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天之常立神(アメノトコタチの神)と聖なる時間<上>(『古事記』通読⑮ver.2.51)

※連載記事ですが、単独でも支障なくお読み頂けます。連載初回はこちら
※常立神(トコタチの神)についての2回目です。1回目はこちら

天之常立神(天のトコタチの神)と国之常立神(国のトコタチの神)の常立神(トコタチの神)の二神の関係は、高御産巣日神(タカミ・ムスヒの神)と神産巣日神(カミ・ムスヒの神)の産巣日神(ムスヒの神)の二神の関係とは同じではないことを、前回書きました(通読⑭↓)。

今回は、常立神(トコタチの神)がどのような神であるかについて見た後、最初に誕生した天之常立神(天のトコタチの神)の意義について考えていきたいと思います。


■常立神(トコタチの神)とは

常立神(トコタチの神)の神名は、「とこ」が「立」つ様をあらわしています。

とこ」は、永遠を表す言葉で、大久間喜一郎博士の研究などによれば、2つの性格を有しています。

ひとつは、不変性です。『万葉集』には、常花、常葉、常処女(とこおとめ)などのことばがあり、いずれも、元来、放っておけば変化するもの(花、葉、処女=若い女性の意で現代語の処女とは意味が違う)ですが、それが変わらずいつまでもそのままである意味を作ります。

もうひとつは、超時聞性です。『万葉集』には、常闇、常夏などのことばがあります。常闇とは無限の闇の中、常夏とは夏のあいだ中という意味です。いずれも、いま目の前にある元来、変化しないもの(闇、夏=夏は放っておけば秋になるという時間観は古代にはなく、文字通り夏が去り秋が来ると考えられていました)が、時空を拡張して広がっている意味を作ります。

この2つは、AかBかの関係にあるわけではなく、双方の性質を兼ね備える場合もあります。例えば、常世の国(トコヨの国=不老不死の国、永遠の時間を持つ国)がそれにあたります。浦島太郎の竜宮城のイメージですね。
『古事記』だと常世思金神(トコヨのオモイカネの神)という神様が、天の岩戸開きの時に活躍します。

常立神(トコタチの神)の「常」も両方の意味を持つと考えられます。永遠に、変わらず、時空を超えてあまねくいっぱいに、といった感じです。


次に、「たち」ですが、これも二つの意味を持っています。

神名に「立」が入る例としては、衝立船戸神(ツキタツフナトの神)があります。この神は、イザナキが禊ぎをする際に、衣服を脱ぎ捨て、次に杖を放り投げたときに誕生した神です。放った杖が字面に突き刺さった様子が「衝き立つ」と表現されているのだと言われています。

この場合の「立」は、しっかりと立つという意味ですね。そして、衝立船戸神(ツキタツフナトの神)は、境界に立つ道祖神だと言われていますから、境界に立つ神として、常立神(トコタチの神)との共通性が伺えます。

また、衝立船戸神(ツキタツフナトの神)の「船戸」は「船門」つまり港のことで、外界と行き来する接点となる場所です。
新型コロナ禍の初期に、感染者を乗せたクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号が、港に長期の停泊を余儀なくされたことは記憶に新しいですが、港は、外に出て行く場所であると同時に、外来の異なるものの侵入を防ぐ砦ともなる場所です。

天地初発の神々は、巨大な神と考えられていたという説があり(武光誠博士の著作大林太良博士の著作など)、果たしてその巨大な神が人型であると考えられていたかどうかは分かりませんが、人型の姿を取ることもあったと信じられていたとすれば、境界にしっかりと仁王立ちして結界を守る常立神(トコタチの神)のイメージが、人々に浮かんでいたのかもしれません(「虹が立つ」や「街路樹が立つ」のように必ずしも人型でなくてもしっかりと立っているイメージにはなります)。

そしてもうひとつ、とめどなく湧き出てくるという意味が「立」にはあります。

『古事記』で「立つ」とくれば、真っ先に思い浮かぶ歌があります。須佐之男命(スサノヲ)が、ヤマタノオロチのいけにえに決まっていた櫛名田比売(クシナダヒメ)をもらい受ける約束をし、オロチを退治したあとに出雲の地に宮殿を造る際に雲が立ち上ったので詠んだ歌です。

八雲やくも立つ 出雲 八重垣やえがき 妻籠つまごみに 八重垣作る その八重垣を(雲が盛んに立ち上る出雲の土地に、まるで幾重もの雲のように幾重もの新居の垣を築いている。妻をもらせに、幾重もの垣を造っているのだ。この沸き立つ雲のように造られていく幾重もの垣を(見ている)。)←ちなみに、出雲の八重垣神社はとても素敵なところです。

