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宇宙庭園とねずみ(4)実験

 日曜日の朝は久しぶりに穏やかだった。酔っ払っていたせいで、眠りが浅かったのがプラスに作用したのか、本当にいつ以来ぶりか悪夢を見なかった。

 ローデスクの上には、昨晩飲んだウコンの缶が置かれていた。賢い判断だった。湊の話が面白くて、後半ついつい飲み過ぎてしまったから、下手したら今日は2日酔いで一日を台無しにしていたかもしれない。

 ベランダに出て少し頼りない2月の太陽にあいさつし、布団を干してから、掃除機をかけ、ゴミを整理してまとめる。

 日曜日の朝のルーティーンがひととおり終わると、僕はカメラを持って、散歩に出かけた。外に出るのは億劫だけど、写真を撮るために出かけるのは好きだった。

 写真。彼女が僕に残した破片カケラ。カケラは僕の心にずっと残されているから、それをどうすることもできなかった。

 風が力強く背中を押す。強風。ただ、今日はそれが妙に気持ちよかった。時の流れ、変化、そんなものが具現化され、分かりやすく示されている、そんな風に思えたのだ。

 僕は今日も空にカメラを向ける。

 空、これだけ多様な姿を表す被写体もめずらしい。最近は冬の空の魅力にはまっていた。それは時に物憂げで、妙にサッパリとしているかと思えば、その深い部分でずっと何かを育んでいる、そんな空なのだ

 空の写真を30枚ほど撮って、僕は家に戻った。

 家に帰るとコーヒーを入れ、レンジで冷凍うどんを温め、それに ” 麺つゆ”と ”生卵” と ”ラー油” を絡めて食べた。それから今の気分に合う音楽をかけようと、音楽配信サービスを立ち上げたところで、湊の話を思い出し 自分も ”キヨシ・オカ” の『Transformation』を聴いてみることする。

 ところが、どうしてか、同名の曲はいくつかヒットしたものの 、”キヨシ・オカ” の『Transformation』は見当たらなかった。いや、そもそも ”キヨシ・オカ“ というアーティスト自体が検索に引っかからない。そこまでメジャーなアーティストではないのか? 湊のことだから、コアな音楽ファンだけが知っているアーティストなのかもしれない。

 僕は次にネットで ”キヨシ・オカ” を検索してみた。しかし、同姓同名の人物は何人かヒットしたものの、やはり湊が話していた人物を見つけることはできなかった。 ”キヨシ・オカ” のことをもう少しちゃんと聞いておけば良かと後悔しつつ、僕は一旦諦めて「午後のピアノ」というプレイリストを選んで再生した。ピアノの音が僕の部屋をカラフルに彩って、気分が少し軽くなる。

 僕はそれから午前の散歩で撮ってきた写真を順番に確認していった。構図がいまいちだった写真を削除し、これぞという写真を厳選する。写真をパソコンに取り込み、クラウド上の写真管理のサービスにアップロードする。それから今日一番のお気に入りの写真を選んで、それに簡単なコメント書いて日記をつけた。

2/5(日)
久しぶりの散歩、風が強い日でした。
昨日は湊から面白い話を聞いた。
湊の夢の中では、僕には ”ねずみ” の友達がいるらしい
もし僕の夢にもその”ねずみ”が登場したら
一緒に『たこ焼き』を食べに行きたい。
何となく『たこ焼き』を。

それから湊にメッセージを送る。

『Transformation』見つからなかったよ。
 ”キヨシ・オカ” ? であってたっけ?

 湊はどちらかというと返信が遅いタイプだ。何かに夢中になると何日も連絡を返さないこともある。だから僕は返信を期待せず、よし! と気合を入れて、溜まりに溜まった事務作業をこなすことにする。「携帯電話のオプションサービスの無料期間終了に伴う変更手続き」「PCのセキュリティソフトの更新」「粗大ゴミの申し込み」「住まいのアンケートメールの返信」どれもおそろしくつまらない作業だったけれど、心地よいピアノの後押しがあって、僕は何とかそれをやっつける。

 結局夜になっても湊|《みなと》からの返信はなかった。今日はなんだか、ひどく眠くて、11時過ぎには、眠ることにする。それからふと思い立って、僕も湊と同じように『Transformation』を聞きながら眠ることにする。作曲者は全くの別人だったが、まあそこはご愛嬌だと勝手にそれで良いことにした。

 僕自身、湊の話を完全に信じていたわけではない。ただ、”紫色の男たち” より、” 厚かましいねずみ”  の方がよほどかマシじゃないか。

 3時間、曲がLOOP再生されるように設定して、僕はベッドに潜り込んだ。

 僕が選んだ『Transformation』はいわばファンキーなダンスミュージックだった。繰り返されるループが心地よく、どんどん引き込まれていく。ゆめうつつ、徐々に意識がドロドロになっていく。

 必ず同じ場所の夢を見るんだ。

 湊の言葉が頭の中で再生される、同じ場所?……そうだ、それなら僕にだって、そんな場所がある……そう、いつも夢の世界で必ず過ごしているあの部屋……あの部屋は一体?……。

 考え始めた途中、意識は完全に溶けて、僕は眠りの世界に落ちていった。

宇宙庭園とねずみ(5)へ続く


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