見出し画像

【中国山地の歴史⑧】鬼と金属

 こんにちは。中国山地編集舎メンバーの宍戸です。実は、子供が鬼滅の刃のノベライズが大好きな影響で、私も少し読ませてもらっています。それと関係があるかどうかは?ですが、今回は「鬼」について書いてみたいと思います。

 日本に現存する文献で「鬼」について記述された古い例の一つが、西暦733年に成立した「出雲国風土記」です。出雲国風土記の大原郡の条には「古老の伝えて云はく、昔、或る人、此処に山田佃りて守りき。その時、目一つの鬼来て、佃人の男を食ひき。その時、男の父母、竹原の中に隠りて居る時に、竹の葉あよきき。その時、食はゆる男、「動々あよあよ」と云ひき。」という記述があります。一つ目の人食い鬼です。

 この記述について、国文学者の荻原千鶴先生は、「本条の一つ目鬼は、おそらく天目一箇神、天目一命などの信仰につらなるものだろう。『紀』によれば天目一箇神は「作金者」とされていて、鍛冶職の信仰した神である。鍛冶職は山間地に住み山神を祀り、山人と称される。出雲国山間部は仁多郡を中心として産鉄がさかんで、本郡も鉄・銅などの鉱物資源に恵まれる。採鉱・冶金に携わる山人やその信仰への畏怖の念が、やがて一つ目の妖怪を生み出していったのではないだろうか。」としており、たたら製鉄と鬼の関係について触れています。これと類似した神話は世界各地にあり、例えば、ギリシア神話に登場するキュクロープスは、鍛冶技術を持つ単眼の巨人として知られています。「鍛冶」や「単眼」という点で、天目一箇神の特徴と一致しており、出雲国風土記に記載される一つ目鬼伝承の原型も、前回のヤマタノオロチ神話と同様に、あるいは大陸から伝わってきたものかもしれません。

出雲風土記に記される一つ目の人食い鬼

 これ以外にも、鉱山あるいは製鉄が鬼と関連しているという説は昔から唱えられてきました。医者をしながら民俗の研究を行った若尾五雄先生は、親族のいる鳥取県日南町の楽々福神社ささふくじんじゃに鬼伝説が伝えらていることを知り、また日南町はかつて製鉄で栄えた地域であったことから、鬼と金属の関係に興味を持ち、各地の鬼に関する民俗を採訪して歩きました。そして、鬼伝説の分布と鉱山の分布に関連を見出し、有名な桃太郎伝説や酒呑童子伝説に出てくる鬼は、実は鉱山師(鉱山経営者)のことであり、桃太郎が鬼を倒して金銀財宝を持ち帰るという話も、鬼は他人から奪ったから金銀財宝を持っているのではなく、そもそも鉱山師だから金属をたくさん持っているのではないかという興味深い説を提唱しています。これは、農民を従える権力者の側から見て、財力を持ち支配の及びにくい鉱山師は、成敗されるべき「鬼」に見立てられたという意味でも解釈できるのかもしれません。そして、谷川健一先生は、若尾先生の説を汲みながら、既存の民俗学が稲作文化への傾斜から金属文化を軽視してきたことは否めないとし「農民中心の学問の視野は是正されなければならないのではあるまいか。」と指摘しています。

桃太郎が倒した鬼はなぜ財宝を持っていたのか?

 ところで、一般的に日本人の私達が「鬼」と聞いてイメージするのは、赤色や青色の体で、頭からは角が生え、虎のパンツをはいている姿だと思います。出雲国風土記に出てくる鬼と比べると、「恐ろしそう」というイメージは共通するものの、角や虎のパンツといった特徴についての記述はありません。私達のイメージする典型的な鬼の姿はどこからやってきたのでしょうか?
 それは、中国から伝わった十二支と、その十二支が年月、さらには方角を表すようになったことと関係します。中国では十二支のうちうしとらの間で新旧の暦が変わり、この暦が断絶した隙間から鬼が入ってくるとされました。この丑寅を方角で表すと「北東」で、この方角が鬼が入ってくる「鬼門」と呼ばれるようになり、やがて、「丑寅」から牛のような角を持ち、虎のパンツを履く鬼のイメージが形成されていきました。日本人がイメージする典型的な鬼の姿は、十二支の考え方が日本に伝わった後、平安時代後期ごろに日本で独自に形成されたと言われています。出雲国風土記が編纂された奈良時代の人々がイメージする鬼の姿は、現在の私達とは異なったものだったのでしょう。

関連は不明だが製鉄が盛んだった奥出雲にも「鬼」を冠する神社がある

(1)荻原千鶴『出雲国風土記』講談社学術文庫.1999
(2)若尾五雄『鬼伝説の研究 金工史の視点から』大和書房.1981
(3)若尾五雄『金属・鬼・人柱その他-物質と技術のフォークロア-』堺屋図書.1985
(4)若尾五雄『黄金と百足 鉱山民俗学への道』人文書院.1994
(5)日野郡史編纂委員会編『日野郡史上巻』.1926
(6)谷川健一『鍛冶屋の母』河出書房新社.2005
(7)谷川健一『青銅の神の足跡』集英社.1979
(8)牛の博物館機関紙『牛のはくぶつかん No.47』.2016

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?