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広島から4人目の首相。岸田さんの素顔を、イチからサクッと紹介します

 岸田文雄首相ってどんな人なのでしょう。広島選出で3代続く衆院議員。早くから首相候補と期待され、有力派閥の「プリンス」的存在でもありました。でも、意外な一面も。東大受験に3回失敗したり、お酒と筋トレが大好きだったり。愛称は「キッシー」「ふみきゅん」。素顔は、親しみやすい人のようです。これまでの中国新聞の記事を基に紹介します。

祖父、父に続く3代目の政治家

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 池田勇人元首相がつくった派閥、自民党宏池会(岸田派)を率いる岸田さん。外相や党政調会長を歴任し、自身が64歳の2021年10月、首相に選ばれた。

 政治の道につながる原点は、小学1~3年生を過ごした米国・ニューヨークでの出来事という。遠足で同級生と2列になったとき、白人の女の子から手をつなぐのを嫌がられた。偏見を肌身で知って「理不尽な世を変えたい」と感じたそうだ。

熱血球児だった高校時代。東大に3年連続不合格 

第100代 岸田文雄首相ってこんな人 ←愛称「きっしー」or「ふみきゅん」

 日本に帰国後はずっと優等生。高校は全国有数の進学校、私立開成高に進学する。大の広島カープファンで、入部したのは野球部。体も細くて「上手くはなかった」(同級生談)けれど、不平不満を言わず、弱音を吐かず、手を抜かない熱血球児だったという。

 大学受験には苦労した。「東大からキャリア官僚」が当たり前の環境で育ち、「普通にやれば自分も」と思い込んで受験先の本命は東大文科Ⅰ類(法学部)。しかし3年連続で不合格になり、早稲田大法学部に進んだ。大きな挫折感を味わったという。

 大学時代から父親の選挙戦を手伝い、飲み会にも精を出す。日本長期信用銀行(現新生銀行)に就職し、本店で外貨預金や為替を扱った。2年半後、高松支店に転勤し、瀬戸内の造船や海運業を対象にした融資営業を担当。倒産や夜逃げなど厳しい世間に触れたことは、政治家としての血肉になったそうだ。

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「選挙の鬼」として存在感アップ

 政治家になる気持ちを固め、父の秘書になったのは1987年。亡くなった父の地盤を継ぎ、35歳で衆院選に初当選する(1993年)。当選を重ね、ついた呼び名は「選挙の鬼」。週末は極力広島に戻り、こまめに地元を歩く。実直な仕事ぶりに加えて、選挙の強さで党内の存在感を高めていく。

 飛躍は2012年、55歳のとき。「岸田派」の会長になり、外相にも就任。被爆地の選出議員として「核兵器なき世界」を目指すことをライフワークに掲げる。2016年には米大統領オバマ氏(当時)の広島訪問にも尽力した。

「終わった男」から再起

 2017年からは「ポスト安倍」を視野に本格的に始動。政調会長に就任する。2020年8月には、安倍晋三首相(当時)の後任を決める総裁選に名乗りを上げた。しかし菅義偉氏に大差で敗れ、自民党内では「岸田は終わった」との受け止めが広がった。

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 「発信力のなさが弱点」との評や、東京生まれの世襲議員であることから「優等生キャラ」「ひ弱」と印象を語る声もあった。一方で「誠実な人柄」とも言われ、自身は強みを「聞く力」と話す。国民の声を書きとめた「岸田ノート」は10年間で30冊近くになる。
 経済政策の目標とする「成長と分配の好循環」や被爆地出身の首相として「核兵器のない世界」への前進を実現できるかどうか。日本のリーダーとしての手腕はこれから試される。


妻・裕子さんには一目ぼれ

 岸田さんは、妻の裕子さんと息子3人の5人家族。三次市出身の裕子さんに、父の秘書として広島の企業回りをしていた31歳の頃、立ち寄り先のマツダで出会って一目ぼれ。見合いをし、ディスコなどでデートを重ねて交際3カ月でプロポーズした。

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政界きっての酒豪、「鬼滅の刃」も全巻読破

 政界きっての酒豪とされる。ロシア外相との会談では、喉が焼けそうなほど強いウオッカをディナーで出されても平気な表情だったという。その分、ダンベルで筋トレするなど、日々の鍛錬は怠らない。スリムな体を包むスーツは広島市内のなじみの用品店で仕立てる。東京・赤坂の議員宿舎で息子2人と同居中。若者に人気の音楽を教えてもらい、人気漫画「鬼滅の刃」も全巻読破した。

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