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中国山地の歴史

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「みんなでつくる中国山地」運営メンバーによる、中国山地のあれこれについて書いているコラムです。
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記事一覧

【中国山地の歴史⑫】2050年の中山間地域

 こんにちは、中国山地の歴史を調べる人、宍戸です。  今回は、日本の人口減少について、データを使って書いてみたいと思います。一見、歴史とは関係が薄い内容に見えますが、2050年から見たら現在は歴史になっているし、ここまでに至る経緯も私は大きく歴史が関わっていると思っています(これについては次回以降の記事で触れたいと思います)。  昨年2023年12月22日に、国立社会保障・人口問題研究所が日本の将来推計人口を更新し、日本の人口減少が改めて話題となりました(参考:NHK)。  

【中国山地の歴史⑪】父を尋ねて1500km~「鉄山必要記事」の背景を探る

 こんにちは、中国山地の歴史を調べる人、宍戸です。  今回は、たたら製鉄を調べるうえで欠かすことのできない古典「鉄山必要記事(鉄山秘書)」の著者に注目し、「鉄山必要記事」を記した時期に重なる奥州滞在について紹介したいと思います。  まずは、そもそも「鉄山必要記事」とは何かからご紹介します。「鉄山必要記事」は、たたら製鉄にまつわる材料の調達、技術、経営、言い伝えなどを網羅的に記述した書物で、江戸時代におけるたたら製鉄を知るうえで最高の古典とされています。著者は下原重仲(吉兵衛

【中国山地の歴史⑩】中国山地のむらあるきー奥出雲町横田ー

 こんにちは、中国山地の歴史を調べる人、宍戸です。  中国山地の各地を歩いてみると、どんな歴史があって、地域の人がどんなことを誇りに感じていて、今どんな新しい動きがあるのかが見えてきます。  特に石碑や銅像は普段、地元の人でも関心を持つ方は少ないのですが、誇りに感じたから、あるいは何かしらのイベントがあったからこそ建立されているので、地域の歴史がよく見えてきます。  今回は、奥出雲町の横田の町を紹介したいと思います。  横田の町の歴史を、自分なりに大きく4点にまとめると次のよ

【中国山地の歴史⑨】里山の歴史−里山とは何か?−

 中国山地の歴史を調べる人、宍戸です。今回は、中国山地での暮らしと関連の深い言葉である「里山」の歴史について迫ってみたいと思います。  「里山」という言葉は、広く認知され使われています。近年でも、中国山地を主に扱った「里山資本主義」という本が話題になりました。ところが、「里山」という言葉をどのような意味で使うのかは、人によって異なるように思います。「里山資本主義」でも、「里山」の意味については明確には記されておらず、ざっくり「山あいにある田舎」のような捉え方になっています。む

【中国山地の歴史⑧】鬼と金属

 こんにちは。中国山地編集舎メンバーの宍戸です。実は、子供が鬼滅の刃のノベライズが大好きな影響で、私も少し読ませてもらっています。それと関係があるかどうかは?ですが、今回は「鬼」について書いてみたいと思います。  日本に現存する文献で「鬼」について記述された古い例の一つが、西暦733年に成立した「出雲国風土記」です。出雲国風土記の大原郡の条には「古老の伝えて云はく、昔、或る人、此処に山田佃りて守りき。その時、目一つの鬼来て、佃人の男を食ひき。その時、男の父母、竹原の中に隠り

【中国山地の歴史⑦】ヤマタノオロチの源流

 こんにちは。中国山地編集舎メンバーの宍戸です。今回は中国山地で語り伝えられるヤマタノオロチ神話について書いてみたいと思います。  中国山地には神話が豊富に語り伝えられており、神話を題材にした神楽も盛んです。中でも「ヤマタノオロチ」は神楽の人気演目で、最も有名な神話の一つと言えます。この、ヤマタノオロチ神話は、日本書紀や古事記といった日本最古級の歴史書の記載を原点としています。例えば、古事記の原文では、「降出雲國之肥上河上名鳥髪」と記載されており、スサノオノミコトが、出雲国の

