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#13 読書キロク:壁にぶち当たった時こそ思い出したい「ネガティブ・ケイパビリティ」

今回は、ワーママはるさんの著書『サバティカルタイム』を読んだ際に、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉が2回出てきて、なんだか無性に気になり手に取ったこちらの本。
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』

2017年4月に精神科医であり小説家でもある帚木蓬生氏によって書かれたものです。読んでみたら、仕事、子育て、家族との関わり方、社会情勢の捉え方など様々な方面で活かせそうな興味深く励まされる考え方でした。

1. 「ネガティブ・ケイパビリティ」とは何か?

「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、本書の中では次のように説明されています。

(Negativecapability負の能力もしくは陰性能力)とは、
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」
あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」
(Kindle の位置No.78-81). 

また、別の表現では、このようにも記されています。

論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力

この反対の意味として「ポジティブ・ケイパビリティ」というものが挙げられており、「ポジティブ・ケイパビリティ」は教育や職場で求められる「才能や才覚、物事の処理能力」あるいは、問題が生じた際に的確かつ迅速に対処する能力とされています。

ネガティブ・ケイパビリティの冒頭の説明をみたとき、なんだか分かるような、分からないような...??という感じだったのですが、個人的には、こんな時に「ネガティブ・ケイパビリティが求められるのでは?」と解釈しています。
※もし解釈に間違いがありましたら、是非他のご意見も聞きたいです。

・コロナ禍など、人類が未だかつて経験をしたことのない疫病などに直面した時
・ウクライナとロシアの問題、その他紛争問題
・改憲問題?
・家族にうつ病の方がいる時
・子供が不登校になった時
・夫(or妻)が浮気を繰り返し、一向に治る気配がない時
・研究対象に対してなかなか仮説検証が見出せない時

筆者は、そんな「論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態」の時や、すぐに解決策を見出せないような状況の時、どうにも対処しようのない事態になった時は、早急に解決策や答えを求めようとせず、耐え抜くことで、対話が深まったり、表層的な解ではなく、より深い解が見出せると説いています。また、読みながら感じたこととしては、もしかすると、答えを見出せない時もあるのでは?とも思うのですが、そんな時でも、逃げずに向き合うことで、早急に答えを求めるよりはよりよい方向で物事が動くのでは?そんなメッセージが込められていると思います。

2. 「ネガティブ・ケイパビリティ」が発見された経緯

経緯の詳細については、是非本書を読んでいただきたいのですが、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を一番初めに使ったのは、イギリス人の詩人で26歳の若さでこの世を去ったジョン・キーツです。

彼は幼少期の頃から身近な家族の死に幾度となく直面し、自分自身も20代に重い病にかかってしまいます。経済的な困窮の中で苦しみながらも詩作を続けた中でキーツが導き出した概念が「受身的能力(passive capacity)」。そしてそれをキーツは時を経過するごとにいくつかの言葉に言い換えることを経て、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉にたどり着きました。

真の才能は個性を持たないで存在し、性急な到達を求めず、不確実さと懐疑とともに存在するという考えに至ります。

何だか、深すぎてこの時点ではあまりよく分かりませんが、キーツはシェイクスピアを崇拝しており、シェイクスピアこそ「ネガティブ・ケイパビリティ」を有していたとも言っており、他の人間がどう考えているかを想像する力に直結すると結論しています。

この「ネガティブ・ケイパビリティ」というキーツが使った概念は、親類への手紙の中だけにしか使われておらず、その後170年後に英国人精神科医ビオンによって発見されるまでは誰も使うことのない言葉でした。

その後、ビオンが、従来の知識とマニュアル化された精神分析を懸念し、より人と人とが対話する形での精神分析を説く際に使い始めたのが「ネガティブ・ケイパビリティ」でした。

