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ひねくれ者の私が考えた、下降気流だって幸せだってこと

上昇気流だけがいいものでもない。下降気流だって、なかなかのものさっと、ひねくれ者の私は考えた。

ま、ただの負け惜しみなんだけど(笑)。



ひねくれ者の私は考えた・・・

私を含め、ほとんどの人が上昇気流をいいものと考える。

運がいいとか、仕事が順調とか、お金が引き寄せられるとか、恋愛がうまくいってるとか。


そして、下降気流は悪いものと考えてる。

運気が悪いとか、何をやってもうまくいかないとか、体が不調とか、お金がないとか、彼氏がいないとか、家庭不和とか。


これって本当なのかな? 上昇気流はいいもので、下降気流は悪いものって。

と下降気流中でひねくれ者の私は考えた。


人間の一生という観点で遠くから引いてみてみると、上昇気流、下降気流があるのは当たり前な気もする。みんな一生の内に、登ったり、降りたりしてる。恐ろしいほどの急な変化を繰り返す人さえいる。


でも視点を変えて、成長という観点からみてみると、下降気流があってこその成長っていう気もする。

下降気流の敗北や降参があってこその精神の成長、人生の濃さ、人間の厚みとか深さ。

だとしたら・・・

下降気流中でも、人を羨んだり、自分を否定してネガティブにならなくて済むかも。

私、今、人生を色濃くしてる最中なんです、みたいな(笑)。


とはいえ、右往左往の渦中にいると辛い。


今朝も頭が苦労や苦しみを作り出そうとし始めたので、今の現状に降参することにした。


私の頭は忙しい。

起きた瞬間から、苦労や心配事を思い出して、その考えにしがみつこうとする。

そんなことしてしまったら、変化しようにもしなくなってしまう。


だから、まずは現状に降参。

降参するとどんなに困ったことでも受け入れられるようになるので、とりあえずなんでも受け入れる。

受け入れると、不思議とどうでも良くなって問題にならなくなったり、いいアイデアが浮かんだりするので、その場合は行動。

今日は、なぁんだ、もうこのままでいいんじゃん、割とラッキーじゃん、可能性広がったじゃんって思えたので、このままで。


頭で考える思考は、やたらめったら不幸を作り出そうとする。

気をつけなきゃ。


「悟りとは中庸に在ること」とよく言われているけれど、多分、そういうことなんだと思う。良過ぎず、悪過ぎず、惑わされず、心は常に平穏。みたいな。

つい情報に惑わされて、仕事が充実してる人を見ては焦ったり、素敵なパートナーがいる人をみては羨ましいがったり、月に何度も旅行に行ってる人を見ては目標にしたりしちゃうけど、本当に自分はそれを求めてるの?と思うと、なんだかちょっと違う気もして、よく分からなくなっちゃう。

そういうときは、まずは何にもない等身大の自分の現状に降参だ。

この場合の降参はやけくそとはちょっと違う。

そのまんまに対して、「はは〜 参りました」ってな感じ。

そして、今できることをやる。

私は毎日を大切にしたいよ。

とっても小さな世界で登場人物は少ないけれど、人も平凡な毎日を生きることも、些細なことも、本当に大切にしたい。


そして、結果を求めなくてもやってみたいこと、結果が得られなくてもやってみたいこと、自分に存在価値を与えるものではないもの、そういったエゴとは関係なく、純粋にやってみたいこと・・・そんなことをそろそろ探しに出かけてみようと思う。




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