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「書く前はいつも憂うつ」。作家小川洋子さん、創作の時間を振り返る

  社会の片隅に生きるか弱き人々を作品世界に描き、海外でも高い評価を受ける岡山市出身の作家小川洋子さん、59歳。2021年は菊池寛賞や紫綬褒章に決まり、約30年間にわたる創作活動全体に光が当たりました。若い頃に「自分を主張するもの」だった小説は、「誰かの心を伝えるもの」に転換していったと自身の歩みを振り返ります。(鈴中直美)

こんな言葉しか出てこないという挫折感。その連続です

 執筆する時、パソコンのスイッチを入れるのはいつも憂うつだ。それでも毎日一行でも書くことを自身に課してきた。と苦笑いする。
 かつて幼かった息子が執筆中の画面をのぞき込み、「上手に書けてる、書けてる」と褒めてくれたことがあった。わが子が与えてくれた幸せな思い出は「両手で数えられるほど」と控えめだが、「それをあめ玉みたいに時々口に含んで喜びをかみしめながら」の作品を世に送り出してきた。

「100人が読めば100通りの違う種類の何かを受け取ってもらえる小説を書きたい」

 1988年、26歳の時に「揚羽蝶(あげはちょう)が壊れる時」で海燕(かいえん)新人文学賞を受賞して作家デビュー。91年に「妊娠カレンダー」で芥川賞を受けた。当時は「自分を分かってほしい、自分はここにいるんだと叫びたい気持ち」が創作に向かわせていた。

それぞれの人の中に広大な世界が広がっていて書かれるのを待っている

 2004年、「博士の愛した数式」が第1回本屋大賞に選ばれ、ベストセラーになると、書店員や読者に意識が向くように。小説を客観的に見つめることにつながり、自分の頭の中だけで想像するスタイルから、外に出て他者を取材して書くように変化した。「それぞれの人の中に広大な世界が広がっていて書かれるのを待っている」と気付いた。それから「世界にひっそりと隠れ住むようにしか生きられない人をしばし自分の小説に招待し、小さな声を聞き取って書くことができるようになった」とほほ笑む。

 病室、博物館、チェス盤…。小川さんが描く世界には、ひそやかで閉鎖的な空間が多く登場する。閉ざされた場所ではむしろ自由に空想が広がるという。「閉じられているのに自由。その矛盾が抵抗なく成立しているということが私にとって非常に文学的」と話す。

今年還暦を迎える小川さんの創作意欲はますます盛んだ

小説家は最も古典的な効率の悪い仕事

 効率化重視の時代の中で小説を書くことは「手間もかかるし根気もいる。最も古典的な効率の悪い仕事」と表現する。それでも「私にとっては書かない時間がとてもつらく、不自然で耐えがたいこと」。体力維持のため、時々近所をジョギングする。「最後にもう一押しすれば小説の着地点にたどり着けるという時がある。体力がないとその一押しが利かなくなる

 創作のテーマはこれからも変わらない。「行く当てもなく、救いの手を差し伸べてくれる人もいない、声を発することもできない人の声を届ける。そこからもう私は逃れられない」と語る。「小説というのは、そういう人のためにあるという気がします」

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