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文明を支える泥と砂~宇比地迩神と須比智迩神、神世七代の第三代(『古事記』通読㉕ver.1.02)

※連載記事ですが、単独でも支障なくお読み頂けます。初回はこちら

今回は神世七代の三代目の神々、冒頭から数えて八番目の宇比地迩神(ウヒヂニの神)と九番目の神となる須比智迩神(スヒチニの神)についてです。

※神世七代の一代目(国之常立神)から読まれる方は、こちら「通読⑲」からどうぞ。

■現代文明と泥と砂

宇比地迩神(ウヒヂニの神)と須比智迩神(スヒチニの神)は、それぞれ、泥土と砂土を表象する神です。

泥土と砂土は、当時の最先端技術であった可能性があり、だからこそ神として崇められたのだと言えるのですが、現代の大人である我々にとって、泥と砂と言えば、どうしても幼稚園時代に馴染んだ泥団子と砂場遊びのイメージが先に浮かんでしまうかと思います。

そこで、本題に入る前に少し脱線して、何冊かの本を参考に、現代における泥と砂の役割を見てみることで、馴染んだイメージをニュートラルにしていきたいと思います。

通読⑳」の冒頭でクラウドコンピューティングの時代に豊雲野神(トヨクモノの神=神世七代の第二代)を連想してみたのと同様のウォーミングアップです。


まず「泥土」について。その名もズバリ「Dirt(ダート)」という書名の本があります(日本語訳は『土の文明史 -ローマ帝国、マヤ文明を滅ぼし、米国、中国を衰退させる土の話-』デイビッド・モントゴメリー著・片岡夏実訳   築地書館)。この本は三部作であり、その三部作めについて毎日新聞で中村桂子氏が前二部を踏まえた形で書評を書いているくらい理系的にまともな本です。

ダートとは、水を含んでいて固まっていない状態の土、すなわち泥のことです。このダート(泥土)の変質が、メソポタミア文明やローマ帝国、マヤ文明などの滅亡の一因になったことをこの本は指摘します。

ダート=泥土=土壌は軽視されがちな天然資源であり、土壌の生成速度と侵食速度を定量的に見積もってその差と土壌の厚さから農業が維持できる時間を計算すると、文明が維持された年数とピタリと符合することから、土壌侵食がそれらの文明の崩壊の主要因であることが明らかにされます。

そして化学肥料や農薬に依存した現代の農法は土壌の劣化を促し、しかし新たな耕作地があるうちは人類はその意味に気付かず、途上国の森林など新規耕作地が消滅した際に古代文明と全く同様の理由で現代文明は終焉するだろうとの予測を載せています。

泥土の状態が全ての文明の寿命を決めるという話は、現代の黙示録のように思えますが、この話にはもう一つの示唆的な点があります。それは、土は単に物質として存在しているのではないということです。

比翼な泥土が痩せていき文明を終わらせるのは、土中の微生物が生きられなくなっていくからです。泥土は生命系なのです。

モントゴメリー氏の次作『土と内蔵 -微生物がつくる世界-』(原題:The Hidden Half of Nature: The Microbial Roots of Life and Health 自然の隠された半分:生命と健康の根源となる微生物)では、そのことをテーマに、土壌微生物と植物の根との関係が、我々人間や動物の腸内細菌と腸との関係とトポロジーを反転させてれば同じである(木の根は外の微生物と、内蔵は内の微生物と共生している)ことを明らかにし、同時に、土壌を損なうことは、我々の生命と健康を損なうことであることを理解させてくれます。

泥土は、我々の運命そのものでもあるのです。

もう一冊。『日本の土 -地質学が明かす黒土と縄文文化-』(山野井徹 2015年・築地書店)という本があります。これは、日本中どこでも見られる黒い土(クロボク土)について書かれたものです。

クロボク土は、微粒炭が多く含まれているために黒色なのですが、これまで言われてきたように火山灰土なのではなく、縄文人が1万年かけて作り上げてきた人為土壌であることが示されています。

