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最高の血まみれホラー映画『X エックス』をポリアモリー視点で読み解いてみた

今夏、最高に楽しい血まみれホラー映画『X エックス』が公開された。

舞台は1979年のアメリカ合衆国・テキサス州。女優のマキシーンとプロデューサーのウェイン、ブロンド女優のボビー・リンとベトナム帰還兵で俳優のジャクソン、そして監督のRJと、その彼女で録音担当の学生ロレインの3組のカップルは、映画撮影のために借りた田舎の農場へ向かう。彼らが撮影する映画のタイトルは「農場の娘たち」。ポルノ映画だ。6人はこの映画でドル箱を狙っている。そんな彼らを農場で待ち受けたのは、みすぼらしい老人のハワードとその妻・パール。3組のカップルが踏み入れたのは、史上最高齢の殺人夫婦が棲む家だった……というストーリー。

大体の人がこのあらすじから推測するような出来事はすべてきちんと起こる、最高のジャンル・ムービーだ。「じわじわ系」「ビックリ系」「痛い!系」……ホラー映画に必要な要素ずべてがバランス良く配置されていて、文句のつけようがない。もちろんこのような映画を好む人は多くはないと思うが、わたしは十分に楽しんだ。

鑑賞後、興奮冷めやらず、パンフを買って帰った。大島依提亜さんによる、70年代・80年代のアメリカの週刊誌やコミックスを意識したであろうデザインで最高にイケている。その中に気になる記述を見つけた。

「ボビー・リン(ブリタニ―・スノウ)とジャクソン(メスカディ)の2人はポリアモリスト(複数恋愛主義者)のカップルで…」!!!!

何を隠そう、わたしもポリアモリストだ。そして、その目線でこの映画を振り返ると、なるほど!と思うことが複数ある。そこで、今の日本でどのくらい観られているか正直よくわからないジャンル・ムービーの、これまた何人が買ったんだふつうに数えられちゃうんじゃないか、と思われるパンフを基に、この映画を振り返ってみたい。「ポリアモリー」というこれまたマイナー視点で。需要とか知らん。



※ここから先、映画『X エックス』の重要なネタバレを含みます。あと、下ネタもあるので、ご注意ください。



この映画には3人の「アバズレ(whore)」が登場する。ちなみに、ホラー映画で「アバズレ」は大体殺されます。「セックスは死のフラグ」と聞いたことはないだろうか。

本作にも何人もの「アバズレ」が登場する。とはいえ、本作の「アバズレ」たちはよくよく見ると、ステレオタイプな「奔放で嫌な女」とは限らない。三者三様、まったく異なるタイプの「アバズレ」が、繊細に描き分けられているのだ。

まず、一人目はブロンドの女優・ボビー。彼女は上述のように、ポリアモリー(複数愛者)だ。ポリアモリーとは、当事者間の合意の下、複数の相手と継続的な性愛関係を結ぶライフスタイルのことを指す。日本では、叶姉妹の恭子さんがポリー(複数愛者)であることを公言している。

彼女は、ロレインに「(ジャクソンと)恋人なの?」と聞かれて、「時々ね(sometimes)」と答える。おそらくジャクソンと会っているときは、車の中だろうが、人前だろうが、ところかまわず「始めて」しまうふたりだが、会っていないときは互いの他の性愛関係には干渉しない、ということらしい。作中ではっきりとは描かれていないが、ボビーとそのパートナーであるジャクソンには、他にも継続的な関係のパートナー(メタモア)が互いにいるのではないかと推測できる。

次に、本作の主人公であるマキシーン。彼女もまた、ボビーと同じく「農場の娘たち」に出演し、ジャクソンとセックスをするのだが、おそらくマキシーンとプロデューサーのウェインは、ポリアモリーではない。これはポリー当事者ではない人にはちょっとわかりにくい感覚かもしれない。恋人が他の人とするのがOKなんておかしなこと言うのは、みんなポリーじゃないの?と。しかし、彼らの言動、特にウェインに注目すると、おそらく彼らがポリアモリーではない、ことがわかる。

作中では、ウェインが先妻を捨てて、マキシーンと一緒になったことが示唆されており、あくまで彼はモノガマスな関係を尊重するタイプの人間なのだ。また、彼は、ウェインに「恋人が他の人とセックスをして、平気なの?」と聞かれて、こう答える。「カメラの前ならね」。

つまり、マキシーンとウェインのカップルは、モノガマスな関係(一対一の、一夫一妻的な)を前提とした「スワッピング」を実践しているのではないか。あくまで限定された環境下での性を解放を許容しているカップルなのだ。おそらくウェインは、カメラのない場所、自分の把握していないところでマキシーンが「浮気」することは、あまり快く思わないのだろう。

最後に、ロレイン。彼女は物語の序盤から十字架のネックレスを首から下げており、「貞淑さ」を重視するキャラクターだった。しかし、ボビーとマキシーンのイキイキとした姿を目の当たりにして触発され、「わたしも映画に出たい」と申し出る。彼女は元来、作中最もモノガマスな女性だった。しかし、その後、彼女自身がどのようなパートナーシップを望むようになるかは未確定だ。「性的自由」にまさに今目覚めたばかりの女性として描かれている。

このように本作に登場する「性的自由」を謳歌する女性たちのあり方は、それぞれ微妙に異なっている。また、彼女たちと対峙する男性陣も、これまでの人種的・ジェンダー的偏見を乗り越えるキャラクターとして描かれている。

例えば、ウェインは野心的なギラギラとした中年男性であるが、冒頭で覚せい剤をキメるマキシーンに「ほどほどにしておけよ」と気遣いの声をかける。また、他の男性に性に奔放なマキシーンが侮辱されたときには、しっかりと怒ってみせる。極めつけに、キュンとくるのは、彼がある場面で発したこの言葉だ。「いい子(a good girl)なんてこの世にはいないんだ」。ウェインは女性に「こうあるべき」という女性像を押しつけない。ただ、彼女たちのあるがままの姿を肯定しつつ、ケアをする。

一方で、本作における最初の死者は、一見女性に、人間に「優しい」顔をしながら、実は「こうあるべき」という女性像と支配欲を有していた人物だ。そして、ダメ押し的なラストシーン。「貞操観念?そんなのくそったれですよね??」と観客に突き付ける爽快感。ホラーというジャンルにあった説教臭さを吹き飛ばし、鮮やかに転回させてみせた。

最高のポリアモリー・フレンドリー・ムービー。まぁ人は大体死ぬので、そもそも人間にフレンドリーかという問題はあるが……。今すぐ気になるあの人を誘って、「キャー!」「わー!」「ぎょえー!」などと言いながらボディ・タッチをかます口実に観にいってください。

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