中央大学学友会サッカー部[公式]

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最近の記事

「farewell」4年 佐藤 悠平

「farewell」 4年 商学部 佐藤悠平 中央大学4年佐藤悠平です。 部員ブログの投稿が遅くなってすみません。 自分の今の現状を知らない方も多いと思うのでご報告も兼ねて話していこうと思います。 引退から約2か月が経とうとしていますが、最後のプレーオフの試合がすごく昔のように感じます。引退しプロの道へ行く仲間。就職する仲間。何も成し遂げられなかった自分達の代が最後に一部残留を後輩に残す事ができてホッとしたと思います。みんなで喜んでいる裏腹に、自分は何もしていない。そし

    • 「最高な中大ファミリーのみんなへ」 4年 猪越優惟

      「最高な中大ファミリーのみんなへ」 4年 商学部 猪越優惟 自分はみんなにとってどんなキャプテンでしたか? チームのことを考えると同時に自分の進路の心配もしなけれければいけない。今まで感じたことのないプレシャーが自分を襲ってきた。「4年目は今までとは違うよ」という話は先輩からよく聞いていたが実際に4年生にならないとわからないことの方が多かった。 チームのこれからを考えるミーティングを重ねていくうちにチームはいい方向に向かっていると感じていた。今年のスローガンを決める話し

      • 「僕はまだ、サッカーを続けています。」4年 持田温紀

        僕はまだ、サッカーを続けています。 4年 法学部 持田温紀 高校生の頃、僕のサッカー人生は終わりを告げた。もう二度とサッカーに関わることはないと思った。そんな僕はまだサッカーをしている。こんな素敵なサッカー人生、なんて幸せなんだ。そんな気持ちに導いてくれた中央大学サッカー部との歩みを記していきたい。 サッカーができなくなった僕が中大サッカー部に入部した 高校生の頃の事故で脊髄損傷となり車椅子生活になった。 11年間サッカーを続けてきた僕にとって、サッカーどころか自慢の脚

        • 「夢中」 4年 加納直樹

          「夢中」 4年 総合政策学部 加納直樹 12月3日。プレーオフの次の日。健さん(佐藤健総監督/中大のマッカーサー)から電話が来た。それは練習参加していたJチームの結果の連絡である。 「お疲れ様!!!〇〇から連絡来ました!!」 ーこのテンションは、、、あるぞ!! 「、、、ダメでした!!!」 健さんは本当に優しいお方だ。おそらく自分に気を遣い、暗い雰囲気にならないようしてくれたのであろう。にしても元気すぎるが。 自分はこの1年、Jリーグの数クラブの練習参加をしてきた。

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        • 部員ブログ2023
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        • 部員ブログ2022
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        • 対談企画
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        記事

          「自分を変える」 4年 田邉光平

          「自分を変える」  4年 法学部  田邉光平 大学最後の部員ブログ、拙い文章ですが最後まで読んでいただけたら嬉しいです。 大学最後の部員ブログということで4年間を振り返っていこうと思う。 1年生の時は、関東リーグ1部最下位。2部降格。2年生の時は、2部で5位。最終節、引き分け以上で、1部参入プレーオフに進めたが、最後の最後にセットプレーから失点をし、1年での1部復帰が叶わなかった。3年生の時は、宮さん(宮沢正史監督)が監督になり(監督交代)、憲剛(中村憲剛テクニカルダイレ

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          「L O V E中央」4年 山本航生

          「L O V E中央」  4年 商学部 山本航生 「LOVE中央」これは今年の中央大学が掲げたスローガンである。 中央大学を愛し、中央大学のために闘い、行動していこうという意味であるが、4年間を終えた今、ほんとにこの言葉が大好きである。 下級生時の自分に中大のために闘う気持ちは一切なかった。 高校までとは違い、大学はプロになる最後チャンスだと思っていて、自分がプロになれればチームが勝てなくてもそれで良いと思っていた。 今でこそ、そんな奴が成長していけるわけがないと思

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          「ぼちぼち」 4年 山﨑希一

          「ぼちぼち」  4年 経済学部 山﨑希一 このままじゃプロになれない、大学3年の終わりから4年の最初にかけての自分の心境である。 なかなか思うようなプレーができず試合にでれないようになっていった。 同期はこの時期には本格的に就活を始めていて、グランドでは就活の話が溢れていた。 そんな時に帰り道誰かが言った。 「何も考えずに昼寝したいな」 その人からしたら何気ない一言だったかもしれないが自分にとっては衝撃的な発言だった。 就活を全くやっていないのにサッカーもうまくいって

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          「感く」 4年 鈴木愛理

          「感く」 4年 商学部 鈴木愛理 「感く」と書いて「うごく」と読む。 現代ではあまり使われていないが、目には見えない「心」が動く様を表す言葉だ。 自分はどんな時に「感いた」だろう。 選手権を敗退した兄の姿を見た時。 兄の試合を観てみるみるうちに元気になっていく祖父の姿を見た時。 水戸ホーリーホックのインターンに参加して「ステージ4の癌を患ったけどホーリーホックの試合を観に行きたくて治療頑張ったんだ」と話すおじいさんの姿。 そして 1部降格した時。 大好きな先輩