縄文人は、後氷期の温暖湿潤な気候のもとで安定した生活を続けるために、森林を失う焼き畑農業は行わず、代わりに野焼きを繰り返してニッチ(生存圏)を確保しました。その結果、本来の土壌の上にクロボク土が堆積していったのだそうです。日本の代表的な泥土であるクロボク土は、縄文人が暮らした証であり、今も太古の昔も、人が生きることは土を変えてしまうことなのだと分かります。


次は砂土についてです。

砂については、名著と呼ばれているものが2冊あります。『砂 -文明と自然-』(マイケル・ウェランド著・林裕美子訳 築地書店)と『砂と人類 -いかにして砂が文明を変容させたか-』(ヴィンス・バイザー著・藤崎百合訳 草思社)です。

前者は、地質学者による作品で、砂の種類や性質、砂ができ運ばれる様や、砂によってわかること、砂と人との関わりや地球以外にある砂など、砂に関するありとあらゆる事柄が知的熱情に溢れた筆致で書かれています。

後者は、ジャーナリストによる作品で、前者を受け、砂と現代社会との密接な関係にテーマを絞って書かれています。ヴィンス氏の砂に関する本作品の読後感は、モントゴメリー氏の土に関する三部作同様、現代文明の持続可能性について深い気づきを与えてくれます。


泥土が生命そのものであるのと対照的に、砂土は文明を構成します。
近代的なオフィスであれば、床や壁や天井にはコンクリートが使われており、コンクリートは砂と砂利とセメントから出来ています。
窓はガラスであり、ガラスは砂であるケイ素を溶かして作ります。
窓から見える道路はアスファルト舗装がなされ、アスファルト舗装にはアスファルトと骨材と呼ばれる砂との混合物が使われます。

2020年のネイチャーの記事 "Global human-made mass exceeds all living biomass" によれば、世界の人為起源物質の総重量は、20世紀初頭には生物量の3パーセントにすぎなかったのが、2019年時点では地球上の生物の総量を上回る約1兆1,000億トンに達し、今から約20年後には生物量の3倍近くになるそうです。この爆発的に増大している人為起源物質のほとんどを占めるのが、砂から作られる人工物です。

重量だけではありません。デスクの上にあるパソコンやスマホの頭脳部分にはシリコンチップが使われていますが、そのシリコンは、砂の主成分であるシリカ(二酸化ケイ素)から取り出されます(シリコンはケイ素の英語名です)。

現代文明は砂を必要とする文明であり、砂が無ければ現代の生活は成り立たないのです。

そして、日本ではほとんど報道されないのであまり知られていませんが、世界では砂不足が問題になっていて、途上国では川床や海岸から不法に砂が採掘され、農地や森林破壊の元凶になっているそうです。砂がつきる時、現代文明の命運も尽きてしまうのですが、カウントダウンは始まっているのです。


泥土と砂土について、イメージが一新できたでしょうか。

神世七代の後五代からは、身を隠された神々ではないですし、これほど重要な泥土の神と砂土の神なので、もっと注目されてもいいのにと思うことしきりです。

それでは本題に入りますね。


■泥土の神と砂土の神

宇比地迩神(ウヒヂニの神)と須比智迩神(スヒチニの神)とを並べて書くと
宇比地迩神(ウヒヂニの神)
須比智迩神(スヒチニの神)

となります。

それぞれ、
宇比地+迩+神
須比智+迩+神

という構造の神名になっていることがわかります。

「迩(二)」は、力強いもの、優れた能力を持つものに関わる神格の概念で、神と同義語と言えるものです。このような語には、このほかにも、ヌシ(例:アメノミナカヌシ)や、ヒ(例:タカミムスヒ)、ミ(例:オオヤマヅミ)、チ(例:ククノチ)などいくつかあります。
これらのような複数の神的なるものを総称した概念である「神」という言葉が、『古事記』が書かれた頃に成立したのだそうです。そのため、それらを神名に持つ神々は、「神」の字を取っても神としての意味が損なわれません。

例えば、天之御中主神は、「アメノミナカの神たるアメノミナカヌシという神」という神名の構造になっていて、もともとは、天之御中主(アメノミナカヌシ)とだけ呼ばれていたことが類推されます。