「常世」など、永遠の時空間を示すことばには、どことなく静的なイメージがつきまとうのですが、「常立」は、「立」があるために、とても活き活きとしたイメージが喚起されます。永遠とは、<あの世>のようなどこか静謐な時の止まったような空間にあるのではなく、いまも活き活きと時間が創造されている様子を言うのだということを常立神(トコタチの神)は教えてくれます

天之常立神(アメノトコタチの神)は、高天原が、我々が抱きがちな静謐な<あの世>のイメージとは正反対の、活き活きとした活力溢れる永遠の時空間であることをもたらした神であると言えます。

高天原には、世界の中心が現れ(アメノミナカヌシの神)、全てを生み出す2柱の創造神(ムスヒの神)が次に次にと誕生し、天以外に生命を与える象徴的な神である宇摩志阿斯可備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂの神)が産まれ(通読⑩)、最後に、天之常立神(アメノトコタチの神)が誕生して、そこは永遠にそしていまも活き活きと時間が生成される場になったのです。

これが、別天神ことあまつかみの五神の創った世界です。


■神話の時間と聖なる時間

祭りや儀礼などの「聖なる時間」は「神話の時間」を参照しているというのは神話学の定説です(詳しくはエリアーデ『永遠回帰の神話』、『聖なる空間と時間』など)。

例えば、病を治すための呪術が儀礼として行われるのは、日常の時間(俗的な時間)を停止し、「聖なる時間」に変えるためだとされます。どんな力があっても時間を操れなければ起こってしまったことは覆せないからです。

「聖なる時間」は、「かのはじめの時」(『聖なる空間と時間』p.98)、つまり「神話の時間」にアクセスするがゆえに「聖なる時間」と呼ばれます

「神話の時間」とは、世界の始まりの時であり、永遠に向かって開かれた超時間でもあります。儀礼は神話の時間にアクセスすることで、病の進行(=時間秩序)が無効化され、そもそも病が起こった時間をも無効化されるために、病が治る(あるいは病が治ると信じられる)のです。

天之常立神(アメノトコタチの神)の誕生で、高天原には3種類の時間がそろったことになります。
すなわち、瞬間(「初発」は気づきなので瞬間です)、「次に」、「次に」と一方向に連続する時、永遠の時です。

そして「とこ」の永遠は、不変性を持つために、その効果は未来永劫に保証され、超時間性を持つために、「瞬間」と「一方向に連続する時」と「永遠の時」は三位一体の関係になります。瞬間は永遠でもあり、次に、次に、の時間順序は、始原の時に流れる瞬間かつ永遠なのだから、一方向に連続する時は、その時間順序を超えてそそぎ出されることが可能になるのです。

さらにその「とこ」は、「立」つものであることから、「聖なる時間」がアクセスする高天原の「神話の時間」は、遠い太古の時間ではなく、今ここにも生成されている活きた生々しい、しかも、しっかりと立脚したものであることが示されているというわけです。

これが、天之常立神(アメノトコタチの神)の神威です。


天之常立神(アメノトコタチの神)の現代的な意義

ニヒリズムは現代の病とよばれます。
何をしたってどうせ変わらないよという我々の無力感は、現在の延長線上に未来を見ているからこそ生じる意識に他ありません。

そして、このような過去-現在-未来という直線的な時間感覚は、<栽培の文明>と呼ばれるものがもたらしたものであり、栽培化される前の<野性の思考>を持った諸部族や古代の日本にはあり得なかったことは、レヴィ=ストロースなど多くの文化人類学者が教えてくれるところです。これについては以前にも書きました(通読⑦↓)。

ものさしの目盛を数えるように、産まれた時からの歴史を未来に数えてしまえば、その目盛は100に満たないで終わってしまいます。
人はどうせ死ぬという虚しさは、目盛が等間隔であるという前提と、現在から先も過去と性質において変わりはないという前提の、二つの前提から生み出されるものであり、それらはどちらも<野性の思考>では仮定されなかった前提です。

この二つの前提と、天之常立神(アメノトコタチの神)との関係を考えてみたいと思います。


■「自然の時間」と国家の時間

時間は時刻により等間隔に刻まれるものだという感覚は、時計の発明によってもたらされました。時計がおおやけに導入する前には、時間は共同体の感覚に根ざすものであり、伸び縮みすることが自然だと思われていました。
例えば、朝を告げる鶏が鳴く時刻は季節によって違いますし、昼と夜とが交替する時間も日々違います。
稲作を生業とする人々の時間感覚と、漁労を生業とする人々の時間感覚は当然違いますし、山と里、海といった場所の違いもそこで暮らす人々に異なる時間を与えていたことでしょう。

