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高天原を拡張する豊雲野神(トヨクモノの神)(『古事記』通読㉑ver.1.13)

※連載記事ですが、単独でも支障なくお読み頂けます。初回はこちら

インターネット上のクラウドが、生活になくてはならない存在になってきた今日この頃ですが、『古事記』でもクラウド(雲)は基盤を意味しているように思います。
今回は、そんな昨今大はやりのクラウド(雲)の神様である豊雲野神(トヨクモノの神)の話です。


■雲の神か野の神か

豊雲野神(トヨクモノの神)は、独神ひとりがみの最後となる神です。

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それでいて、天地初発の神々の中でも特に注目度が低く、例えば、岩波文庫版の『古事記』では、天地初発の神々の中でこの豊雲野神(トヨクモノの神)だけが註釈がありません。

しかし、注釈が必要ないくらい分かりやすい神なのかと言えばそうではなく、この神の解釈をめぐっては、「豊雲・野神」(豊かな雲のような野の神)なのか「豊・雲野神」(豊かな雲野(くもの)つまり、野のように広がっている雲の神)なのか、長らく学者の間で見解が割れていました。

簡単に手に入れやすい文庫の解説をみてみると、講談社学術文庫の『古事記』(全訳注:次田真幸・1977年)では、「原野の生成される様を神格化したもの」、角川ソフィア文庫の『古事記』(訳注:中村啓信・2009年)では、「豊は美称。雲は虚空の象徴、野は台状の大地形成の象徴を神格化」とあり、どちらも野の神説を取っています。

一方で、西郷信綱の『古事記注釈』(ちくま学芸文庫・2005年)では、「ずっと雲のごときものがとろとろと浮動しているさまを暗示」とあり、こちらは雲の神説を取っています。

以前にご紹介した、神世七代をめぐる3説では、婚姻準備説と依り代説が野の神説、進化論説が雲の神説の立場を取っています(↓)。

現在では、小松氏の研究(『国語史学基礎論』小松英雄・1994年新装版)による古代音韻学的な根拠から、「豊雲・野神」の区切りは不適切であり、「豊・雲野神」の解釈が定説となっているようです。

しかし、「雲野」という言葉は『古事記』以外では見かけません。
使われない言葉が神名になっているのはなぜか
野のような雲の神が、神世七代の二代目であることの意味は何か
今回は、それらの謎に迫ってみたいと思います。


■文頭から読む

これまでの諸研究を見ると、豊雲野神(トヨクモノの神)がどのような神であるかについては、「雲野」という言葉が他に用例がないために、他の文献を参考に読み解くという手法を取っています。
これは、古代文学研究の訓詁学的手法ですが、この手法では、単に雲の神や野の神であることを示すにとどまります。

一方で、雲の神や野の神がどのような働きを担っているかの解釈まで踏み込んだ研究では、文脈から類推するという手法が取られていますが、どれも、神世七代全体の解釈を先行させて、その結果の類推を豊雲野神(トヨクモノの神)の解釈に当てはめて解釈しているようです。

しかしながら、二代目の神の解釈に、七代目までの神の解釈を先行させることは、返り読みを必須とすることであり、声に出して読まれることを前提とした『古事記』では不自然な解釈であると言わざるを得ません。文脈的に読むならば、素直に文頭から読んで解釈できることが必要です。

そこで、私としては、これまでの諸研究では試みられていない「野」に注目するという手法で、豊雲野神(トヨクモノの神)について考えていきたいと思います。


豊雲野神(トヨクモノの神)は、「豊・雲野神」(豊かな雲野くものつまり、野のように広がっている雲の神)であるわけですが、「雲野くもの」(=野のように広がっている雲)に着目すれば、同義語としての「雲海」が思いつくかと思います。

「野」は雲が広がっている様子の比喩なわけですから、「雲海」としても神の性質に変わりがないように思います。

では、なぜ、「豊・雲海神」(豊かな雲海つまり、海のように広がっている雲の神)ではなく「野」でなければならなかったのでしょうか。ここに、豊雲野神(トヨクモノの神)の本質がひそんでいるように思います。


■『古事記』の「野」

奈良県万葉文化振興財団万葉古代学研究所の副所長であった松尾光氏の研究によれば、『古事記』や『万葉集』の「野」と「原」の用法は、『日本書紀』や『懐風藻』の「野」と「原」の用法とは異なると言います(「古代における原と山野」松尾光『万葉古代学研究所年報 第1号』2003.3 万葉古代学研究所)。

前者が、日本的な意味での「ノ」と「ハラ」であるのに対し、後者は、中国で用いられている「野」と「原」の概念がそのまま適用・引用されてしまっているからです。

そして、この研究では、日本古代の「野」は、「原」と対となる概念であることが示されています。

原は野のなかの特定の地点を区別する指標」であり、「野のなかで、ほかの地域と区別できる何か明瞭なものを示せる部分が原」なのです。

このことから、豊雲野神(トヨクモノの神)は、「原」と対になった神であることが予測されます。

『古事記』で「野」が最初に登場するのは、豊雲野神(トヨクモノの神)ですが、それに先行して「高天原」への言及があります。

『古事記』は、先に「原」があり、次いで「野」が登場するという物語になっています。

松尾氏の原と野の定義は、野ありきで原を定義するものでしたので、これを『古事記』の物語の展開の順序にそって原ありきで野を定義すると、

特定の地点を区別する指標が原であり、それを包含するのが野
ほかの地域と区別できる何か明瞭なものを示せる部分が原であり、それを包含するのが野

と書き換えることができます。

「高天原」の「特定の地点を区別する指標」=「ほかの地域と区別できる何か明瞭なものを示せる部分」は、天の中でも高い(高貴な・至上の)位置にあることを示す「高天」です。