このような神の同意語については、溝口睦子氏が網羅的に明らかにしています。一般には手に入りませんが、興味がある方は国会図書館等で閲覧できます→(溝口睦子「記紀神話解釈の一つのこころみ」岩波書店『文学』1973年)。


宇比地迩神(ウヒヂニの神)も須比智迩神(スヒチニの神)も、元は「神」の文字無しで「神」であることを表していたことがわかります。

ちなみに、土橋寛氏によれば、「迩(二)」は温和で平和的な霊力であり、「ヒ」と「チ」は強力で戦闘的な霊力です(土橋寛『日本語に探る古代信仰』中公新書 1990年 p.147)。


さて。
宇比地迩神(ウヒヂニの神)の宇(ウ)は泥(ウ)であり、比地(ヒヂ)は土の意であることは定説となっています↓。

宇比地(ウヒヂ)とは泥土のことであり、宇比地迩神(ウヒヂニの神)は、泥土の神たるウヒヂニという神です。


須比智迩神(スヒチニの神)の須(ス)は沙(ス=砂)であり、比智(ヒチ)は土の意であることも定説となっています。↓

須比智(スヒチ)とは砂土のことであり、須比智迩神(スヒチニの神)は、砂土の神たるスヒチニという神です。


「ヒヂ/ヒチ」は土のことですが、「比地(ヒヂ)/比智(ヒチ)」と、それぞれに異なる漢字をあてています。

これは、同じ漢字(地は濁音専用なので智の字)をあててしまうと、
宇比智迩神(ウヒヂニの神)
須比智迩神(スヒチニの神)
となってしまって、
宇+比智迩神
須+比智迩神
の対比に見えてしまうことを避けるためだという小松英雄氏の研究があります(小松英雄『国語史学基礎論』1973年・笠間書院 pp.314-325)。

この小松氏の指摘は大変重要です。泥土と砂土とが、『古事記』においては同じ土として認識されていないことを示しているからです。

宇比智迩神(ウヒヂニの神)と須比智迩神(スヒチニの神)の関係は、泥と砂という土の神のバリエーションではなく、泥土の神と砂土の神という異なった二神の対(組み)なのです。

宇比地迩神(ウヒヂニの神)と須比智迩神(スヒチニの神)は、泥と砂との対比ではないわけですから、以前に紹介致しました(↓)神世七代の3つの有力な説のうちの一つである神野志隆光氏らの「進化論説」の解釈は成立しないことがわかります。

「進化論説」での説明を支持するには、小松英雄氏の説を否定しなければならず、それは相当に困難であると思われます。
また、縄文人は地層から砂や粘土を採掘していたことが知られており、粘土と砂土は異なる土であるという認識も地層の異なりから来ている可能性があるのではないでしょうか。泥と砂に粒の違いのみを見てしまう思考は、現代的なものの見方の反映であると言えないでしょうか。


また、もう一つの有力な説である「依り代説」の説明は、<防塞神の依り代としての盛り土(土地〔農地・宅地〕の占定)(井出至氏説)>ということですから、土が違うという『古事記』の認識からは、なぜ二種類の盛り土が必要とされたのかを説明する必要があり、その根拠が示されない限り、神名分析の観点から「依り代説」も主張/支持しがたい説であると言えます。



■あらたな意味を生む二神

『古事記』冒頭の神々は、一番最初の天之御中主神(アメノミナカヌシの神)から神世七代の二代目である豊雲野神(トヨクモノの神)までが独神(ひとりがみ)です。↓

また、独神(ひとりがみ)は、「組と見てはいけない」(他の神と比較して意味を考えてはいけない、系譜上にあることで意味が現れるような性格を持たない)神々です。↓

このような独神(ひとりがみ)は、神世七代の二代目で終わり、以降、神世七代の七代目まで対で一代となる神々が連続します。


避けなければならないのは、独神(ひとりがみ)の裏返しの性格を、「神世七代の後五代の対で一代となる神々」に見てしまうことです。

「神世七代の後五代の対で一代となる神々」は、双神や対偶神や一対神などと呼ばれることがありますが、『古事記』原文にはそのようなカテゴライズはありません

無いカテゴリーをカテゴライズして、双神や対偶神や一対神などとそれらしい名付けをしてしまうと、その名称が機能し始め、カテゴリーが意味を持ってしまって(これをフェティシズムと言います)、「神世七代の後五代の対で一代となる神々」が独神(ひとりがみ)の対義的存在に見えてきてしまいます。

