白い時間の話
私はその日、初めて『白い時間』の話を聞いた。
「『白い時間』って知ってますか?」
男が思い出したように言った。
「雪の降る日に、外でじっとたたずむ、そんな時間ですか?」
私は答えた。
「なるほど。確かにそれも白い時間ですね。ただ、私の言う『白い時間』はそれとはまた少し違ったものなんです」
「なるほど。では、それは一体どんな時間なんでしょう?」
男はそこで考え込んだ。実際に白い時間を思い出し、反芻し、それについて私に誤りなく伝えようとしている。私にはそう思えた。だから私はなるべく男にプレッシャーをかけないようにして、じっと待った。
「ところで、日常生活で自分の時間を持っていますか?」
ふいに、男が何かを思い出したように私に質問を返した。
おそらくそれについて話すことが『白い時間』について語る上で重要なのだろう。
「仕事を終えて家に帰り、風呂に入ったあと、その日の気分にあったカクテルを作ります。部屋を間接照明だけにして、カクテルを飲みながら、音楽を聞いている時間、それが自分の時間だと思います」
「うーん。素敵な時間、深い群青の時間ですね。お話を聞いていて私にはそんな風に思えました」
群青。確かに。色をつけるならそんな時間かもしれない。
「ええ、まさしく」 私は笑顔を浮かべ頷いた。
「私の一人の時間も同じく、映画を見たり、音楽を聞いたり、本を読んだり、時には豆を挽いてコーヒー入れ、ゆっくりそれを楽しんだりします。なんでしょうね、『黄色』とは違うが『紫』とも違う。そうだ、まあ『薄いオレンジ』ですかね、私の場合は。けれども、結局それらは、何かしら色のついた時間なわけです」
「なるほど」
「ただ、私はある日、『白い時間』を見つけたんです。その日、私は疲れきり、同時に苛立っていました。帰宅してすぐ、服を脱ぎ捨て、ソファに寝び、2、3愚痴を言って、それから映画を見ることにしました。しかし映画を見ていたら、さらに不快な気分になって。映画を放り出し、イヤホンで耳を塞ぎ、音楽を聴き始めました。クラシックから初めてロック、JAZZ、HIPHOP、現代音楽まで試してみました。けれど、全くダメです。どの音楽もその時の自分に合わなかったんです。音楽は一向に私をどこにも連れて行ってはくれなかったんです。
「何一つ物事が進んでいない」
気がつくと私は独り言を呟いていました。それからコーヒーを入れて、ゆっくりと本を読んでみたけれど、やはりそれもダメでした。何にも頭に入ってこない。
つまるところ私はずっと自分自身を説得しようとしていたわけです。
お前はこれを欲しているのだろう
これさえあれば、お前は愉快な気分になれるのだろうと。
しかし、やはり人間というものはそんな単純にできていないらしいんです。どうしたって時間は『薄いオレンジ』にならないのですから。
事実、そこには既に『グレーの時間』が存在していたのです。
私は必死に『グレーの時間』に『薄いオレンジの時間』を上塗りしようとしていました。そして、それが一向に変わらないことに憤っていたわけです。
どうやら時間の色ってのはそんなに簡単に塗り替えることができないらしいのです。
私はふと思いました。自分は何故こんなにも時間に色をつけることに躍起になっているのか? 別にこの時間を『薄オレンジ色』にしなくてもいいのではないか?
それに気がつけば、もう白い時間を見つけるのは容易かったんです。
私は直ぐにその『グレーの色』も自分がつけていたことに気がつきました。
そして次の瞬間、とうとう私は時間に色をつけることをやめました。
それはそんなに難しいことではなかったんです。
非常に疲れていた。おそらくそれが良かったんでしょうね。
気がつくと私はじっと白い時間を見つめていました。
そこには何もありません。
感情もありません。ただ、無感情とは違います。
感情という概念がないから、無感情もない。そういう世界です。
音も耳に入ってはいるけどそれだけです。私は何かを見ていましたが、私は何も見ていませんでした」
それから男は沈黙した。男は静かに前方を見つめていた。
私たちはバーのカウンターに隣り合わせにすわっていたので、私も男に習って、じっと前方見つめた。
前の棚にはお酒の瓶が、カラフルに並んでいたが、男はその時、確実に白い時間を過ごしているようだった。
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