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ねじれたリコーダー

 間違っている。そう思って、私はまた線を消す。間違った線に、私は冷静でいられない。私は新しい線を描く。その線もやはり間違っている。すぐにそういう結論に至って、私は苛立ちと共にその線を消した。果たして、本当に正しい線は存在するのだろうか? 私は首をかしげる。

 正しい線。少なくても、今まで私はそれが存在すると思って描いてきた。
いや、それが無いなんて、疑ったことはなかった。ただ、いまの私には正直それが本当に存在するのか、わからなかった。

 私はひどく混乱していた。

 あの日、私は紙に絵を描くことをやめた。
何度も何度も間違った線を消すうちに、とうとう紙が破けてしまい作成途中の絵を台無しになってしまう。あの頃はそんなことばかりを繰り返していた。

 だから私はあの日、紙で描くこをやめた。私は代わりにパソコンやタブレットで描き始めた。それらを使えば間違った線は簡単に消せる。『戻るボタン』を押して一つ前に戻ればいいのだ。何とも手軽、画期的とさえ思った。

 けれど、パソコンやタブレットで絵を描くようになってから、私はいよいよ絵を完成させることができなくなった。間違った線はすぐに消せるが、正しい線を見つけるのは非常に難しかった。それはいつ終わるのか分からない無限の旅で、私はその途中で消耗し、疲れ果て、絵の完成を放棄した。

 一体絵描くとはどう言った行為だったのか? うまく思い出せなかった。私は意地悪な裁判官で四六時中、線に対して有罪判決を出しているみたいだった。私はひたすら微分していた。おそらく積分をするために微分をしていたのだが、いつから微分が目的となってしまった。

 それでも私は何とか自分を奮い立たせて、絵を描き続けた。ただ、今日もすぐに疲労感や焦燥感、そんなものが私を支配して、それ以上絵を描くことができなくなってしまった。
 そんなことが2週間ほど続いて、とうとう私は体調を崩し寝込んだ。

 途切れ途切れの睡眠の中、私は古い記憶をさまよっていた。
私はなぜ絵を描いているのだろう? 私はなぜ今まで描き続けてきたのか?

 小さい頃から私は絵が上手かった。上手いと思っていた。周りの友達も先生も私が絵が上手いと言ったからだ。いや、そうではない。いま冷静になって考えてみれば、私ぐらい上手い人間なんていくらだっていた。私より上手い人間だっていくらだって思い出せる。
 
 では、なぜ。私はここまで自信を持って絵を描いてこられたのか?

明け方近くの青い時が来て、私はようやく一人の人物を思い出した。

小学校3年の時の担任。小山先生だ。
あの時先生は、私の絵をみんなの前で褒めてくれた。

 なぜそんな行事があったのか、今では思い出せないが、私が通っていた小学校では月に一度の朝会の後、全校生徒が一斉に絵を描く時間を設けられていた。毎回描くテーマが決められており、確かあの日のテーマは「リコーダー」だった。

 あの日、ばかな私は何も考えず、画用紙の中心部分からリコーダーを描き始めてしまった。そして案の定、リコーダーを半分ほど描いたところで紙の下まで来てしまい、紙が足りなくなってしまった。

 私は途方にくれた。それが禁止されていたかは定かではない。ただ、少なくともその時の私には紙を付け足すという選択肢は思い浮かばなかった。

 冷たい汗をかき、悩むこと数分、しかしここで私はある斬新な(少なくとも当時の私はそう思った)解決策を思いついた。私はその時、リコーダーをねじ曲げて描くことにしたのだ。リコーダーはそんな形はしていない。そんなことは分かっていた。ただ、私はリコーダーを中心付近から曲げて描くことで残りの部分を再び画用紙の中央に向かって描いていき、何とかリコーダー全部を画用紙に収めることに成功したのだ。

 私は安堵し、自分自身に感嘆した。描ききれないと言う絶望から解放され、何とも晴れ晴れしい気分だった。

 けれど、それからしばらく後、クラス全員のリコーダーの絵が教室の後ろの壁に張り出された時、私は再び絶望することになった。壁には実に様々なリコーダーが並んでいた。よく描けているもの。不恰好でお世辞にも上手いとは言えないもの。ただ、当然私のように中央でねじれて曲がったリコーダーを描いた人は皆無だった。

 早く取り外してくれ。私は毎日ねがっていた。そこには私の失敗が、私の間違がずっと晒されていたからだ。それは誰がみても明らかな間違いの証拠に思えたのだ。
 けれど、ここで、予想外のことが起きた。なんの時間だったかもう忘れてしまったが、担任の小山先生がみんなの前で、なけなしに私の絵を褒めてくれたのだ。

「素晴らしい、これが表現だ、個性だ」

 先生はそんな言葉を並べただろうか。今思えば、先生は私がみんなにからかわれないためにそうしてくれたのかもしれない。ただ、私はその時にのびのびと絵を描くことを許された、そんな気がしたのだ。

 私は、朝の鳥達の声を聞いていた。
あの時の私の線は間違っていたのだろうか? 私は改めて自分に聞いてみた。


 私は今日も絵を描き続けている。昔の私には言わせれば、私は間違った線を沢山描いているのかもしれない。
だた、少なくとも今の私は、正しい線など、どこにも存在しないことを知っている。

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