素直に『古事記』原文を読めば(あるいは下の表から明らかなように)、独神(ひとりがみ)に対置されるのは、それ以降のすべての神々です。
逆から言えば、独神(ひとりがみ)以外の神々は、関係性の中で見るべき神々であり、それらの対義語的存在として独神(ひとりがみ)があります。本文に無い不用意なカテゴリーの名付けは『古事記』のメッセージを誤って受け取ってしまうことに直結してしまうので要注意です。

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「神世七代の後五代の対で一代となる神々」は、独神(ひとりがみ)の反意語的な存在の、つまり、男女の区別があることが本質である神々ではないとすれば、その独自性は、一代が二柱で構成されていることに見いだすしかありません。

宇比地迩神(ウヒヂニの神)と須比智迩神(スヒチニの神)が、泥と砂の比智迩神(ヒチニの神=土の神)の関係にないことは、高御産巣日神と神産巣日神がともに産巣日神(ムスヒの神)でありながら独神(ひとりがみ)であることや、天之常立神と国之常立神がともに常立神(トコタチの神)でありながら独神(ひとりがみ)であることとは、大きく異なっています。

宇比地迩神(ウヒヂニの神)と須比智迩神(スヒチニの神)の関係は、前回(通読㉔)に紹介した顔面把手付深鉢土器の意匠が示す二体の関係と同じです。

「神世七代の後五代の対で一代となる神々」も独神(ひとりがみ)と同様に、日本のヴァナキュラー(土着的・本来的)なジェンダーとして考えることが可能です。

「神世七代の後五代の対で一代となる神々」は、同じようなものから出て、はっきり異なる二者が結合し、それがまだ生まれぬ形のないなにものか(うつろ)を擁することで、新たな何かが形をとって現出する関係にあります。

少し整理して言えば、「神世七代の後五代の対で一代となる神々」は、似ていながら全くことなる二神が、その関係性において新たな意味を生む関係にある神々です。

だからこそ、神名理解だけでは「神世七代の後五代の対で一代となる神々」の意味を知るには不十分であり、二神の関係からのみ生まれる新たな意味を示すことまでが、一代の神々の意味となります。



■対が意味するもの

二神の関係からのみ新たな意味が生まれるということは、その二神が、生まれる新たな意味にとって他に替えがたい(その二神以外ではありえない)存在でなければならないことを示します。

神世七代に関する最後の有力な説である「婚姻準備説」を例に考えてみたいと思います。

「婚姻準備説」による宇比地迩神と須比智迩神『古事記』通読⑱より)
<泥や砂の神格化>(倉野憲司氏説)
<ヒヂ/ヒチは土・泥の意で土地神>(中村啓信氏説)

「婚姻準備説」は、神世七代の五代目までを婚姻のための神殿建築の流れと捉えます。

神世七代は、①国土→②大地→③土地→④宅地→⑤家屋→⑥出会い→⑦性交に至る男女の象徴 であるとし、その第三代である宇比地迩神(ウヒヂニの神)と須比智迩神(スヒチニの神)は、神殿建築のための土地(③)であるとされます。

よって、神殿建築のための土地は、泥土(粘土)と砂土の組み合わせでなければならないことが言えればよいわけです。

まず、宇比地迩神(ウヒヂニの神)ですが、古代中国には、封印するときに用いられた粘土を示す封泥という言葉があるように、泥土と粘土は同義です。宇比地迩神(ウヒヂニの神)は、粘土の神であると言うこともできます。

