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バカラグラスを叩き割れ

かつて、わたしにとってパートナーとは望みを叶える手段でしかなかった。

彼氏は自分の快適な生活を手に入れるための道具だった。だから、毎回一定の条件を満たす人と付き合った。たとえば、ひどい失恋のあとは絶対にわたしのことを振らない人。将来が不安なときはわたしと結婚してくれそうな人。その時々のチェックリストを満たしていれば、相手は誰でもよかった。

そのときわたしはガチガチのモノアモリーとして、彼氏と呼べるたった一人の人にのみ貞操を誓っていたわけだけど、モノアモリーであることとパートナーが交換不可能なかけがえのない人であることは決して同じではなかった。





ポリアモリーとしての生活を実行に移して今のパートナーと付き合いだした頃、うかつな人にひどいことを言われて、彼が買ってくれたワイングラスを故意に、叩き割ってしまった。

わたしは片付ける気すら起こらず割ったグラスを放置していじけていたのだけど、彼はいつも食器を洗うのと同じように淡々とガラスの破片を片付けた。

何も責められなかったし、メンヘラと揶揄されることもなかった。わたしが怪我をしていないことと事の次第だけを聞いて、あぁそうなんだ。それはクソだね。かわいそうだったね。と言った。

「せっかく買ってもらったのにごめん。」

「別にそんなこといいよ。ワイングラスなんて割れるためにあるんだから。こんなのまた買えばいい。」


つとめて冷静な彼を見て、わたしはなんのためにグラスを割ったのだろう、と思った。
彼の気を引きたかったのだろうか?





そんな優しいことを言ってもらったはものの、なんだかだんだん申し訳なくなって、彼氏の誕生日にバカラのワイングラスを2脚、プレゼントした。

彼がバカラをコレクションするほど好きだということは当時知らなかったのだけれど、デパートで目についてあまりの美しさにこれを持ち帰って彼に見せたい!!!!となってしまって、身の丈に合わない出費をすることになった。その甲斐あって、なんと彼は涙を流して喜んでくれた。

そして一万円札を数枚取り出してわたしに渡した。

「いいよ。プレゼントだし、このあいだわたしがグラス割っちゃったのもあるし。」

「もうあなたがこのグラス選んでくれた気持ちだけで十分。それ以上のものは受け取れないよ。別にこのグラスだって割っていい。」


「もう割らないようにあえて高いグラスにしたんだよ(笑)」


「いやいや。バカラだから割るんでしょ。そうしないと解消されない気持ちがあるんだから。」



わたしは自分を恥じた。

彼にとって、何十脚も収集するほど夢中のバカラのグラスも、ちゃんとわたしの前では手段にすぎないのだ。よく考えなくても当たり前だ。どんなに美しくてもグラスはグラス。人生の目的になるわけがない。

それなのに、わたしはまだパートナーなんて人生の手段でしかないのかもしれないという考えを捨てきれずにいたし、自分がグラスを割ってしまったのも彼の気を引くためだった、それだけだと思っていた。

信用がなかったのかもしれない。馬鹿馬鹿しいことだけど、彼が割れるバカラグラスよりわたしのことを心から慮るだろうなんて思いもしていなかった。同時に、自分がグラスを割りたくなるほど傷ついているということからも目を背けていた。メンヘラというレッテルの前にあぐらをかいた。


彼については勿論、自分自身についても、とにかく人間を軽んじている。ふざけた態度だ。





たしかに、社会は人間を交換可能な存在にして上手く回っている。そうじゃないとこちらは安心して病欠することもできない。でもそれだって、人間が安心して暮らすために作られたシステムの一つに過ぎない。いつだって、あなたとわたしが主役。ゴールはわたしとあなた。

すべてのカテゴリーは単なる装置なのに、妻・彼女・セフレのピラミッドの中で下克上することが人生の目的になってしまうことが、あまりにかなしいことであるように。

現実はそうなんだよと言われても、だったら変えるべきは現実の方のはずだ。




#恋愛 #コラム #エッセイ #ポリアモリー

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