見出し画像

【コラム】マーメイドはひとりで躍る vol. 12

vol.11はこちら


vol.12


以前、こんなツイートを目にした。


『自己肯定感の外注』

自分の功績や自分の良さ、モチベーションを他の人に依存してしまうような状態のことらしい。

包み隠さず話すと、私は常人よりも自己顕示欲が強い。自分のことは多少盛ってでも周りの人から過大評価されたいし、このシリーズのいいね数も毎回数件程度ではあるが、十数件来てくれればなと思うこともある。「人前ではそのような素振りを見せず裏で努力をしている」という美談を耳にすることも少なくないが、なぜ露骨に隠したがるのかという考えが先行してしまう。話をする際も自分のことを中心的にベラベラ喋ってしまうことが少なくない。

それ故に、スペースとか飲み会とかで友人と話をするにしても、自分が話した内容はどうしてもfunnyな面白さというよりは、硬派で、英語で言うところのinterestingに当たるような面白さに寄ってしまっているような気がして、スペースや飲み会が終わってからは、帰り道や布団の中で、「今日もまた自分語りをし過ぎてしまった」といつも1人で脳内反省会をしている。その時ほど寂しい時間はない。

これもまた、話が面白くないなんて言われてしまう所以なのかもしれない。


大学に入学してから、私含め『自己顕示欲が強い』が故に人間関係を拗らせてしまっている人を何人も見てきている。正直自己顕示欲が平均レベルで、いわゆる『謙虚』と呼ばれるような方々からしたら、腫れ物として扱われるようなことも少なくない。気持ちはわかる。話に入ってきても面白くないし、自慢ばかりするし、感謝の気持ちを押し付けるし、常にイキって時に他人をディスるような、害しか生まない存在であり、そして何より『自己顕示欲が強い』人にとって、一番相手したくないのは、同じく『自己顕示欲が強い』人なのだから。


私の両親も、ここ数年でかなり関係が険悪になった。
お互いがお互いの家の事情を抱える年齢になり、後先を見据えなければならない年齢になる中で、きっとストレスも溜まるだろう。お互いがお互いを褒めてほしい、評価して欲しい、上に見て欲しい、崇めてほしい、そんな気持ちのぶつかり合いが、大きな大きな家庭のトラブルにつながっているのだろう。


『自己顕示欲』なんて言葉は難しく聞こえてしまうのかもしれないが、すごく極端に言えば『教祖になりたい気持ち』とでも言い表せるのかもしれない。そういう気持ちを抱えている家は割と少なくない。
今一部界隈を賑わせている『親ガチャ』の話も、模範解答は1つだけではないが、きっと模範解答につながる話として、親が抱える親ならではの『教祖になりたい気持ち』『崇めてほしい気持ち』が出てきてもおかしくないように思えてしまう私は、親不孝者なのだろうか。


何ヶ月か前に、同じサークルの後輩の方がスペースを開いていて、そこそこの人数(おそらくツイッタラー界隈)が参加していたので、私も覗いてみることにした。
例の如く彼もまた人より『自己顕示欲が強い』人である。よく新宿のバーや飲み屋に行く話、イベント系のオールラウンドサークルに参加している話、化粧の話などをしていた。サークル内Zoomで話した時は化粧の話と家にあるお酒を1つ1つ紹介してくれた。
そんな彼がたまたま用事か何かでスピーカーから抜けて退出した後、一斉にツイッタラーの界隈の方が彼の陰口を言っていた。

まあ、ツイッタラー界隈という極めて浅いコミュニティの中で、イキったりとか陽キャみたいなアピールを過度にしていたこともあって、あまりいい印象を受けている人は多くなかっただろうし、理解はできた。
そういう人は、時に拗らせて悪気なく他人を傷つけたり、過激なことをしたり、相手に何かを押し付けたり、虚言を吐いたりするのだから。

でもそれと同時に彼に同情してしまっている自分もいた。世の中は『自己顕示欲が強い』人に対しての当たりが強すぎるのではないかと。

過去になんとなく気になって『自己顕示欲が強い』みたいなことをGoogleやらTwitterやらで検索をかけて、どうやったら直すかみたいなことを調べようとしたことがあったが、結局出てくるのは、『自己顕示欲が強い人とうまく関わるようにするには』か、『自己顕示欲が強い人と関わらないようにするには』みたいなことである。


よく『自己顕示欲が強い』人は、能力が低いことを隠すためにこのような振る舞いをしている、というふうに言われている。実際に『自己顕示欲が強い』私の1個人としての感覚を述べると、50%正解、50%不正解といったところだ。
能力が低いと思っているのは間違いなく、誰かに対しての妬みや羨望によるものとも思える。ただ、それは表層的なものではなく深層的なものであり、実際のところは「能力が高い」と無意識のうちに思い込んでしまっている、ある種の自己洗脳に近いようなものなのかもしれない。

だから、下のツイートのように簡単な言葉で解消できるものでもない気がする。

まあ、『ツイートを読むとメンタルリセットできる方々』としてリプに並べられていたアカウントが、揃いも揃って、胡散臭い商材系・副業系の界隈だったので、商材や副業にハマって自分よりも上の教祖的な存在に巡り会えば確かに自己洗脳は解かれるかもしれないが・・・


『自己顕示欲が強い』のは、そんな小手先の事だけで治るほどやわなものでも無い。そんな簡単に治ってしまうのであれば、その人の感情の有無が逆に心配になる。

自身を認められず否定されたり、実際に実力をフルに発揮できず過小評価されたり、努力以外の差で優劣がつけられてその瞬間を目の当たりにしたり、、
こういった経験がもとで起きるものだと思う。あくまで私個人の推測と感想であるが。

だから同じことをしたら同じ分だけ余計に拗らせてしまう。悪い意味で「経験に経験を重ねた結果」になってしまう。
難しいことであるのには変わらないし、『自己顕示欲が弱い』人たちからしたら、「なんでこんなにめんどくさい役回りをしなきゃいけないんだ、彼らから被害を被っているのに」という気持ちになるだろう。

だからこそ、『自己顕示欲が強かった』人やQOLを高く見せている人に話を聞いてみるのもいいかもしれない。時に助け舟を出すのもいいかもしれない。自分と波長が会う似たような属性の人間に生き様を聞いてみるのもいいかもしれない。
自分の話を一方的にするだけでなく、人の話を聞いて、そして自分の弱いところも曝け出す。そういうことをしているから、教徒は教祖について来る。

何か具体的なエピソードはないか探してみたが思いつかなかったので、誰かコメント欄なりリプライなりで、補足していただきたい。


そういった意味では「司会」という役回りは本当に楽である、なんて話をするとガチ司会の方に八つ裂きにされかねないが・・・

「司会」は自分の話ではなく全体のバランスが求められる。エピソードトークなんてものは不要で、むしろいかに相手の話を聞いて瞬時に理解できるかだと思う。その中でちょいたしで自分と照らし合わせた話をすればいい。『自己顕示欲が強い』人の処方箋には向いているのかもしれない。

ただ実践したことがないので、誰かモルモットとして試してみてほしい。
私も「司会」という役回りは嫌いではないので、「司会」を募集している人がいたら、お手数おかけしますが呼んで欲しいです。時間が合えば向かいます。


以上、宣伝でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?