【東欧旅行記】 ウィーン #1 ハプスブルクとシシイの足跡をたどる
こんにちは。
ドイツ・ミュンヘンに留学中の大学生、桜です。
前回に引き続き私の東欧旅行「飛んでイスタンブール」編、オーストリアはウィーンに行ってきました。
ウィーンといえば、音楽の都とも呼ばれるハプスブルク帝国の都であり、かつての華々しい宮廷文化を今もなお感じることができる街。
今回ウィーンに費やした時間は一泊二日だったのですが当然全く足りず・・・
近いうちの再訪を早々に決意した、ということを前置きに添えて、ウィーン街歩きの始まりです。
皇后エリザベート
私が今回の旅でウィーンに特に強い思い入れを持つ理由こそ、その美貌から数々のミュージカルや映画にもなった、オーストリア皇后・エリーザベトです。
彼女は、かつてオーストリアの支配下にあったハンガリー王国の皇后も兼ね、美貌維持のための特殊なヘアケアや自室に置かれた様々な健康器具によって磨かれた容姿は、民族問題で対立していた両国の国民の心をつかみ、彼女はアウスグライヒ(=妥協)と呼ばれるハンガリー王国のオーストリアからの独立の立役者としても知られています。
かつてのバイエルン王国の都であるミュンヘン在住の私は、ときに狂王と呼ばれるノイシュヴァンシュタイン城で有名なルートヴィヒ二世と、彼を輩出したヴィッテルスバッハ家が好きなのですが、、、
彼女もその出生名はエリーザベト・(中略)・フォン・ヴィッテルスバッハといい、バイエルン王国の公女でした。
彼女が生まれた場所を記したものが、私の通うミュンヘン大学のすぐ近くにあります。↓
シシイの愛称で知られる彼女の生きた証が数多く残されているウィーン。
まずは最も有名なウィーン最大の宮殿に訪れました。
シェーンブルン宮殿
ハプスブルク家の夏の離宮・シェーンブルン宮殿。
この特徴的な黄色はマリアテレジア・イエローと呼ばれます。
中世ヨーロッパを席巻した二大王家の一つが、ここウィーンを都に栄えた(オーストリア=)ハプスブルク家。
そしてもう一方が、フランスで王権の強化によって力をつけたブルボン家。
両者は互いが互いにとって脅威であり、17世紀末、ブルボン家の権力の象徴であるヴェルサイユ宮殿を越えようとハプスブルクが建てたのが、このシェーンブルン宮殿です。
一時は財政難により建築が中断されたものの、かの有名な女帝マリア・テレジアの治世に庭園の造園などが始まり、世界最古の動物園も有しています。
ちなみにこれらは朝の八時頃に撮った写真です。
庭園側から宮殿に向くアングルを楽しみたい方は、太陽が城を正面から低く照らす朝の時間帯に行くのをお勧めします。
宮廷内部は撮影禁止でしたが、もうそれはそれは豪華絢爛、ハプスブルクの権力をこれでもかと知らしめるものでした。
ウィーン会議が行われた広場
Große Galerie=大広間は、ナポレオン帝国崩壊後に行われた「会議は踊る、されど進まず」で有名なウィーン会議が行われた広間です。
豪華な天井画の中央には、女帝マリア・テレジアとその夫フランツ・シュテファンが描かれていました。
こんなところで旧体制派が会議をしようものなら、そりゃあ踊ってしまうだろうなというのが率直な感想。
外交革命はここで決まった
夫のシュテファンが政治にめっぽう弱い代わりに手腕を発揮したテレジアでしたが、そこには外交に長けた心強い宰相カウニッツの存在がありました。
私も行くまで知らなかったのですが、音声ガイドによると、中国風の様式が取り入れられたこの部屋で二人はフランスとの外交革命について何度も何度も話し合いを重ねたそうです。
この部屋から世紀を揺るがす外交革命が決まり、マリーアントワネットは幼くしてフランスに嫁ぎ、、、と考えると感慨深いものがありました。
中国風とはいえど、だいぶヨーロッパ様式に寄せられてはいましたが…
それでもやはりアジア的なものを見ると、日本が懐かしく感じられます。
天才少年モーツァルト
もう一つ、この宮殿でのエピソードを上げるとするならば、モーツァルトのマリーアントワネットへのプロポーズではないでしょうか。
6歳の神童モーツァルトは、この「鏡の間」でマリア・テレジアらの前で演奏を披露したあと、床に滑って転んでしまいます。
それに優しく手を差し伸べたのが幼き日のマリーアントワネット。
ここで少年が少女の手を取って、
「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる!」
と言った、なんとも可愛らしいエピソードはあまりにも有名です。
そしてほかにも、マリア・テレジアとその子供たちの有名な肖像画など、教科書で見たことのあるものがたくさん残されていました。
馬車博物館
続いては、馬車博物館。
シェーンブルン宮殿の敷地内にある、ハプスブルク家の馬車が集められた博物館です。
入り口すぐのところに飾られているシシイの結婚式のドレスは、ケープの部分だけが2021年に見つかり、レプリカのドレス部分とともに展示されていました。
息子ルドルフが男爵令嬢と死を遂げたマイヤーリンクの悲劇以後、シシイは喪服しか着なかったそう。
そのルドルフが幼少期に着た服が綺麗に残されていました。
皇帝が着た豪華な服の数々も。
シシイがオーストリアに嫁ぐ際乗った馬車も。
アナーキストに暗殺されたシシイの遺体を運び、そしてその18年後、そのとき悲しみに暮れて彼女を見送ったフランツ・ヨーゼフの遺体を同じく運んだ黒い馬車も。
さらに、乗馬を愛しなかなかの達人であったとも言われるシシイが使った鞍も。
シシイ博物館
そして、ここまでさんざんシシイ尽くしを堪能したのち訪れたのが、シシイ博物館。
ウィーンの王宮の中にあります。
シシイチケットを使って、ここまですべてを一つのチケットで入場で来たので、とてもお得でした!
館内はすべて撮影禁止でしたが、シシイ好きにとってはこの日の中で一番胸が高鳴る時間を過ごしました。
彼女の肖像画として最も有名な「星のドレス」の肖像画の本物や、彼女の使った数々の健康器具、さらに文房具や歯の治療セット、デスマスクに至るまで、さまざまなものが展示されていました。
嫁姑問題や、そもそも自然を好み宮廷文化を嫌う性格などもあり、ウィーンにいることの少なかったシシイ。
それでもなお皇帝フランツ・ヨーゼフは彼女を愛し続け、皇帝のひときわ質素な部屋にはこれでもかというほどシシイの肖像画や写真が飾られていて、
さらに、これほどのものが今もなお大切に保管されているという事実そのものが、オーストリア国民がドイツからやってきた一人の皇后をいかに愛していたかということを、現在に生きる私たちに教えてくれます。
エリーザベトという一人の女性がそこにちゃんと生きていた証を、しっかり目に焼き付けることができました。
王宮家具博物館
王宮家具博物館にも行ってきました。
レプリカから本物まで、ウィーン王宮で使われた豪華絢爛な家具が展示されていました。
時間がなくてしっかり見回ることができず・・・
リベンジ必須です。
しかし中でも目を惹いたのはシシイの展示。
シシイの生前最後の写真が飾られていました。
肖像画の数々や実物大レプリカ、星のドレスの肖像画のレプリカまで。
前回に引き続き、見どころ盛りだくさんのウィーンは後編に引き継ぎたいと思います。
ここまで、桜がお送りしました!
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