私の辞めどき
私の辞めどきは、2つ。
卒業のときと、自分を守るとき。
もう辞めたい、苦しいよぉと思ってることがある。
何?と聞かれると言いにくいので内緒(笑)。
きっとどんなに好きなことをやっていても、もう辞めたい、苦しいよぉ、嫌だよぉって思うときがある。
そんなときは決まって、うまくいっていないときだ。
お客さんが来なかったり、お金にならなかったり。
そういった目に見える成果が得られないとき、私は、もう辞めたい、苦しい、嫌だよぉと思って投げ出したくなってしまう。
そんなとき、受け取りベタな私は、決まって手助けが来ない(笑)。まるっきり(笑)。
ブログとかを読むと、必ず助けが入るといって書いている人もいるけれど、私にはまるっきりそんなの来た試しがない。
だからひとりもがき苦しむ覚悟をする。
それは受け取らない自分がいけないんだよ、ということになるのだろうけれど、そこまで私は自分のことをもう責めたくない。
最近はそんなとき、命の源泉を感じるようにしてみてる。
私の体を動かしている本当のエネルギー、私の意識を発動させている元の場所。
不思議なことに、その場所に辿り着くと、目に見える成果を求めているからいけないんだ。そして、その成果=自分 という偏見を作っていないか。だから、成果がない→自分のやっていることに価値がない→自分に価値がないという連想ゲームが始まっているのではないのか。
ひょっとして、成果が出ないことで悩むこと自体、傲慢なのではないか。
と感じ始める。
私は、そんな成果で測れるようなものではないはず。
きっとそれ以上のものなのではないか。
たとえ何もしなくても。たとえ誰からも認められなくても。
そんなふうに感じられるようになってくる。
すると、じゃあ、今が辞めどきじゃないんだな。もう一踏ん張りしてみようか。ここで諦めたら女が廃るっと思ったりもなんかする。
それに、成果が出ないことで悩んでるってことは、悔しいってこと。まだ悔しいなら諦めるときではない。
明日、また勉強し直してみようと思う。難しくてへこたれるけれど、ご褒美にたくさんチョコレートを食べよう。
私にとっての辞めどきは、きっと、もうやりきったとき。もうやることないや。もうできることないや。もう学ぶことないや。という卒業が来たときだ。
そして、自分を守るとき。
自分に害を及ぼす環境とか、人間関係からは、物事が途中だろうがなんだろうが、とっとと逃げる。
逃げることは、自分を守ること。
と私は個人的に思ってる。
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