そして「ほかの地域」とは「天」全体です。「天」が「野」の位置づけにあったのです。

そこに、「野」を神名の核に持つ豊雲野神(トヨクモノの神)が誕生したことは、「高天原」が再定義されたことを意味します。

別天つ神の働きのある「高天原」に、ひとつ下の階層が加わったのです。

「野」は水平的な広がりをイメージしがちですが、古代日本語の「ノ」は傾斜角度に寄らない言葉です。それは、現代でも、山の裾野といった言葉に残っています。裾野は野であって山でもあります。傾斜角度がゼロである裾野はありえません。起伏のない真っ平の平面が続くというのは、古代日本語の「野」のイメージではありません。豊雲野神(トヨクモノの神)がもたらしたのは、水平方向にも垂直方向にも広がりをもった広大なスペースなのです。

以上を文脈的に理解すれば、天之常立神(アメノトコタチの神)によって閉じられた別天つ神の世界(高天原)は、国之常立神(クニノトコタチの神)の誕生によって、神世七代の世界が開かれて別天つ神の世界の写しとしての「国」ができることになり、豊雲野神(トヨクモノの神)の誕生でその「国」が収まる場所として高天原を包含する場が創られた、となるかと思います。

また、「野」は手つかずの土地という意味も持ちます(前掲、松尾2003)。豊雲野神(トヨクモノの神)の誕生によって、「国」ができる手つかずの場が高天原を拡張するようにもたらされ、神世七代の三代以降の神々によって、「国」が創られていきます。

手つかずの場から創られゆく「国」への推移は、無為自然から神の意志の加わりへの移行です。存在がそのまま神威の発現でもあった神々から、「国」という明確な目的のために意志を働かせる神々への移行は、神々の質における転換というべきものがあります。

その転換=区切りがあるからこそ、豊雲野神(トヨクモノの神)は、独神ひとりがみの最後となる神として、区切りの神でもあるのです。


■「雲」のイメージ

常立神(トコタチの神)に続いて誕生した豊雲野神(トヨクモノの神)です。私はそこに、イメージの連なりを感じます。

常立神(とこたちの神)の「立」には、とめどなく湧き出てくるという意味があり、『古事記』ではそれはスサノヲの歌に現れていることを書きました(↓)。

そしてその歌で歌われているのは、幾重にも重なった雲のイメージです。

八雲やくも立つ 出雲 八重垣やえがき 妻籠つまごみに 八重垣作る その八重垣を
(雲が盛んに立ち上る出雲の土地に、まるで幾重もの雲のように幾重もの新居の垣を築いている。妻をもらせに、幾重もの垣を造っているのだ。この沸き立つ雲のように造られていく幾重もの垣を(見ている)。)

ここでの雲は幾重に重なる上下の広がりです。幾重にも重なる雲を認知するためには、雲と雲との間に何も無い空間を見なければなりません。

先ほど、豊雲野神(トヨクモノの神)に常立神(トコタチの神)からのイメージの連なりを感じると書きましたが、口述筆記である『古事記』は、聞き手が、「次に」「次に」と語られる神のありようを引き継いでイメージしていくことが期待されるように書かれています。

さらにひるがえって産巣日神(ムスヒの神)における日の神の拡張の構造を豊雲野神(トヨクモノの神)に見れば、雲という存在に雲の無い空間を見ることも可能になります。

産巣日神(ムスヒの神)は日の神でしたが、単なる日の神ではなく、時に月をも表す神でした(↓)。

「月」は「日」の無いときにあらわれる存在です。豊雲野神(トヨクモノの神)も単なる雲の神ではなく、雨雲や雪雲や雷雲など様々な様態を取る雲をそれぞれ表象するものであり、雲の無い状態をも表象する神なのではないでしょうか。

また、雲は天と地との間に浮かぶ存在です。
天と地との境には、万物を含む存在として大気があり、その大気は循環する水や、風や雷のエネルギーを含み、絶えず動き様々な様態を取ります。
それら全てを包含し、かつ時に部分のみを象徴する、天と地を結ぶ空間の神として、豊雲野神(トヨクモノの神)はあるのだと思われます。



■(補足)逆さから見る

神世七代は、視座が地上にある物語です(↓)。

視座が地上にあるとき、雲は見下ろす存在ではなく見上げる存在です。
だとすれば、頂上から見下ろした時の景色である「雲海」は、神世七代にふさわしくありません。

神世七代の雲の神は、天を見上げて野を見る神でなくてはならないのです。

雲を野として見る見方は、特殊に思えるかもしれませんが、今日にも伝承にその名残りがあるように思います。

空に浮かぶ雲の野を、足下に広がる野として認知した名残りこそ、天橋立の股のぞき伝承なのではないか。私にはそんな気がしてなりません。

次回は、男女ペアとなる神世七代の三代目以降に入るウォーミングアップとして、縄文と『古事記』について解説します

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※タイトル写真は筆者撮影
ver.1.1 minor updated at 3/27/2021(日本語としておかしいところを修正)
ver.1.11 minor updated at 7/18/2021(導入の話を追加)
ver.1.12 minor updated at 2021/7/31(項番を⑳→㉑に採番し直し)
ver.1.13 minor updated at 2021/12/29(ルビ機能を適用し、併せて一部の表現を手直ししました)

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