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noteを書き始めたぼく

はじめまして!churuです。
noteを使い始めて10記事目になりまして、自己紹介っぽいのを書いてみたいと思います。
実は書き始めたら長くなり、この記事は大学生までの前半の内容となります。
社会人編は次回の記事になる予定です。

現在・・・churuは新しいことにチャレンジしたい衝動にかられてます
今までとは違う、新しい世界、自分を知りたくて、noteを始めました。いまはchuruですが(気に入ってる昔からのあだ名です)、本名になるときが来るかもしれません。
私にできることがあえればお手伝いしたいです。
(できることは社会人編をご覧いただけると嬉しいです。)

churuとは

名前:churu ←中学生のときに味覚糖チュルルンというお菓子があって、友人が私のことを大声であだ名(ちゅるの前の)で呼んだときに、聞き間違えて"ちゅるるん"となり、そこから、省略されて"ちゅる"となりました。そこからずっと?churuです。

神奈川県在住(生まれは東京)
性別:男 血液型:AB型 星座:蟹座 動物占い:ペガサス
趣味:歌うこと、ちょっとだけギター、ビートルズ 、お酒は好きです

です。
動物占いを知らない人もいるかもしれません。こちらです。

ペガサスの性格はこんなです。大体合ってる気がします。
アイディアが天才的 →あってるはず
・イベント好きの盛り上げ上手 →気分が乗っていればそうです
自由人で束縛が苦手 →あってます!
・面倒くさがり屋でわがまま →あってます!
・社交辞令の天才 →むしろ苦手です
・人の話を聞いていない →あってそう。。。
・謎に満ちていてミステリアス →そんなことないはず?
・細かい指示はストレス →あってそう。。。
臨機応変さはピカイチ →あってるはず
・外国人気質 →外国人と結婚したかったと言われたのでグリーンカード取ろう!と言った程度に外国人です。英語は話せません。。。

コンピューターとぼく

僕の人生でパーソナルコンピュータの話は外せません。
忘れもしない小学4年生10歳のときに「マイコンBASICマガジン(ベーマガ)」を手にしたときからコンピュータとの付き合いが始まります。

毎月発売されるベーマガを楽しみに、隅から隅まで読みまくりました。パソコンは持ってないのに巻中の機種別プログラムを眺めて。まだ、ファミコンもなく、ゲームといえばパソコンでしたので、もちろんゲームもやりたくて。

その後、父が勤めていた会社の研修で、たまたまコンピュータの自宅学習としてMSXが家にやってきました。メインメモリはたしか8KBで、データレコーダーでカセットテープにプログラムを記録するのです。ちなみに、このMSXで初めてかったパソコンゲームは「スターアーサー伝説!惑星メフィウス」です。近所の中古パソコンソフト屋で買ったのです。

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↑データレコーダーです。AIWAですね。

当時はアドベンチャーゲームが流行で、一般的に有名なのは「ポートピア連続殺人事件」でしょうか?ドラクエのデザイナーの堀井雄二さんがデザイナーとして作ったアドベンチャーゲームです。私が当時、MSXでやってみたかったのは「白と黒の伝説」ですが、高くて買うことができなかった思い出があります。

コンピュータ遍歴

そのMSXののち、PC8801FH、PC9801RX、PC9801NS/T(ノート)とNECのPCシリーズです。私と同じ年代の人であれば、この遍歴はなんとなく分かるのではないでしょうか?将来、プログラマになるんだ!塾いかなくていいからパソコンを買ってくれ!と親にせがんだのは内緒です。

この頃はファミコン、スーパーファミコン、いろいろな家庭用ゲーム機がありましたが、印象が一番深いゲームは「イース」です。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲまでしかやっていませんが、個人的にはドラクエよりもイースに夢中になった記憶があります。高校生時代で、ゲームをやることができるタイミングもあったかもしれません。ドラクエもいいのですが、ファミコンは家族が見るテレビを占領してしまうので、なかなかできなかったような気がします。

「愛は勝つ」と耳にして「東京ラブストーリ」を見ながら高校を卒業し、僕は大学に進学するために浪人生となります。先ほどの、塾に行かなくていいからパソコンを!という言葉を忠実に守り(とはいえ、親身な友人に説得され夏季講習を河合塾さんでお世話になりましたが。。。)自宅浪人の1年間を過ごします。この宅浪の1年間に人生に大きな影響を与える2つの出来事がありました。

Macintoshとの出会い

ひとつはMacintoshとの出会いです。先に現役で大学に通っていた友人からの誘いで学園祭に足を運ぶことになりました。そこで初めてMacintoshと出会ったのです。衝撃的な出会いでした。まずはHyperCard。これでオーサリングツールというものの存在をしり、MacromediaDirectorに憧れたものです。PC98でプログラミングを・・・と考えていた自分には驚愕の世界でした。

