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父の見ていた風景

「一度は行って見たい、あこがれの場所はどこか?」

・古代人の落書きの『ナスカ』
・ガウディーコードの『サグラダ・ファミリア』
・地底人の存在を証明する『南極のボストーク湖』
・歴史から消えた巨大都市『テオティワカン』

ちょっと考えただけでもいくつもあってキリがなかった。

ただ、それらは結局お金と時間があれば実現しそうで(いや無理かもしれないが)一度は行きたい、ではなく、絶対将来行くぞ! と言う場所だった。

ならば、お金と時間があっても絶対にいけない、一度は行って見たい場所はどこか? そう考えた時、ふと思い浮かんだのは父の職場であった。
それは東京の、どこにあったかすらわからない場所なのだ。

私と父の関係を簡単に説明すると
父は私を抱きあげた最初の男であり、私の誕生を世界ー喜んでくれた男だった。しかし、それでも父は年中自分に夢中で、少なくとも子育てにはあまり興味がなく。『父が昔よく何かしてくれたな〜』なんて言う記憶は一切ない。父との最後の思い出といえば、小学5年生くらいの時、一緒に将棋をやった、それくらいである。

酒を飲むと人が変わって暴れ、母親と口論する父は私の敵でしかなかった。結局、私が高校生の頃に父は家を出て行き、しばらくして、離婚が成立した。そして、以来一度も会わずして、父は勝手に死んでしまった。最期、医者に「家族を呼びますか?」と聞かれた父は、それは拒否したらしい。なんとも悲しい話ではあるが、それが事実らしい。

父が死んだ時、私は社会人何年目かで、社会と自分の折り合いをどうつけるか、必死にもがいていた。父は一体社会とどう折り合いつけていたのか、父に聞きたい、ちょうどそんなことを思っていた時期だった。

父と言葉を交わしたのがいつか、それはまったく思い出せない。おそらく最後の言葉はあんまり家族らしい言葉ではなかっただろう。

父は家族からも愛されず、仕事でもうだつが上がらなかった。
父は大変な努力家ではあったけれど恐ろしく不器用な人で、家族に対する愛情表現も、仕事も上手くこなすことができなかったのではないか、今では私はそう考えている。

勝たねばならぬ
勝たねばならぬ
勝たねばならぬ

酔っ払うと。父はそんな独り言を繰り返していた。

一体何とたたかってるんだよ! 幼い私はそう思っていたが、今ではほんの少し、その言葉の意味がわかる。

万年、平社員だった父の職場がきらびやかであるはず決してないと思う。
ただ、少なくとも私が高校に入るまでは家族養っていた父はそこで父なりにたたかい、奮闘して、家族が知るよしもない時間を過ごしていたのだ。
父の戦場、そこはどんな場所だったのだろうか。

新宿、丸の内、銀座、新橋。
オフィスが立ち並ぶ大きな駅にくると少し、父のことを考える。
父は果たしてこの街でどんな風に過ごしていたのか。
そして同時に、私はどこかにあった父の職場に思いを馳せているのだ。

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