私家版現代語訳「神世七代」(『古事記』通読㊲)ver.1.0
「私家版現代語訳「別天つ神」(『古事記』通読⑱)」の続きです。なぜこのような現代語訳になるかは、「通読⑲」から解説しています。
■『古事記』シーズン2「神代七代の物語」
原文:⑨次成神名、国之常立神。
次に誕生した神の名を、国之常立神(ク二ノトコタチの神)といった。
この神は、天之常立神(アメノトコタチの神)と寸分違わぬ神であった。
別天つ神の世界の常立神(トコタチの神)を、まるで鏡に写したかのような神であり、高天原に別天つ神の世界の写しとしての国が誕生することを予祝する神であったために、その名を国之常立神(ク二ノトコタチの神)と言った。
国之常立神(ク二ノトコタチの神)の誕生により、高天原に現れる国にも、瞬間の時と、順番に流れつながっていく時と、不変であり、かつ、時の順序から自由な常しえの時という3つの時が揃うことになった。
それゆえ、この予祝は、予祝された時に成就していた。
原文:⑩次豊雲野神。
次に、豊雲野神(トヨクモノの神)が誕生した。
高天原に、豊かに湧き出る雲を擁する野たる空間ができた。
高天原は、この天と地との狭間の場所を得て、そこに別天つ神の世界の写しとしての国を成す神々が誕生することになった。
原文:⑪此二柱神亦、独神成坐而、隠身也。
国之常立神(クニノトコタチの神)も、豊雲野神(トヨクモノの神)もまた、独神として誕生し、高天原に坐まられた。
しかるに、この二柱の神々もまた、後に天から地に降り立つ神々や、地の神々や人々には、その姿を捉えることができなかった。
原文:⑫次成神名、宇比地迩神、次妹須比智迩神。
次に誕生した神の名を、宇比地迩神(ウヒヂニの神)と言った。泥土の神である。
その次は、須比智迩神(スヒチニの神)であった。砂土の神である。
泥土と砂土は、交互に用いることで頑強な地盤となり、建築物の土台となる。また、混ぜることで、焼き物の土となり、田や畑の土となる。
これらの二神は、対となって組み合わさることが、個々を超えて新たな意味を創る可能性を秘めていることを示している。
原文:⑬次角杙神、次妹活杙神。
次に、角杙神(ツノグヒの神)が誕生した。角にあることで、土地を区切り、神域を示す杙神である。
その次に、活杙神(イクグヒの神)が誕生した。道具として鳥獣を狩り、漁労の用に供する杙を予祝する杙神である。
これらの二神は、対であることで、狩猟と漁労と農耕の空間は、聖なる空間であることを示している。
原文:⑭次意富斗能地神、次妹大斗乃弁神。
次に、意富斗能地神(オホトノヂの神)が誕生した。父あるいは大人の男を意味する大いなる場所の神である。
その次に、大斗乃弁神(オホトノベの神)が誕生した。母あるいは大人の女を意味する大いなる場所の神である。
狩猟と漁労と農耕の対象は、大いなる場所を有している。これらの神々は、その誕生の予祝である。
これらの二神は、対であることで、意味を持つひとつによって世界は生かされていることを示している。
原文:⑮次於母陀流神、次妹阿夜訶志古泥神。
次に、於母陀流神(オモダルの神)が誕生した。この神の誕生により、高天原の国に、意識に上らない領域が加わり、すべてがそろい完成した。
その次に、阿夜訶志古泥神(アヤカシコネの神)が誕生した。この神は、誠に畏れ多いという言祝ぎの神である。
これらの二神は、全きものとは意識に上らない領域をも含むものであり、そうであることが、言祝ぎの神の誕生に必要なことを示している。
原文:⑯次伊耶那岐神、次妹伊耶那美神。
次に、伊耶那岐神(イザナキの神)が誕生し、その次に伊耶那美神(イザナミの神)が誕生した。
高天原に別天つ神の世界を写した国が完成したことを示す神が誕生し、それを言祝ぐ神が誕生した次の代の神々は、男女の人の姿を持った神々であった。高天原の国は、人の姿となったのだ。
原文:⑰上件自国之常立神以下、伊耶那美神以前、并称神世七代。
ここまでの国之常立神(ク二ノトコタチの神)から伊耶那美神(イザナミの神)までを神世七代という。
ようやく、『古事記』冒頭の圧縮して書かれた部分の解凍が終わりました。
当初考えていたのよりはるかに長く、全部書き上げるのに、約2年半もかかってしまいました。
アタマの中に降りてきたアイディアを、なんとか文字で形にしようと『説文解字』にあたったり、国会図書館に通って片っ端から先行論文を読み漁ったりしはじめたころから数えると7年くらい経ったでしょうか。
スキやアクセス数の伸びをはげみに、なんとか冒頭部分をコンプリートできました。
ご愛読ありがとうございました。
私独自の解釈も多く(国文学畑ではなく、方法論が違うので、どうしてもそうなってしまいます)、異論反論多々あるかと思います。ぜひ、諸説あたっていただいて、納得のいく解釈を探り当ててみてください。
原文⑱からは、普通の文体に変わります。これが、国生みのエピソードから始まるシーズン3以降の、誰もが知っている『古事記』の物語です。
国生みのエピソードの一部は「通読㉞」と「通読㉟」と「通読㊱」で、スサノヲのエピソードの一端はこちらで少し書いていますが、他にも、イザナキの禊ぎや、アマテラスとスサノヲの誓ひなど、冒頭を踏まえることによって解釈が変わってきそうなエピソードがたくさんあります。
機会を見つけてまた紹介して参ります。
また、勢いに任せて書いてしまい、文章が荒いものも、まだ残っておりますので、メンテは粛々と続けて参ります。メンテしたものは、こちらでご案内していきますので、たまにのぞいていただけたら幸甚です。
『古事記』の解釈が、より開かれたものになりますように。
神辺菊之助拝
世界が、出会いの発見で満ちていきますように。
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