知ること
知るって大切なことだと思う。
誰もが知ってる当たり前のことなんだけど、それができないことが多い。
例えば、娘が人間関係のことで、よく相談してくるんだけど、私の答えはシンプルで、
「相手の懐に入るか、逃げるか(笑)」 それに限る!と思ってる。
世の中、たまに逃げたほうがいい人っている。残念だけど、そういうこと。これは直感とか、生理的に受け付けないとか、なんか腹が立つとか、そんなことを理由にしたっていいと思う。何年かに1度くらい、そういう人に遭遇するので、私は動物的直感を働かせ逃げることにしてる(笑)。
だって、私は傷つけられてもいい存在ではないし、自分でしか自分を守れないって思ってるから。致し方ないのです。ごめんなさい。
でも、そうでないなら、武術と同じで、相手の懐に入る!
相手を知り、自分のことも知ってもらう。
これは案外簡単なことで、挨拶から始めればいい。そして、少しずつ接近する(笑)。
大昔、会社に勤めていた頃、みんなを従えている古株の女性先輩がいた。その人に、目をつけられてしまったのだ。やばし!と思ったのだけど、ピン!と閃いた。そうだ!話しかけようって。
挨拶から始めて、天気の話。そして、仕事の話。最終的には相談事までした。
初めて、間近に寄って挨拶したときは、向こうがギョッとしてびっくりしてたけど、そんなの放っておく。どんどん急接近して、最後はとっても可愛がってもらったのです。
これはね、あれに似てると思う。
大昔、水害や地震などの被害に合うと、人は理由なんて分からないから神様のせいにしたわけ。そして、貢物や人身御供までした地域があった。でも、水害や災害の仕組みや地震の仕組みが分かった現代では、そんなことする人たちなんていない。一部の地域とかお祭りとして残ってはいるけど、それは風習になっている。
きっと人間って、自分の知らないこと、分からないことって「怖い」って思ってしまって、避けるか、攻撃するか、になってしまうのだと思う。
私も帰国子女だというレッテルが貼られていたので、攻撃のターゲットにされただけ。でも、「この人分からない」から、「この人知ってる」に変化すると、なぁんだ、面白い奴じゃんってことになる。
だから大丈夫! 「知ってる」に変化すればいい。
で、私思うのだけど、人間関係だけじゃなく、病気だって同じなんじゃないかな。
理由とか仕組みが分かれば怖くない。
今は、病名や症状、そして、治っていく様子ではなく、酷くなっていく様だけにフォーカスが当たった情報が多いけど、自分の症状だけにフォーカスが当てられれば、そして、その仕組みや自分の体質を理解していけば、怖いことなんて何もない。全てに理由があるものだから。なんだか納得できるってわけ。
そう! だからね、
自分の症状を知るの。
自分の体質を知るの。
自分の解決方法を知るの。
そうすると怖くもないし、心配すること自体少なくなっていく。
で、あとは実行あるのみ。
私は怖がりだから、病名なんて付けられてしまうと、なかなか抜け出せなくなる。
でも、病名よりも、自分の症状を知る努力はしてきたつもり。
それをひとつひとつ、肉体の原因、心の原因、霊(魂)的な原因をそれぞれ探ってきた。そして、理解し、そのひとつひとつの改善案を出し、実行に移してきた。
多分、大丈夫。私、まだ生きてるよ。
だからね、「知る」をやりたいって思った。みんなと一緒に。
自分のこと
自分の体のこと
病のこと
生きる目的のこと
魂とか
死についてとか
他にもたくさん・・・
「知る」って、生きるのも死ぬのも怖くなくなるってことだよ。
そんな学びのコミュニティです。
今日も読んでくださってありがとうございます。コメント嬉しいです。「病気がなくなる世の中を目指すコミュニティ」始めました。https://coreblue.org