『古事記』が完成した712年の百年以上前の607年に建立された法隆寺は、その土台に粘土と砂土が交互に使われていることが知られています。

法隆寺の地盤工事の手法は、地山と呼ばれる岩盤に突き当たるまで土を掘り、その土をどかせ、代わりに版築と呼ばれる建築用の土台を作るというものです。
版築は、数cm厚の粘土を突き固め、その上に砂土に石灰とニガリ(塩化マグネシウム水溶液)を撒いた層をかぶせることを繰り返して何層にもする工法を言います。
石灰とニガリを加えた砂土層は、ポゾラン反応と呼ばれる化学変化や消石灰の硬化反応が起きて、粘土層を強固な岩盤に変化させます。いわば古代のコンクリート工法です。

まさに、似ていながら全くことなる二神(砂土と粘土)が、その関係性において新たな意味(強固な地盤=一代の意味)を生む関係にあると言えます。

参考:「版築供試体のインターロッキング効果に及ぼす供試体寸法の影響」
             (『ものつくり大学紀要 第5号』2014年 p.49~56)
           「古代の木造架構史」(増田一眞『日本の木造架構史』2017年)

今でこそ神話は古代ロマンのような響きがありますが、『古事記』編纂前は神は畏怖の対象であり、畏怖は当然にして最先端テクノロジーにも向けられるはずです。宇比地迩神(ウヒヂニの神)と須比智迩神(スヒチニの神)は古代コンクリート工法を示していた可能性は十分あると思います。

「婚姻準備説」による泥土(粘土)と砂土の関係は、「神世七代の後五代の対で一代となる神々」の条件を満たしています。


ただし、私は、「婚姻準備説」の泥土(粘土)と砂土との関係は、一つの要素かもしれないけれども、要素は一つにとどまらないと思っています。

産巣日神(ムスヒの神)は、太陽神ですが、ただの太陽神ではなく、「同時に天帝でもあり、またときには日月とも言い換えられる」神でした(溝口睦子『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る』2009年 岩波新書 p.84)。

『古事記』には、具体と抽象を往復するのではなく、複数の具体を同時に扱うことで、一般原理(一つに収斂される抽象)を用いずに抽象概念を扱うという、現代日本では失われてしまった思考が流れており、それを踏まえることで、独神(ひとりがみ)も理解できることは「通読⑥」に書いたとおりです。↓

まったく同じ思考で、宇比地迩神(ウヒヂニの神)と須比智迩神(スヒチニの神)を見れば、この二神は地盤を生む二神に過ぎないとするのは、『古事記』的ではないと言えないでしょうか。

実際、「神世七代の後五代の対で一代となる神々」の条件を満たす泥土(粘土)と砂土との関係は建築の土台に限りません。

また、「婚姻準備説」が想定するように、神世七代が神々が国土や大地や家屋を予祝する神なのだとすると、国土や大地や土地や宅地や家屋は、性交のお膳立てに過ぎない存在であるということになり、『古事記』冒頭の物語が矮小化されすぎてしまうきらいがあることは「『古事記』通読⑱」に書いたとおりです。


■多重の意味

「神世七代の後五代の対で一代となる神々」の条件を満たす泥土(粘土)と砂土との関係は、あと二つあると思っています(共に神辺の自説)。

一つめは、土器や土偶、埴輪や竈(かまど)などの工作用土の可能性です。

縄文土器や土偶、弥生式土器や埴輪や竈は、粘土から作られますが、その粘土には意図的に砂土が混ぜられています。最適な配合により器や人型や竈のための土が作られるのです。

参考:「土器作りの場を考える -縄文集落からみた土器作り- 」(櫛原功一 『JSPS 科学研究費補助金研究成果公開シンポジウム 』資料 2019年) 「古代の村のくらし −大井鹿島遺跡−」(『品川歴史館解説シート』2016年)
「粘土を採掘した遺跡 芦ノ口遺跡の調査成果から」(『東北大学埋蔵文化財調査室だよりvol.4』2020年)

縄文土器の意匠から導き出される「神世七代の後五代の対で一代となる神々」の関係が、縄文土器を作る土の関係に表れているということは、十分ありうるのではないでしょうか。


