甘美な夢に中指立てて、仮初めのシーツで抱き合いたい
テレビを点けると南海キャンディーズの山里亮太が女優の蒼井優と結婚していた。ワイドショーではあの“美女と野獣婚”的な騒がれ方をしていて、わたしはチッと舌打ちを打った。少なくともわたしの観測する範囲では、山里亮太という人は大変な努力家であり策士であり、業界では確固たる地位を築いたそれなりのお金持ちのはずで、蒼井優とはジャンルこそ違え、完全に“釣り合った男”である。にもかかわらず、この男はその加害性のようなものを消臭することに今尚成功しているのか、売れっ子め、流石だわ、と思うと微妙に腹が立った。絶対に今日のTBSラジオ「山里亮太の不毛な議論」は聴かないと決めた。
テレビの中で彼はまだ一席打っている。
「どのような経緯で結婚に至ったのですか?」
「重いとは思わないでいただきたいんですけれども、そんな深い意味はなく、あの…鍵を渡していってもいいですか?」と山里は自宅の鍵を手渡す。
「…深い意味でもいいんですよ?」と蒼井優が返す。
「…僕と、結婚してみます?」
「はい。」
*
鍵は関係性の流動性や固定性を示すのにふさわしい小道具だ。鍵を手渡すことは秘密の共有、関係の深まりを可視化する。一方、これ以上深めるのはひとまずやめておこう、という関係性において鍵は速やかに返却されることが望ましい。保留された関係性においては鍵もまた宙ぶらりんの位置に置かれる。
愛することに疲れたみたい
嫌いになったわけじゃない
部屋の灯りはつけていくわ
鍵はいつもの下駄箱の中
(松山千春『恋』)
*
大女優と名コメディアンが描いた美しい物語はたしかにわたしの心にも響いた。(それを認めたくない程に)きっとわたし以外の多くの人の胸にも刺さって抜けないトゲになるだろう。目指すべき理想として。甘美な夢として。
わたしには交際5年目になるパートナーがいる。週に一度、互いの家を行き来する。鍵は決して手渡されないし、手渡さない。
わたしたちは結婚しないことを選んでいる。
結婚することは、形式的に家族になることは、惰性のはじまりだ、とわたしたちは考えている。わたしたちは原家族に対していい思い出が多くない。形式と内実が一致する美しい愛のかたちを、わたしたちは知らない。結婚という強固な形式によって愛は堕落させられると考えている。これはおそらく多くの人にとっては真実ではない。しかし、わたしたちにとっては真実だった。
家族だから、俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの。家族だから、殴られても蹴られても離れられない。家族だから、あなたはわたしたちを助ける義務がある。よそはよそ、うちはうち。あなたはわたしたちの一部なの。
わたしたちはきっと世の中にはそうではない愛のかたちがあることはわかっている。わたしたちふたりの生活がそういうものでないことはわかっている。でも、ふとした瞬間に悪夢を見ないように。あの場所にはもう戻らないという決意の表明のために。わたしたちはあえて形式を整えない。
I'm a man without a home But I think with you I can spend my life And you'll be my little gypsy princess Pack your bags and we can chase the sunset Bust the rearview and fire up the jets 'Cause it's you and me Baby, for life
僕は故郷を持たない男
だけど君となら人生を共にできる気がする
君は僕のかわいい ジプシー・プリンセス
荷物をまとめてふたりで夕日を追いかけよう
バックミラーを壊してジェットエンジンをつける
僕と君で
ベイビー、死ぬまでずっと
(レディー・ガガ『ジプシー』)
*
まだ互いが出会ってもいない少年少女時代、わたしたちは荷物をまとめて、バックミラーをぶっ壊して、それぞれの道を走り出した。最初はまっすぐ走ることすらままならなくて、誰かを乗せるなんて考えもしなかった。自分の車の鍵をしっかり握りしめて、無謀な運転を繰り返してきた。
しかし、同乗者を見つけた今、それが不思議と不幸には思われない。わたしたちは同じ車に乗ることはあっても、それぞれの鍵付きの部屋を尊重するパートナーシップを築くことができるようになった。わたしたちの人生はきっと居所を定めることなく旅の途中のまま終わる。互いが道を違う可能性を直視しているから、今のドライブが最高のものになる。一生辿り着くことのない夕日を追いかけ続けよう。
だからこそわたしたちは出会い、共にいる。
甘美な夢に中指立てて、仮初めのシーツで抱き合いたい。