精神分析医は、患者の圧力で、問題に対してすぐに結論を出しがちです。その問題とはたいていの場合、漠然としていて、つかみどころがなく、目の前で解けないような事柄であるにも関わらずです。
 その点、子供は見たまま感じたままを口にし、振る舞い、絵に描きます。その絵の中には、大人が見ることも、理解できそうもないことが描かれています。それに対して、何かを定義をし、解釈を与えるのは僭越ではないかとビオンは言います。まさしく、その子供には記憶も欲望も理解もないからです。

この文を読むと、「ネガティブ・ケイパビリティ」は決して精神科医や詩人などだけに当て余るのではなく、私たちが子供と接する時も意識できそうだと考えさせれます。

3.  謎や問いには簡単に答えが与えられない方が良い

人間の脳は、傾向として、「分かろうとする」力があるようです。その力があるがために、記憶をしたり、マニュアル化によって画一的にする傾向があり、それが教育や仕事にも影響を及ぼしているとのこと。記憶や知識がありすぎると、ともすればその枠内の範囲でしか考えられなくなる可能性があると筆者は懸念をしています。

確かに、昨今はMBAなどでフレームワークを覚えたりしますが、フレームワークに囚われすぎると、問題の本質を見失うこともあります。

本書で引用されていた黒井千次氏の言葉がとても印象的だったので、こちらでもご紹介します。

謎や問いには、簡単に答えが与えられぬ方が良いのではないかと。不明のまま抱いていた謎は、それを抱く人の体温によって成長、成熟し、さらに豊かな謎へを育っていくのではあるまいか。そして場合によっては、一段と深みを増した謎は、そこの浅い答えよりもはるかに貴重なものを内になどしているような気がしてならない。

4. まとめ、感想

前職で、UCバークレーのHaas Business School の教授の授業を受けることができるリーダーシップ研修のコーディネートしていた際、受講生の方から「で、結局あのケーススタディの答えは何なのですか?」と聞かれることがよくありました。わたしも含め、私たちはあまりにも「問いには答えがあり、それを唯一解と思いがち」であると考えさせられます。そして、分かりたがる脳のために「すぐに答えが知りたい病」にもなってしまっている。

ケーススタディーのセッションは、受けると「モヤモヤ」します。なぜなら、唯一解がないから。また、日常生活や業務をする中でも「モヤモヤ」することはたくさんあります。私たちは、改めてその「モヤモヤ」に気づいてあげ、それをしっかり言語化して向き合うことが大事なのではないか?また、その時に、性急に答えを見出そうとせずに、その「モヤモヤ」について考え続ける、人と対話してみるということが大事なのではないか?そうすることで、より精度の高い深みのある解につながるのでは?と考えさせられました。

また、粒度が大きなところでいうと、日頃の社会問題、改憲問題についても、特に複雑なものについては、性急に解を出すのではなく、国民同士が対話をし続けることが大事なのではとも感じます。

これからますます先行き不透明になる時代、それを親として、仕事人として、そして日本人として、地球人として生きていくために、この「ネガティブ・ケイパビリティ」という考え方は、従来の「ポジティブ・ケイパビリティ」の中にいる私たちにとって、勇気を与え、立ち止まらせてくれる、重要な能力だなと感じました。

一方で、本書は最後「寛容さ」と「共感」が大事であり、「ネガティブ・ケイパビリティ」を支える土台となる、と書いてあるのですが、「問題を性急に解決すべき時」と「寛容であるべき時」のバランスというか、匙加減みたいなものが難しいな〜とも感じました。この辺りの理解は、きっとこのモヤモヤから逃げずに、考え続けた先により研ぎ澄まされた自分なりの解がでてくるのかもしれません。「ネガティブ・ケイパビリティ」を身をもって理解すること、それ自体がまさに「ネガティブ・ケイパビリティ」を試されるところなのかもしれません。

そして、今日も可愛くもありながら、理不尽にぐずる3歳の娘と対峙し、
「ネガティブ・ケイパビリティ」と唱える私なのでした。



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