【中国山地の歴史⑥】中国山地に暮らしの場を生み出した技術者

 こんにちは。中国山地編集舎メンバーの宍戸です。以前書かせていただいた、「【中国山地の歴史③】鉄穴流しが生み出した中国山地の暮らし」では、鉄穴流しは農地の生成を通じて、暮らしの場である集落を生み出す原動力であったと書きました。今回の記事では「中国山地で鉄穴流しを行って砂鉄を採取し、その跡地に水田をつくった」ということについて、もう少し掘り下げて書いてみたいと思います。 鉄穴流しと流水客土  まず、砂鉄採取跡地の水田化は、どのようなプロセスで行われたのでしょうか。松尾充晶先

【中国山地の歴史⑤】中国山地の森林とたたら製鉄の関係

 こんにちは。中国山地編集舎メンバーの宍戸です。今回は中国山地と森林の関係について書いていきたいと思います。日本全体でみれば、今日では森林とは縁遠い生活を送っている方の方が多く、森林が歴史的に果たしてきた役割を意識する機会は必ずしも多くありませんが、かつて中国山地の広大な森林は、人々の暮らしにとって欠かすことのできない存在でした。そもそも、中国山地に限らず、人間は森林を利用することによって文明を発達させてきたと言っても過言ではありません。土器を焼成するのにも、土器に食物を入れ

【中国山地の歴史④】中国山地の暮らしを支えた和牛生産という生業

 こんにちは。中国山地編集舎メンバーの宍戸です。2021年もよろしくお願いいたします。今年の干支は「牛」ということで?、今回は中国山地の歴史にとって欠かすことのできない和牛について書いていきたいと思います。現在の私たちは和牛と聞くと、 食用としての牛、いわゆる「牛肉」を思い浮かべますが、和牛の歴史の大半は農耕や運搬に使役することを主目的としており、実は、食用のためだけに飼われたのはごく最近です。今のように農業機械やトラックなどが普及する前、およそ1960年代より前は、和牛が非

【中国山地の歴史③】鉄穴流しが生み出した中国山地の暮らし

 こんにちは。中国山地編集舎メンバーの宍戸です。前回の【中国山地の歴史】では「たたら製鉄」の概要について記させていただきました。今回の記事からは「たたら製鉄」に関連した生業について、何回かに分けて書いていきたいと思います。まずは、たたら製鉄の原材料の砂鉄を採取する技術「鉄穴流し」について書かせていただきます。  なぜ砂鉄の採取だけに特化して記事を書くのか、とお思いでしょうか?実は、この「鉄穴流し」が中国山地に与えた影響はとても大きく、たたら製鉄と分けて独立して記事にするだけの

【中国山地の歴史②】中国山地の「たたら製鉄」が与えた地域文化への影響

 こんにちは。中国山地編集舎メンバーの宍戸です。前回の記事で書いたように、今回は「たたら製鉄」について書きたいと思います。「たたら製鉄」とは、簡単に言えば、日本で伝えられてきた砂鉄と木炭を使って鉄をつくる伝統的な製鉄技術のことです。中国山地は、貞方昇先生によれば「近世日本最大の重工業地帯」であり、有岡利幸先生は「江戸時代の繁栄は、中国地方で生産された鉄によるところが大きい」と評するなど、江戸時代の中国山地は、たたら製鉄によって栄えてきました。  起源を少しひもとくと、日本で

【中国山地の歴史①】「過疎が終わった」中国山地で、そもそも過疎が始まった理由〜

 こんにちは。中国山地編集舎メンバーの宍戸です。これから時々(忘れたころに?)、中国山地のあれこれについて、このブログに書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。  中国山地の過疎化の経緯については「みんなでつくる中国山地」狼煙号で、森田一平さんが丁寧にまとめてくださっています(狼煙号についてはこちら)。今回は森田さんの文書の理解を深めるうえで、少しでも役に立てたらいいな、という気持ちで、少し補足するような内容を書いてみたいと思います。  中国山地は、森田