二つめは、耕作地の土地である可能性です。

工作用土は、泥土(粘土)と砂土とを混ぜて最適な土にします。同じことは農業用地でも行われます。

 泥となる土は水はけの悪い土です。逆に砂土は水はけが良すぎる土です。水はけの良すぎる土は肥料となる成分も流れやすいため、一般の畑作には、泥土と砂土の中間の性質を持った土が、最も適しています。そのため、砂質の強い土地では粘土質の土を投入し、粘土質の強い土地には砂を投入するといったことが行われます。

水田の土は水がたまるように粘土質であり、畑作用土は水はけの良い土が適した作物には砂土が多め、そうでなければ砂土が少なめの土が必要です。

 縄文時代の晩期には、既に区画整理された水田耕作や、畑作が行われていました。また、弥生時代には鍬などの鉄製の農具が使われ出していますから、『古事記』が編纂された時代には、こうした簡単な土壌改良は既に一般的に行われていた可能性があります。またそうでなかったとしても、泥土と砂土の混淆した土が農耕には適しているという知見は、その時代の農業従事者の間でも一般的だったと思われます。

参考:「【歴史のささやき】最終日、執念が掘り当てた最古の水田」(産経ニュース 2014年)
『九州横断自動車道関係埋蔵文化財調査報告-43-朝倉郡杷木町所在クリナラ遺跡・若宮遺跡』(1997年 福岡県教育委員会)

 田や畑は継続して耕作されるので、それ以外の土地の土とは異質の土となっていきます。宇比地迩神(ウヒヂニの神)・須比智迩神(スヒチニの神)は、こうした一般の土地の土とは異なる農作物の生産のための土を表象する神々なのではないでしょうか。

土は、掘り返せば虫やら腐りかけた木の根やらもたくさん出てきます。冒頭にも書きましたように、耕作用地は単なる物質ではなく生命系です。だとすれば、神世七代の第三代の誕生は、生命誕生の予祝でもあったのかもしれません。

実はこのことに気づいたのは偶然でした。
数年前、父が東京での仕事をリタイアし、実家に戻って放置されていた土地で趣味で畑作を始めることになりました。

父は農家出身で、社会人になって東京に出てくる前は実家の農業に従事していましたから、畑作や稲作はプロです。田んぼは知人に貸していたのです。畑作地はほったらかしで、単なる空き地になっていました。数十年ぶりでその土地に鍬を入れることになったのです。

ある年に、ちょうど雑草をあらかた抜き終わった時期に、帰省して畑の父を訪ねて行ったことがありました。
父は、鍬を入れながら土質を見ていました。そして水を撒いてこう言ったのです。
「この泥はダメだ。水を通さない。砂を入れて土を作らないと。今度、川に砂取りに行くぞ。」

現代の法律では勝手に砂を取ることは禁止されていることを父に教えなくてはと思いつつ、私は雷に撃たれたような衝撃を味わっていました。

畑作りは土壌改良からということを知識としては知っていましたが、農家の実感の言葉として、泥と砂が土壌改良を示す言葉であることは、このときに初めて知ったからです。

飛鳥以前の時代の畑の土壌の考古学的な調査は調べきれていませんが、土がひとくくりの土ではなく、泥土と沙土に意識されるのは、土が農耕のための開発の対象となったときです。

父のひとことが、今も生きた『古事記』の言葉として耳に残っています。


宇比地迩神(ウヒヂニの神)と須比智迩神(スヒチニの神)は、それぞれただの泥土の神と砂土の神なのではなく、対となって組み合わさることで、建築物の地盤となり、また、工作用土となり、さらにまた耕作用地となり、そのどれかであり、場合によってそのどれでもあり、また場合によってそのどれでもない神々なのではないでしょうか。

それは、二項対立を超える二者の関係であり、それが、男女に表象されているところに、現代の我々が学ぶべきところがあるように思います。

(つづく)

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※タイトル写真は、Norikio Yamamoto on Unsplash
ver.1.01 minor updated at 7/24/2021(一部の見出しを変更)
ver.1.02minor updated at 2021/7/31(項番を㉔→㉕に採番し直し、誤植を訂正)

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