          「私なりの存在意義」 4年 吉川七海

           「私なりの存在意義」 4年 経済学部 吉川七海 「2部優勝1部昇格」を決めた3年の秋。 本当に嬉しかった。 一方で、どこか満足のいっていない自分がいた。 もちろん何か手を抜いたりサボったりしたつもりはない。 だけど、どこか物足りなくて、1部昇格を遂げたチームに貢献できている気がしなかった。 多分私は入部当初から、誰よりも自分の存在価値、存在意義、というものにこだわって活動してきたと思う。 その中で私は0→10にするような仕事ではなく、様々な業務をいかに効率よく回して、

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          「進む」 4年 田村進馬

          「進む」 4年 文学部 田村進馬 文章がうまくまとまらな過ぎてChatGPTに書いてもらおうか真剣に迷いましたが、頑張って自分で書くことにしました。少し重い内容になってしまうところもありますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。 「進馬(しんば)」という名前は、どんな時でも前に進んで欲しい、という想いでつけてもらった名前です。 サッカーを引退した今、正直、達成感や喜び、感動などといった感情は1ミリもありません。 上を目指したサッカーができなくなる悲しさ、現役バリバリ

          「「仲間」へ、ありがとう。」 4年 牛澤健

          「「仲間」へ、ありがとう。」 4年 経済学部 牛澤健 大学サッカーを引退して数週間が経ち、過去の思い出が頭の中に浮かぶ。伝えきれないほどの想いがあるけど、なんとか言葉にしてみようと思う。 この大学4年間は最高に苦しく、最高に楽しかった。昇格争い、降格争い、なかなかできない経験をたくさんした。苦しくて辛いときの方が多かったけど、一緒に戦う「仲間」がいたから頑張り続けることができた。 そんな「仲間」の存在は私にいろんな刺激やエネルギー、パワーを与えてくれた。 「仲間」が試

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          「向き不向きより、前向き!」4年 高橋一誠

          「向き不向きより、前向き!」 4年 経済学部 高橋一誠 4年生が引退し、新チームの活動がスタートしている中部員ブログを書くが、4年生がグラウンドにいる姿を見るとうれしくなる。その時にふと、他の4年生は引退してしまったのかと寂しさを感じる。 選手としての引退は同期より1年早く、大学3年で選手を終えた。 この決断はみんなが思っているより難しいものではなかった。 大学に入り、卒業後はプロになりたいなと思っていたが、本当の気持ちは最初から決まっていたようにも思う。 「

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          「感謝」4年 矢尾板岳斗

          「感謝」 4年 商学部 矢尾板岳斗 今さっき退寮しました。普段過去を振り返ることはしないけど長岡に帰る移動でこれまでを振り返り今の気持ちを書きます。 入寮して4年が経った。高3の練習会で寮に泊まった時、狭くて、汚くてこんな場所絶対行きたく無いと思ってた。住めば都。あれから4年、寮を出るのに寂しさすら感じる。入学した頃は自分のことしか考えてなくて、チームの為とか誰かの為に行動できていなかった。今の自分はチームの為に自分の出来ることを考え行動できたし、心から仲間を応援する事も

          「活力」4年 澤村美裕

          「活力」 4年 経済学部 澤村美裕 なぜ、サッカー部に飛び込んだのか。サッカーをしたこともなければ、サッカーが大好き!というわけでもなかったこんな私が引退まで走り続けて来れたのか。引退した今、部活でのことを少しずつ振り返ってみたいと思います。 入部前、1つ上の学生トレーナーだった賢人さん(サッカー部1?いや中大1?熱い男)と初めましてのタイミング、うまん(中大の近くにある皆んな行きつけのカレー屋さん)に行き、サッカー部への想い、学生トレーナーへの想いを伝えてくれた。 と

          「いつか」4年 有田恵人

          「いつか」 4年 文学部 有田恵人 昨日部活を引退した。 先週まで何を書けばいいのかわからなくて 同期と「書き始めてる?」「いや全く」 なんて会話もしたりして でも今こうして引退して、自分なりに感じたことがある。 その気持ちを正直に綴ろうと思う。 拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけたら幸いです。 私の4年間は苦悩の日々だった。 もしかしたら他者から見たらそんな風に映ってはいないのかもしれない。 しかし、私はこの4年間 楽しい時間より悩んだ時間のほうが

          「天晴れ、フットボール!」 4年 坂本康汰

          「天晴れ、フットボール!」 4年 経済学部 坂本康汰 私はサッカーが嫌いです。 なぜなら嬉しい時、楽しい時より、辛い時、悲しい時、苦しい時の方が圧倒的に多いから。 私は毎朝、練習が始まる前に2回サッカーのことを考えます。 1回目、起きた瞬間に今日の練習に行くか行かないか迷います。 2回目、グラウンドに着いてみんなが寝ていると言ってくるストレッチをしている時、今日の練習は軽くあってくれ、と。 そんな私でも大学4年間、いやサッカー人生17年間ほぼ練習を休まず毎日朝早く起きて

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