それが、時計によって容赦のない客観的な時間が持ち込まれ、時間は国家が決めるものとなります。時計は、俗なる時間の性質を、自然の時間から国家の時間に変質させる装置(インフラ)でもあるのです。

日本で始めて時計が造られたのは、天智天皇の治世下の660年(『古事記』編纂を命じた天武天皇との関係に注目!)で、「漏剋ろうこく(=水時計の一種で、水を入れた器(漏壺ろうこ)から常時一定量の水を落とし、その水位変化によって目盛りが時刻を示す装置)」と呼ばれるものでした。
漏剋が造られて二年後の672年に、初めて国家の時間として時を打ち、鐘鼓をとどろかせたことが、『日本書紀』に書かれています。

『万葉集』には、その漏剋がおおやけの時を刻む前年の661年に、額田王(ぬかたのおおきみ)の作とされる歌が採取されています。

熟田津にきたつに 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」(万葉集 巻一0008)

熟田津にきたつに航海するために船に乗ろうと、月の出を待っていたところ、波も航海にちょうどよい穏やかさになり、さあ今漕ぎ出そう」というこの歌では、出航の時刻が月時計によって測られていたことを示しています。

漏剋ろうこく熟田津にきたつの歌との関係は、真木悠介『時間の比較社会学』によって知りました(同書は、レヴィ=ストロースの引用などに恣意的なところをやや感じてしまうのですが、それは小田亮『レヴィ=ストロース入門』で補正できます)。

真木(真木悠介は戦後の昭和を代表する社会学者の見田宗介のペンネーム)は、同書で、『万葉集』に「自然の時間」(真木の用語では氏族の時間)から国家の時間への変遷を見出しています。

律令国家の形成期を生きた人麻呂、憶良、旅人の歌には、自然の時としての時間が歌われているのに対し、律令国家完成後に生まれた最終編者の大友家持の歌には、「律令制国家の時間」の仮借なき不可逆性に対する自然や共同体からの個としての主体の剥離と自立、死への恐怖と恒久の観念への期待の誕生が伺えるとしています。

個としての主体の剥離と自立、死への恐怖といった感情は、漏剋=律令国家の時間が、自然の時間を参照物に落としめてしまったことにより誕生したのです。

「氏族性共同体の時」に準拠する家持の時間意識は、歴史にさからって神話的時間に生きようとすると同時に(他方ではそのことのゆえに)、歴史に「さきがけて」個的な時間を析出してしまった家持の時間意識の矛盾があるとの真木の指摘は、家持は内面においては既に近代人であったことが分かります。

『日本書紀』が国家の時間の誕生を記すのに対し、『古事記』にはその記述が無いことは、『古事記』は、時計が日常の時間を自然の時間から機械的な時間に変容させてしまうことを理解した上で、あえて「自然の時間」だけの記述とすることで、「神話の時間」を無垢なまま記述したかったのだと思われます。

その逆に、国家の時間の誕生を記す『日本書紀』には、高天原も天之常立神(アメノトコタチの神)も存在しません
『日本書紀』は、近代国家の始祖たる律令国家の歴史書としての性格から、別天神(ことあまつかみ)の世界である高天原やその「時」の仕組みを完成させた天之常立神(アメノトコタチの神)を合理的に排除する必要があったのです。

この神話の時間の合理的な排除の帰結について、次回もう少し掘り下げてみたいと思います。

<中>につづく

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※タイトル写真は八重垣神社HPから
ver.1.1 minor updated at 11/8/2020(誤字脱字を修正し、八重垣神社へのリンクを追加)
ver.2.0 major updated at 11/9/2020(内容が盛り込まれすぎで全部読むのが厳しいという声がありましたので、<上><中><下>に三分割することとし、あわせて若干の加筆訂正を行いました)
ver.2.1 minor updated at 11/9/2020(時間の三位一体についての説明を加筆)
ver.2.2 minor updated at 11/10/2020(一部の日本語の修正←主語の欠落を補正)
ver.2.3 minor updated at 11/17/2020(始原の時を、より正確に「瞬間」としました ← 初発は気づきであり、気づきは瞬間なので)
ver.2.4 minor updated at 12/5/2020(「流れる時」をより正確に「一方向に連続する時」に修正)
ver.2.5 minor updated at 4/3/2021(目次を追加)
ver.2.51 minor updated at 2021/7/31(項番を⑭→⑮に採番し直し)
ver.2.52 minor updated at 2021/12/28(ルビ機能を適用しました)

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