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貴族の戯れ

東京では7千円払えば貴族になれるという。

独身アラサー女3人でアマン東京のアフタヌーンティーに行こう、ということになった。連むのは好きだが、団体行動が苦手なので現地集合である。東京は土地がなさすぎて5星ホテルでもオフィスビルの一角にテナントとして入っていて、エントランスが狭くわかりにくい。

無愛想な警備員の3メートル横には笑顔を絶やさないドアマンが立っている。いや。始終立っているわけではなく、わたしがドアの前でウロウロしていると「現れる」。忍者屋敷の隠し扉のようなところからスッと登場する。なにを言っているかわからないかもしれないが、本当である。

行き先を尋ねられ、向かうべき道を示され、考える暇もないまま目的地直通のエレベーターのボタンが押される。エレベーターの扉が開くと、急に視界が開ける。映画『パラサイト』の金持ち屋敷のリビングルーム20個分くらいの空間が広がっていて、あの屋敷にもあったやたらと低いテーブルがいくつも点在している。映画を観たときはあんなテーブルどうやって使うんだよ、と思っていたが、そこにシルバーがセットされていることから察するに、これからわたしたちが使うのはこのテーブルだ。

だだっ広い空間の向かって左隅にどうやら店の受付らしいカウンターがある。そこに「予約した〇〇です…」と告げると「13時から予約の〇〇様ですね?」はいはいそうです。「こちらイタリアンレストラン・Avanでございますので…」

そうか。ここはアフタヌーンティーはやっていない。イタリアンか。どうやら壁のない開けたスペースにいくつもの飲食店が隣り合っているらしい。しかし何故このイタリアンレストランの受付のお姉さんは違う飲食店の予約を把握しているのだ?わからない。

お姉さんが目配せをすると、スーツを着たお兄さんが背後から現れる。「〇〇様ですか?」お兄さんは広間のど真ん中に立つ消化器より少し背が高い黒い筒に立てかけてあるタブレットを取りに行く。そこが受付かよ。わかんねぇよ。お洒落なオブジェがそこかしこにあるインテリアに馴染みすぎだよ。

しかしはたと気がつく。この空間ではわたしたちから能動的に動くことはまったく想定されていない。常に彼らが「やって来る」のだ。

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(ミックスベリーのスープ シャンパンエスプーマ)


イチゴがびっしり敷き詰められた宝石箱にため息をついていると「お写真撮られますか?」と声がかかる。ティーポットの中身は外から見えないはずだが、彼らはなぜか紅茶がそろそろなくなることを知っていて、「次はどちらにしますか?」と現れる。隣の友人が固くなったスコーンが割れずに戸惑っていると、示し合わせたように傍に立っていて「縦なら割れるかもしれません…」と囁きかける。欲望は常に先回りされる。

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(苺とピスタチオのタルト・苺とチェリーのクランブルタルト・苺とブラウニー ガナッシュモンテ・苺のミロワール・苺とスパイスのサブレサンド)


サービスや見た目だけでなく料理や小菓子の味も素晴らしかった。ただ、ここでどんなに筆舌を尽くして描写しても、庶民の皆さんの想起するどのイメージとも違う味だろうし、徒労になるだけなのでやめておく。例えば、紅茶は全くえぐみ・苦味がなく、華やかな香りだけが鼻腔をくすぐる。アッサムのミルクティーを口にして、あまりの美味しさに「紅茶花伝と…全然違う…」と呟いた。そこにはやはりお姉さんが立っていた。恥ずかしさで下を向いていると、「紅茶花伝も美味しいですよね。」と笑顔。わたしは最低だが、お姉さんは100点満点だ。

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(苺とチョコレートのテラコッタ・苺とルバーブのタルト・キャラメルソース・苺とホタテおバートフィロ・苺のラタトゥユとカリフラワー・苺とフォアグラのムース コーン・苺の焼きリゾットとモッツァレラチーズ・苺と鴨コンフィのボックスサンド)


終始夢見心地のまま3時間があっという間に過ぎた。お会計7千円と少し。この時間が7千円。適正価格なのかすらよくわからないまま街へ戻る。やはりわかりにくい出口でまごまごしていると、隠し扉からお兄さんが出てきて無言の微笑と共に導かれる。

帰宅して山手線の北側にあるワンルームで縦型洗濯機を回しながら考える。200年前なら7千円払っても、わたしのような小娘があのサービスを受けることは許されなかっただろう。わたし自身も自分があの扱いに値する人間なのかわからない。アラサー独身女はこの世で最も図々しく傲慢な人種かのように喧伝されるが、実際は仕事も恋も下っ端扱いばかり。意外と慎ましく暮らしているものなのだ。

3時間7千円。封建制に風穴開けて、わたしは一瞬貴族になった。

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(プレーン ミックスベリーのスコーン・クロテッドクリームと自家製ジャム)




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