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10年同棲する彼女がいるあなたに恋をした。でも、わたしはこの恋で絶対不幸になったりしない。

彼と出会ったその瞬間、「あぁ、わたしは、この人が好きだ」と思った。やや肩を引き大股で歩く自信あり気な姿勢、細やかな目線のやり方、慎重だが意地悪な言葉選び、彼の言動・身振り手振りのすべてに彼の「つよくて繊細な意思」を感じた。きっとこの人ならわたしのダメダメなところなんてきっととっくにお見通しで、でもそれを踏まえてわたしの往くべき道を示してくれるだろうと半ば確信した。

でも、わたしが好きになったからといって彼と一緒になれる保障はもちろんない。風の噂で彼は10年もの付き合いになる彼女と同棲していると聞いた。こんな魅力的な人には先約があって当然だ。わたしが座る席なんてないのだ。

酒の席で遭遇し、彼が膝を突き合わせて楽しげに話しかけてくる度、わたしは憂鬱になった。「あぁ、これ以上好きになりたくないな。」そう思いながら彼の話を上の空で聞いていた。


 *


3ヶ月後、コンサートの帰り道、錦糸町駅のロッカーから貴腐ワインとショートケーキを取り出して、ラブホテルで彼の誕生日をお祝いした。そして当時にしてはちょっと、というか、かなり背伸びをして英國屋のオーダーメイドシャツのギフト券をプレゼントした。彼は目を細めて「ありがとう。」と言った。そしてこうも付け加えた。

「あんまり俺のこと好きになっちゃだめだよ。」

その言葉を聞いた瞬間、たちどころに腹が立った。目の前の彼に反発するあまり、気がつけば貴腐ワインのグラスを盛大にぶちまけていた。

あなたのことをどれだけ好きになるかはわたしが決める。あなたに彼女がいようとなんだろうと、わたしはこの恋で絶対不幸になったりしない。わたしはいつでも他の人を好きになることができる。あなたと同じように。わたしはあなたに可哀想に思われる立場ではない。わたしは自由だ。あなたと同じように。わたしの大事なこの恋をあなたの物語の一部になんかさせない。この恋はわたしのものだ。わたしを消費することは金輪際許さない。

今思うとかなり理不尽な怒り方だったというか、急にブチギレすぎでは?ってかんじだし、よく彼も耐えたなという苦笑じみた思い出話なのだけれど、当時は本気だった。マジのガチで失望して、これで彼が逆上して帰ってしまうならそれまでだと思っていた。でも、彼はわたしの剣幕にドン引きしながらも、「いやぁ…そんなつもりじゃなかったけど…わかったよ。」と笑った。

その夜以降、わたしたちの間から「なんとなくうしろ暗い雰囲気」というか、湿った不均衡な関係性の香りが消えた。わたしは彼の彼女でもセフレでもない、何者かになった。


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すべてのカテゴリーは単なる装置なのに、妻・彼女・セフレのピラミッドの中で下克上することが人生の目的になってしまうなんてあまりにかなしい。たとえ誰かが現実なんてそんなもんだよ、と言ったとしても、それならわたしは現実の方を変えたいと願う。

人間関係には不均衡がつきものだ。親は子どもの生殺与奪権を握っている。教師は生徒との情報格差を利用してお金を稼ぐ。友人同士でもちょっとしたライバル心から優劣がつくことがある。細かな貸し借りはしょっちゅうあるし、むしろそのような関係が健全とされる。

しかし、どんなに不均衡な関係性にあったとしても「まなざし」が一方通行になることはない。どんなにか弱く見える存在であっても、あなたからの「まなざし」を受ける対象であると同時に、あなたのことを「まなざし」ている主体である。あなたがどのように「まなざし」を受けるか完全にはコントロールすることができない。そこであなたはようやくその意のままに操ることはできない存在をおそろしく、愛おしく思うだろう。

男性主体の社会においては、女性は「家庭に入る」ことによって表向きは社会から離れ、ひとりひとりが孤立してきたという歴史があり、不均衡な関係性から生まれる課題は未だにそれぞれ放置されやすい状況にある。しかし、わたしたち一人ひとりに「まなざし」があり、全員が物語ることができる。せめて目の前の惚れた男性に対してくらい、目を見開き、語り、既存の役割をまなざし返していかなければ、どうやって新しい物語を生み出すことができるというのか。

湿ってよどんだ空気は、打開されるためにある。


 *


あれから5年の月日が経って、わたしは彼と会うと2回に一回くらい「大好き〜」と言う。彼はそのうち3回に一回くらい「俺も〜」と返す。でもその背後には「好き」の大きさと同じくらいもう好きじゃなくなる可能性もある。「好き」なんて言葉を交わしたところで、本当のところはお互い何を考えているかなんてわからない。いつ振られるかわからない。相手の人生にどれだけ影響を与えているか、その軽重をわたしが決めることはできない。都合よく責任の逃れすることも自分の価値を高く見積もることもできない。一番近い他者である恋人が怖い。

でも、それでいい。お互いが怖い。それが敬意だ。

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