言えば、いろいろと「バカなこと」をする時間が持てたかもしれない。
「かもしれない」というのは、つまり結果論でしかないのだが、そう思う。無駄な時間を極力少なくすれば、もっと自分が本当にやりたいことに注力することができるはずである。
今なら、映画やドラマを観ること、勉強をすること、読書をすることに、もっと時間を費やしたいと思っている。もっといえば、これらを計画的にこなしていきたい。一度ひとつのことをやり始めると、Twitterと同様にして、他のところに目がいかなくなってしまう(勉強についてはあまり集中力がないのだが)。
ただ、本当にやりたければ、何も考えなくてもやっているのではないかとも思う。やり始めるのが億劫なのは、本当はそこまでやりたくないのではないかとも思ってしまう。どちらかといえば、「やらないといけない」という気持ちが強いということであろうか。ちょっとそこまで自分に対して批判的になるとしんどいので、このあたりにしておきたい。
ここまで読んだ方は、「こいつTwitterしかしていないんじゃないか」と心配されるかもしれないが、実はそうでもない。仕事のある日は、そんなにやっていない。
この期に及んで見苦しい言い訳に思われるかもしれないが、ちゃんと映画なんかも観る。最近は「フラガール」や「こんな夜更けにバナナかよ」を観た。読書もする。星野源「そして生活はづつく」(〈文春文庫〉文藝春秋、2013年)を読んでいるところである。星野源っぽい、悲哀とユーモア満載の文章を書いてみたいという気になっていて、今こうしてつらつらと書く気になった。
いずれにしても、Twitterをやりすぎていることは、とにかく反省しているので、その点はお忘れなきよう、よろしくお願いします。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?