借りパク奇譚(5)
散々記憶を堀りかえした結果、おれはもう一つ、借りパクした「レモン」を思い出した。
これまた大学時代の話である。その日、おれは友人の家、男友達4人で飲んでいた。メンバー全員が酒豪で、やたらハイボールが好きな奴らだった。その日もおれたちは例のごとくハイペースで飲み続け、順調に氷とレモンと炭酸水、それから安いウィスキーを消費していった。
そして途中、とうとう潤沢に買っていたはずのレモンがなくなってしまったのだ。安いウィスキーで満足しているくせに、レモンなしじゃ、ハイボールとは言えない。変なこだわりがあったおれたちは、むむむと悩んだ。それというのも、その日は極寒、どうしても近所のスーパー(チャリで10分)へ行くのが億劫だった。
そして、今思い出しても愚かな考えなのだが、ジャンケンで負けたヤツが、隣の部屋の住人にレモンを借りに行こうということになったのだ。
誰かが言った「昔の日本は調味料とか貸し借りしてたろ」とおよそ説得力のない言葉に、「今度買って返せばいいじゃん、いいじゃん」と"くそっぱらい達"(くそな酔っ払い達)は盛り上がり、いざジャンケン。見事に負けたおれは、仕方なく、えいやと隣の部屋を訪ねた。
隣の住人は、若く優しい、社会人の男性だった。
くそっぱらいの話をふんふん聞いてくれ、「ああ、あげるよ」となんと奇跡的に、持っていたレモンを2つくれたのだ。おれは恐縮し、「後日必ず返します! ありがとうございます!」と何度もお礼を言って友人の部屋に戻った。
「お前は凄い! 勇者だ! レモンは明日、おれが買って返しておく!」と部屋の住人「坂上」は、調子よくおれを讃えた。おれは誇らしい気分にさえなったものだ。しかし、後になって(それは社会人になって何年目かの、久しぶりに4人で集まった時の飲み会だった)坂上はその後、レモンを返していなかったことが判明した。後日は飲み会の時とはテンションが違ったんだという坂上、まあわからんでもないが、結果おれが借りパクしたことになってしまったのだ。まあ、あのお兄さんは「あげる」と言ったわけで、正直これに関しても借りパクというと少し違う気はするが、この際仕方ない。
記述開始から30分、山田以外の全員はペンを置いていたが、依然あいつはカリカリカリカリ、あろうことか4枚目の紙に取り掛かっていた。
さらにそれから10分、開始から40分を少し過ぎたところで、ようやく山田がペンを置き、記入時間は終了となった。直前まで、全力疾走していた『ジュケバルジャン』。その顔にはやりきったぞ! という意味不明な満足感を浮かべていた。
「皆さま、お疲れ様でございました。いかがだったでしょうか? まずは何より、借りたままになってしまった品々を思い出し、それに思いを馳せてみること。それが第一歩となります。自然と貸してくれた方への感謝や、自分がしてしまったことへの後悔の念が、心に浮かんできたのではないでしょうか?」
亮潤様の言葉に「はい」と大きな声で返事をするボンネ。
大げさに「うんうん」とうなずく『こざかしジャン』山田。
亮潤様、とりあえずは一発、その警策で愚かな山田を引っ叩いてはくれないでしょうか。おれは思う。
「ではこれより、一番苦しい『懺悔の儀』に入りたいと思います 。『懺悔の儀』とは他でもありません。今各自が作成したリストを、皆の前で読み上げる儀式となります。大変辛いとは思いますが、正直に読み上げて下さい」
なるほど。なるほど。なかなかエグいではないか。全員の前で、何を借りパクしたのかを晒すというわけか。「おいおい、懺悔するなんて聞いてないぜ」という者が出てきてもおかしくない。おれはまたチラッと他の参加者の表情を確認する。わかり易く狼狽する『ロウバルジャン』こと山田。対照的にクロエもボンネも既に覚悟は決まっているのか、堂々と構えている。いやはや、山田が何を借りパクしたかはどうでもいい。ただ、クロエやボンネについては少し興味がある。なかなか人間の性には逆らえないなと思っていたところ、
「では、最初はたけし!」と亮潤。
まさか、トップバッターはおれであった。
その場で立ち上がり一礼。表の通り【借りたもの】【借りた人】【価値】【返せなかった理由】の順番で読み上げ、すべてを読み終えたら再び一礼し座る。
亮潤に流れを教わり、おれはおもむろに立ち上がって、まずは一礼した。懺悔するほどのものではないが、『懺悔の儀』のルールに従いおれは読み上げていく。
「文庫本、トオルさん、500円、急遽音信不通になってしまった」
「レモン、友人が住むアパートの隣人、200円、返却を友人に任せていたが、友人がそれを怠っていた……以上です」
おれは再び一礼して座る。
こんな感じでいいのか? おれは確認するように亮潤を見やると、亮潤が深く頷いたので一安心だった。
しかし、いざ読み上げてみるとおれのリストは実に間抜けである。おれはリストにあげた2人のフルネームすら知らないのだ。そしてそれを読み上げたのは「たかし」ではなく「たけし」である。リスト2つは少ないか、とは思っていたが、運よくトップバッターだったので、それを気にせずにすんだのはラッキーだった。
さて、亮潤が次に指名したのは──ボンネ。
予想通り、多少仰々しい一礼とともに、懺悔がスタートした。
なんてことはない、ボンネにしても借りパクした物の数や内容はかわいいものだった。「CD」が1枚と「漫画」2冊、それから「シャーボ」と懐かしい品が1つ。正直おれと同様、わざわざこの寺にやってくる必要があったのだろうか?と思うレベルだった。
けれど、最後に読み上げたもの、それに関してはいささか勝手が違った。
「タイヤ、 不明、 10万円、 返すのが億劫で、そのまま借りっぱなしにしてしまった自分の心の弱さ 以上です」
タイヤ?……タイヤを借りパクする状況というのは、なかなか想像しにくい。
あっ、あれか。” スタッドレスタイヤ ”かなんかを友人から借り、そのままにしてしまったということか? しかし、そうであれば「貸主の名前」が不明というのはおかしい? なら、そこら辺にあったタイヤを拝借したということか? いや、それは「借りパク」ではなく「ただのパク」だ。「亮潤さん」ではなく「オマワリさん」の出番である。うーむ、謎である。
それにしても最後のタイヤを読みあげた時のボンネの表情、それまでも険しい表情ではあったが、タイヤの時には今にも泣き出しそうな顔をしていた。まさに後悔の念が彼の全身を支配しているかのようだった。「もういいよボンネ、お前は十分苦しんだ」おれは心の中で勝手にボンネを慰めた。
著名人の謝罪会見のように、深く、そして長い礼をしボンネは懺悔を終えた。
(6)に続く
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