    ※はじめてMacintoshに出会った話はこちらに書いています。

ここからMacintoshユーザーのスタートです。
PowerMac6100、PowerMacG3(Blue&White)、PowerMacG5、iMac2010、iMac2015、PowerBookG3(Pismo)、MacBookAir2010、MacBookAir2011とメイン機のデスクトップとノートです。整備済み品で型落ちで買ったりしてるので、発売の年が離れてあり、近かったりしています。

この間に、仕事で使うため自作のDOS/VマシンやThinkPadを使用してました。あと、Macintoshはサブ機で色々使っていました。家でWebサーバーやルーターとしてMacintoshⅡ siだったりPowerMac6100、LC630をジャンク品で買ってきて直して使っていたのです。タイトル画像のMacたちです。

2000年頃、動画配信サーバを作りたくてQuickTimeStreamingSeverを構築したり。たしかsiはNetBSDを使いたくて68030のCPUのが欲しくて買ったような気がしています。自宅に固定IPを割り当てて、siをルーターにして、外部から動画サーバーに接続して動画が見えたときは感動ものでした。あとのMacintoshたちは単なる趣味で集めたにすぎませんw

ビートルズ との出会い

ふたつ目がビートルズ です。自宅浪人中、家のすぐ近くにパチンコ屋がありまして、息抜きについ足を運んでしまう、という時期がありました。あるとき、パチンコで勝ちまして手に入れたのがビトールズの2枚組アルバム「TheBeatles(通称:ホワイトアルバム)」です。

高校時代に友人と「友&愛」というレンタルCD屋でビートルズ を借りて聞いていたりしたので、もちろん知らなかった訳ではないのですが、たまたま、ホワイトアルバムが置いてあり、出玉と交換できる良い感じの玉数だったので、手に取ったのです。なぜか分かりませんが、これこそ運命。

みんなに意味が分からないと言われるのですが、ホワイトアルバムに収録されている「Ob-La-Di, Ob-La-Da」を聞いて、その偉大さを感じてしまったのです。「Help」だって他の曲だって世の中では流れてて、日本語でもカバーされているのにOb-La-Di, Ob-La-Daが世界の人みんなが知っている曲のように思えたんですね、そのときは。それが偉大さを感じる要因だったのですが、この話をしても、誰も分かってくれません泣

高校時代はアコースティックギターで長渕剛を歌っていて、洋楽なんて歌詞の意味が分からんものは聞けないと思っていたのに、この瞬間に洋楽であるビートルズに転んだのです。ビートルズ はジャンルだからね、そんな小さな話ではないと思っています。ぼくの大学受験は大学でビートルズ のバンドをやるため、というのが目的に変わっていきます。
もちろん、コンピューターの勉強もしたかったです。。。よ?

大学生活

奇跡的に大学には入学でき、そこからはバンド三昧でした。。。いや、コンピューターの勉強もちゃんとやりました。当時、設立し始めた情報系の学部になんとか入学できたのです。プログラミングの授業は、言語は違えど小学生の頃から触れていましたので、クラスメートに教えていたくらい簡単でした。まだ、インターネットも一般的でなかった時代です。

ですから、多くの人は、大学に入ってプログラミングを習うので、授業といっても基礎レベルからのスタートです。代わりにレポートも何度か手伝ったことがありますが、ガストに彼女と来てイチャイチャしてる友人の前で、ハンバーグを奢ってもらい、提出物のカレンダーのプログラムを作ってたとかは内緒です。初心者らしく、変数をaとかbを使うまでの心遣い、素晴らしいでしょ?

冗談はさておき、プログラミング以外の授業、行動科学やオペレーションズリサーチ、言語論、人工知能やら、コンピュータ周辺と言っては語弊があるかもしれませんが、コンピュータ=プログラミングと思っていた僕にはとても有意義な授業がたくさんあり、楽しい学生生活でした。もう少し後の時代になると、インターネットの授業が多くなるのと思うのですが、まだその前の時代です。

大学二年生のときに日本3大コンピュータ書を書かれたY教授が大学にいらっいまして、いくつか授業を履修させていただきました。授業自体も面白く、そして、テクノロジーの社会への有効活用など、その後のコンピュータとの向き合い方に大きな影響があったと思います。Y教授のゼミに入っていればな、と思うのが、唯一に近い後悔です。あまり後悔はしない方なのですが、あの出会いを活かすことができなかったのは今でも残念に思うときがあります。

そして社会人に

大学を卒業の頃になると進路に悩みます。プログラマーになるんだ!という思いを、音楽系のPAエンジニアの2択で悩んだのです。結果的にコンピューターの道を選ぶのですが、当時はアンテナの張り方が弱かったと思います。

とても、長くなったので、社会人になってからは後半で語りたいと思います。
自己紹介長すぎですね。すみません。

↓後半です

↓こういうのも書いてます。ご興味があればどうぞご覧ください。

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